久しぶりのブログ。
久しぶりになったのは普段に書くほどの事もないというとそれまでなのだけれど
書きたいから書きたいときに書くものなので、
書き残したいことのある今回は少しだけ、書き残しておこうとおもう。
中国には国手という言葉がある。
国を、国家を代表する使い手という意味だ。
日本でいえば、国宝みたいな感じだろうか。
どれだけの人がそう呼ばれるのだろうか。
誰が決めるのかは別にして、
先日亡くなられた武道家の黒田鉄山先生は間違いなくそういう人物だったかとおもう。
古代の武士の超一級の身体と技を21世紀に所有し、再現できる。時代を串刺しにした光景を我々に見せてくれる存在だった。
身体が消える。
止まっていて見えない。
触れてもそこにない。
そんな身体を触ったのは初めてだったようにおもう。
もう10年近く前になるかと思うが、関西での体験会で目の前で動くのを見て、触れさせて貰った感想はことばにできない体験だった。
本当に触ってもそこに居ないかのようで、
触られれば腰から気持ち良く崩れ
動けばどんなにゆっくりだろうと、
止まっていても相手には見えない。
感知できない。
人間の気配というのは、こんな風になるものか
昔の侍の身体とはこのようなものかと、衝撃とともに絶望と感動が同時にあったのを思い出す。
いまだに、映像で見てもやはりそれはそのままの感動で。
地上波のテレビなどに出られることはほとんどなく、一般の方が初めて存在を知ったのは
2022年頃?放送された明鏡止水というNHKの番組だったかもしれない。
思えばあの番組が地上波で黒田先生を見た最初で最後になってしまった。
この方の存在や武芸が
著名な武道家の方から趣味で武道をされる方まで、本当に多くの方を影響を及ぼしたのは間違いないとおもう。
もちろん、
自分にも。
形あるものは必ず終わりがあり、もちろん自分らにも親しい人にもそれは訪れる。
お会いできたのは一度で
門下でもないが
本音を言えば先生が亡くなってしまったような喪失感、寂しさがある。
同じ時代に知ることが出来て、末端でもその術技に触れられて本当に幸運でした。
心よりご冥福をお祈りします。
体格差も筋力も人種も
才能や年齢さえも
型ひとつで全部まとめてひっくり返してしまった人。
そんな痺れるくらいかっこいい人が居なくなるのはやっぱり凄く寂しいなと
訃報を知って一日、改めて感じている。
日々、一日、一瞬の貴重さも。