本年の仕事始めとなるはずであった、1月4日。


朝、静岡の叔父からの電話。


「先ほど、おばあちゃん(私の母の、母)が亡くなった。」と。



悲しいのと、信じたくないのと、

混乱する頭のまま、ともかく空港へ。

朝の時点では帰省ラッシュで全便が満席だったが、

運良くキャンセルによる空席が出て、

同日夕方には静岡入りした。



母方の親族はとても仲が良い。

叔父叔母(祖母にとっては子供)はもちろんのこと、

私の従姉妹たち( 〃   孫)まで全員が、夕方には揃った。



4日夜に通夜。


5日にお葬式。



一足先に旅立っている、

祖父や私の母が、祖母を迎えにきてくれていると感じた。



祖母は、とても素敵な人だった。

働き者で、チャーミングで。


思い出すのは、祖母が笑っている顔ばかり。


92才の大往生とはいえ、別れは、辛かった。



葬式を終え、仕事のため慌しく函館に移動。

函館で仕事をした後、明日の仕事のために、先ほど札幌に移動。

ようやく一息つく時間がとれた。




祖母との別れで・・・

いろんな思いがあるけれど、うまく言葉に出来ない。


しばらく、時間がかかると思う。




ひとつ、改めて実感したのは、

私は「死」によって「生」きている、ということだ。



人生で一番最初に、「死」について深く考えたのは中3の時だった。



幼馴染が突然、交通事故で逝ってしまった。



2日前に会った時は元気だったのに・・・

信じられなかった。

でも、自らの身に起こってもおかしくない出来事。

自分の人生も、いつ、断ち切られるか分からない。



死ぬのは嫌だ。

死にたくない。

でも、いつか自分も死ぬのだ。



死が怖くて、憎くて。

半年くらい泣いた末に、「精一杯生きたい」という境地に達した。



その想いは、2003年の起業直後、

母が末期ガンで逝ったことで、より強固なものになった。



私の心の中には、死者たちが生きている。

彼らが私に力を与えてくれている。

「生きなさい」と。

多少のことには負けないパワーを。




祖母の死は、

今はまだ、受け止められないでいる。


受け止められることができた時、きっと祖母は、私の心の中で生き返る。




何度かの経験を経てきたから、今度も、この辛さを乗り越えられると・・・

分かっていますが・・・

辛いですね。




「お母さんは死んじゃったけど、おばあちゃんが生きてる」ということに、

私は支えられてたんだなあ。






・・・・・・いろいろ書きたい想いはあるのですが、うまく言葉が出てこないので

    今日はここまでにします。




8mmフィルム工房 社長日記-富士山

実家から見た富士山。


銀世界の北海道から、春のように温かな静岡に移動して、

信じたくない現実に触れて。

異次元をさまよった気持ちです。