40:迫られる決断 | おもちノート

おもちノート

母(肝不全...)
息子2人(小6・高1】
デグー【ゼウス】
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との生活。

過激な生い立ち自叙伝
【おもちができるまで】

闘病生活しながらも日々楽しみを見つけて☆

日常・子育て・心理学・雑学・時事ネタまで自由気ままに更新中★

妊娠・・・

 

その後1年ほど彼との付き合いが続いたある日

 

妊娠。

 

自分でもなにやってんだよ~と思った。

 

でも私は不安と戸惑いを抱えながらも

妊娠した事も、息子に兄弟を産んであげられる

かもしれない事も、新しい命・・・嬉しかった。

 

また子供に会えるかも知れない。

 

2度流産している私にとっては離婚したことで

もう子供を授かる機会がないかもしれない、

本当はちゃんと2人とも元気に産んで

あげたかったのにとの思いを引きずっていた。

 

一人で育てられるのか?

しんどいぞ。

 

とは思ったが産む事は彼に告げる前から

自分なりに腹をくくって決心していた。

 

彼に告げると案の定の反応

「俺には無理だ自信が無い」

 

はい、私もわかってます。

20歳メンパ勤務、就職や自立の経験なし。

急に2児の父は残酷だ。

 

ましてや、ザゆとり世代な性格の彼が

どうにかできる根性や我慢を見てきた限り

持ち合わせているとも思えない。

 

告げずに適当な理由をつけて別れれば

それで良かったのかもしれない。

 

周りにももちろん反対された。

当たり前だ。

 

1か月程話し合いで

「産む事は決めている、一緒に居なくてもいい、

ただ根性なく何もせず父を名のられるなら

入籍もせず私と別れてほしい一人で育てる。

あなたはまだ若いからやり直せるし、私も

最初から一人で産む覚悟はしてるから大丈夫」

と言う私に対して、

 

「自信ないから悩んでる、今回は諦めて

自立してタイミング見えるまで様子見て

このまま一緒にはいれないのか、

産むにしても離れたくない、出来る事したい」

 

こんなやりとりが永遠に続き。

 

結局は

「産んでほしい、できる限り俺頑張る、

自信はないけど、やってみなきゃわからない」

と彼。

 

「父を名のりたいならせめて1年は頑張って、

連れ子の息子とわけ隔てなく、ちゃんと

父になれたらその後もうまくやって行こう。

父として戸籍には残してあげたいから」

と私。

 

期間限定、様子を見ながら

先は未定な制約結婚となった。

 

兄も心配して反対もしたが、

私の産む意思が強い事が伝わり

「がんばれよ」と言ってくれた。

 

私は息子を保育園に預け日中は

資格を取りに行きながら勉強して

水商売をかけもちの日々だったので、

試験日まで講義も悪阻と戦いながら継続し、

息子との時間を持ちながらも

夜の仕事も少し回数を減らして

もちろんアルコールなしで出勤して、

身動き取れて頑張れるうちに体調みながら。

 

正直しんどい生活だった。

 

時間が無いので資格は一発でとってからは

夜のバイトだけ。

それでも夜は妊婦になれば眠いしキツかった。

 

先を見据えて自分が少しでも動けるうちに

準備して行かなければいけないと思っていた。

 

順調な妊娠だったので少々無理しながらも

調子を見て休みつつ、店の理解もあり

何とかお腹が目立たない営業ギリギリまで。

 

なんなら、お腹目立ってきても、

自分の友達や事情を良しとしている

お客さんが来てくれる時だけ出勤扱いにして

お給料をくれた。

 

その時いつものように飲みに寄ってくれた

大好きなYに妊娠の事や入籍に迷っている事を

早いうちから話していた。

 

彼は

「それは男として歳は関係なくても

どうなんだろう。意地張ってない?大丈夫?」

と心配してくれた。

「変わらず今まで通り出来る事は支えるよ」

と。

 

互いの状況を話し合える関係がすごいと思ったし

切なくも変わらず一時がただ嬉しく幸せだった。

 

気持ちはYを引きずっているのに、今の状況。

自分の不甲斐なさと弱さに自分を嫌いになった。

 

理想ドストライクで男気あって頼れる優しいY。

理想と現実は違うと言い聞かせるしかなかった。

 

って言っても、年下の彼も悪い子じゃないし

不器用だけど何だかんだ真面目で柔順だし。

 

自分が選んだ自分の人生だ。

 

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