5月15日(火) 天気予報は晴れ 最高気温は29℃ 降水確率は0% 10:00に出発する。
今日は、京都市内は葵祭で混雑が予想されるため、かねてから行きたかった南山城の一休寺と笠置寺を訪ねる。
酬恩庵一休寺
当時の元の名は妙勝寺であって、鎌倉時代の高僧大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場をここに建てたのが始めである。然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455~6年)、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、恩師にむくいる意味で「酬恩庵」と命名した。禅師はここで後半の生涯を送り八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13年(1481年)11月21日八十八歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのである。このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休寺」の通称が知られるに至ったのでたる。拝観料は500円で拝観者は私と老夫婦の3人だけでした。
一休宗純
室町時代を生きた臨済宗大徳寺派の禅僧。京都生まれで幼名は千菊丸。後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています。6歳で京都の安国寺に入門し、周建の名前を授かりました。その後、さまざまな人生の紆余曲折を経て、1481年、88歳で病没。一休寺で静かに眠っています。
総門


参道

宗純王廟(一休禅師の墓)
現在墓所は宮内庁が御陵墓として管理をされており門扉に菊の紋があるのもそのためである。


庫裏


方丈と庭園

一休禅師が大徳寺へ行くときに使用した輿

一休宗純の木像


狩野探幽によって描かれた襖絵

方丈庭園 南庭


方丈庭園 東庭


方丈庭園 北庭


納豆の一種である「一休寺納豆」でも有名。(左上)

本堂




宝物殿



開山堂

一休禅師の石像

小年一休像

酬恩庵一休寺から笠置寺へ
笠置寺
笠置寺の創建は古い、すでに2000年前から笠置山の巨石は信仰の対象となっていた。この事は笠置山の中心をなす大岩石の前から弥生式時代の有樋式石剣が発見されたことによってわかる、しかし実際に建物が建てられ人が住みついたのは1300年前である。1300年前東大寺の実忠和尚、その師良弁僧正によって笠置山の大岩石に仏像が彫刻されその仏を中心として笠置山全体が一大修験行場として栄えたのである。平安時代永承7年(1052)以後世の末法思想の流行とともに笠置寺の大磨崖仏は天人彫刻の仏として非常に信仰をうけたのである。鎌倉時代建久2年(1191)藤原貞慶が日本の宗教改革者としてその運動を笠置寺から展開するとき笠置山は宗教の山、信仰の山として全盛を極めた時であった。
しかし元弘元年(1331)8月27日倒幕計画に失敗した後醍醐天皇を当寺に迎えたことにより攻防1ヶ月ついに笠置山は全山焼亡以後室町時代少々の復興を見たが江戸中期より荒廃、ついに明治初年無住の寺となった。明治9年丈英和尚孤狸の住む荒れ寺に住して笠置寺の復興につくすこと20年ようやく今日の姿となったのです。拝観料は300円で拝観者は私だけでした。

山門


収蔵庫 笠置寺の十一面観音

正月堂



石造十三重塔


本尊の弥勒磨崖仏(現在は光背の形が残るのみ)

虚空蔵菩薩磨崖仏(巨石に光背が穿たれ虚空蔵菩薩像が線刻されている。)


胎内くぐり

太鼓石

ゆるぎ石

平等石から木津川を望む


二の丸跡から木津川を望む

大師堂


笠置寺修行場めぐりは、一周800mで所要時間は30~40分で歩きやすい靴が必要です。
笠置山(標高289m)をおりて、163号線から笠置山を望む

163号線を東の伊賀上野へ 伊賀上野城を見ながら信楽へ(道が良くなっている)信楽から帰路へ 17:00に帰宅、走行距離は165kmでした。
天気も良く、南山城の一休寺と笠置寺は良い寺でした、また道も良くなりツーリングには最適でした。
南山城には十一面観音巡礼や石仏巡りあり また近い内に訪れたいと思います。😊😊😊
今日は、京都市内は葵祭で混雑が予想されるため、かねてから行きたかった南山城の一休寺と笠置寺を訪ねる。
酬恩庵一休寺
当時の元の名は妙勝寺であって、鎌倉時代の高僧大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場をここに建てたのが始めである。然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455~6年)、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、恩師にむくいる意味で「酬恩庵」と命名した。禅師はここで後半の生涯を送り八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13年(1481年)11月21日八十八歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのである。このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休寺」の通称が知られるに至ったのでたる。拝観料は500円で拝観者は私と老夫婦の3人だけでした。
一休宗純
室町時代を生きた臨済宗大徳寺派の禅僧。京都生まれで幼名は千菊丸。後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています。6歳で京都の安国寺に入門し、周建の名前を授かりました。その後、さまざまな人生の紆余曲折を経て、1481年、88歳で病没。一休寺で静かに眠っています。
総門


参道

宗純王廟(一休禅師の墓)
現在墓所は宮内庁が御陵墓として管理をされており門扉に菊の紋があるのもそのためである。


庫裏


方丈と庭園

一休禅師が大徳寺へ行くときに使用した輿

一休宗純の木像


狩野探幽によって描かれた襖絵

方丈庭園 南庭


方丈庭園 東庭


方丈庭園 北庭


納豆の一種である「一休寺納豆」でも有名。(左上)

本堂




宝物殿



開山堂

一休禅師の石像

小年一休像

酬恩庵一休寺から笠置寺へ
笠置寺
笠置寺の創建は古い、すでに2000年前から笠置山の巨石は信仰の対象となっていた。この事は笠置山の中心をなす大岩石の前から弥生式時代の有樋式石剣が発見されたことによってわかる、しかし実際に建物が建てられ人が住みついたのは1300年前である。1300年前東大寺の実忠和尚、その師良弁僧正によって笠置山の大岩石に仏像が彫刻されその仏を中心として笠置山全体が一大修験行場として栄えたのである。平安時代永承7年(1052)以後世の末法思想の流行とともに笠置寺の大磨崖仏は天人彫刻の仏として非常に信仰をうけたのである。鎌倉時代建久2年(1191)藤原貞慶が日本の宗教改革者としてその運動を笠置寺から展開するとき笠置山は宗教の山、信仰の山として全盛を極めた時であった。
しかし元弘元年(1331)8月27日倒幕計画に失敗した後醍醐天皇を当寺に迎えたことにより攻防1ヶ月ついに笠置山は全山焼亡以後室町時代少々の復興を見たが江戸中期より荒廃、ついに明治初年無住の寺となった。明治9年丈英和尚孤狸の住む荒れ寺に住して笠置寺の復興につくすこと20年ようやく今日の姿となったのです。拝観料は300円で拝観者は私だけでした。

山門


収蔵庫 笠置寺の十一面観音

正月堂



石造十三重塔


本尊の弥勒磨崖仏(現在は光背の形が残るのみ)

虚空蔵菩薩磨崖仏(巨石に光背が穿たれ虚空蔵菩薩像が線刻されている。)


胎内くぐり

太鼓石

ゆるぎ石

平等石から木津川を望む


二の丸跡から木津川を望む

大師堂


笠置寺修行場めぐりは、一周800mで所要時間は30~40分で歩きやすい靴が必要です。
笠置山(標高289m)をおりて、163号線から笠置山を望む

163号線を東の伊賀上野へ 伊賀上野城を見ながら信楽へ(道が良くなっている)信楽から帰路へ 17:00に帰宅、走行距離は165kmでした。
天気も良く、南山城の一休寺と笠置寺は良い寺でした、また道も良くなりツーリングには最適でした。
南山城には十一面観音巡礼や石仏巡りあり また近い内に訪れたいと思います。😊😊😊