30:突然の起業・三度目の・・・ | おもちノート

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母(肝不全...)
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との生活。

過激な生い立ち自叙伝
【おもちができるまで】

闘病生活しながらも日々楽しみを見つけて☆

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自由な夫、そして三度目の妊娠

 

その後、妊娠自が怖くて再チャレンジなし。

 

そんな中、旦那が急に相談も資本金もなく

自分の実家を担保に入れて起業し始め、

給料も経費もろくに計算も出来ずに

首が回らなくなるまでは早かった。

 

私が働いているからなんとか生活は

やっていけていたようなものだった。

 

少し会社が軌道に乗り始めた頃、

前回から2年ちょい空いて3度目の妊娠。

 

怖かったし自信も無かったけれど

やっぱり子供が欲しかった。

産んであげられなかった子を思うと

申し訳ないのと怯えている自分が悔しかった。

 

それまでの間、お盆などは必ず水子さんに

お供え物を2人分持って通いひたすら

「ごめんね」と繰り返す日々だった。

 

思いが通じたんだと思いたかった。

2人が戻ってくるわけではないが。

 

発覚後の翌日からまた少しでも

体調に変化があれば早退したり休んだりで

会社にはさらに迷惑をかけた。

 

座る事も、トイレに立つ事すら怖かった。

24時間毎日ずっとお腹を抱えながら

祈る気持ちでなるべく横になっていた。

 

もう二度と小さな命をを失いたくなかった。

 

初診は結果が出るまでずっと泣きそうだった。

でも今回は初の受診で心拍が確認できて

相応の週が確認できた。

 

その時の気持ちは今でも忘れない。

 

その後も日々を無理せず階段の上り下りも

負荷のかかる事は全て避け、そっと暮らした。

 

子供をずっと欲しがっていた旦那はさすがに

私を気遣い協力的になり、家事は全てと

言っても良いくらいにやってくれていた。

 

初めて旦那に助けられ、心から感謝した。

 

そんな不安な日々が続きやっと安定期

「ストレスも良くないし今までの事もあるけど

もう過剰に神経質になり過ぎなくても

順調だしもう安心して生活しても大丈夫ですよ」

と医師が気を使って言ってくれた事を機に、

不安を抱きつつも普通の生活を取り戻し、

今までが嘘だったかように健康なまま、

悪阻の治まりも早く仕事も通常通りに続けた。

 

良い事があると悪い事もある。

 

安定期に入る頃と並行して義父が倒れ

ガンが見つかり運ばれた時にはもう末期で

ほとんど一日中意識もない状態だった。

 

きっと表には出さなくても私の体を

一番に気遣ってくれていた人だと思う。

お腹の子を守ってくれたんだと思った。

 

そのまま1カ月もせずに義父は他界した。

 

その後、一番の不安は、産休を取れても

母とは?の次元で母になれる自信がないのに

仕事との両立なんてできるのだろうか。

 

仕事をしている限り私はずっと旦那に

あてにされ続けるのだろうか、

辞めたところで生活は維持できるのだろうか。

楽しく働ける企業に入れてこれからなのに。

 

凄く葛藤したが、子供を優先してほしいと

妊娠中から別人のように頑張っている

旦那を見ていて仕事を辞める決意をした。

 

そして。

日々暇な妊婦は祖父とランチや買い物や

長期入院していた祖母の見舞いに行き、

同時期に友達が妊婦さんで2人居たので

遊びに行って話を聞いたり。

 

久々の自由な日中がある毎日を

とても有意義に過ごせて楽しかった。

この時間は私にとって至福の時で

友達との時間をゆっくり過ごせたのも

かなり久々の事だった。

 

出産予定日を間近に控え

今度は突然祖父が入院。

 

毎日のように顔を合わせて居たのに

私は祖父の変化に気付かなかった。

祖母が入退院を繰り返すのは

目の前で見ていたが、前日まで

現役漁師をしていた元気な祖父がまさか

脳梗塞で入院するとは思わなかったし

想像もして居なかった、ショックだった。

大事には至らなかったけど、

半身麻痺になり船からも降りる事になり。

 

一番ショックだったのは祖父だと思う。

 

知らせを受けて余計な事に母が来てしまった。

しかも旅行気分で。

臨月の妊婦に送り迎え運転させ、

飲食店巡りまで足として付き合わされ、

祖父の見舞いと祖母の見舞いを済ませると

飲み屋にも自慢のネタとして付き合わされ、

翌日早くから用事足し後にまた空港まで送迎。

 

あり得ない無神経さと自己中さ。

 

母の親だから知らせただけで

来てくれとは頼んでない。

来るなら自己責任である程度は

身の程と状況をわきまえて頂きたい。

 

迷惑以外のなにものでもない。

娘が臨月だと言うのに体調など

気にも留めないのだろうか?

 

それほどに私の出産も彼女にとって

重要なイベントではなかったのかも。

 

そして迎えた出産。

生きてきた中で一番の痛みと言えるのは事実。

でも想像していた痛みよりはるかに楽で、

陣痛の合間に助産師さんと会話していたり、

目標時間を決めたりしていた私を見て

看護師さん達は唖然としていた。

 

5時間(分娩室にて2時間)の安産で

3000gを超す元気な男の子を産む事が出来た。

わが子と言えども、すぐに

グチャグチャ血みどろの赤ちゃんを

抱っこする事は出来なかった。

 

人前だった事や微弱陣痛が数日続いて居て

かなりの寝不足だった事もあり

感動よりも冷静になりすぎていたのだと思う。

 

退院後は母子ともに元気に過ごし、

旦那も人が変わったように帰宅も早くなり、

毎晩買い出しから夕飯作りから片付けも

完璧に全てやってくれていた。

 

凄く感謝した、この人で良かった。

 

2~3ヶ月は。

 

幸い凄く寝る子で手がかからなかったので

私にも時間があった事で、それを私が

「1人で大丈夫、ありがとう」と言ったのが

まず間違いだったようで。

 

両極端な結果・・・。

家庭を顧みず、己の道に戻って行ったようで、振り出しに戻る。