5: 母出現! | おもちノート

おもちノート

のんきな母(肝硬変...)
息子2人(小6・高1)
デグー【ゼウスくん】
との生活。

過激な生い立ち自叙伝
【おもちができるまで】

闘病生活になっちゃいながらも日々楽しみを見つけて☆

何気ない日常・子育て・心理学・雑学・時事ネタまで自由気ままに更新中★

3~4年振りに

 

翌年、4年振りに突然の母からの連絡。

 

それはとても陽気なものだった。

 

「皆元気にしている?

私ね~デキたから結婚することにしたよ~」

的なノリで。

 

親子供置いて4年も音信不通にも関わらず

既に皆の心配ではなく自分の報告。

心配掛けて「ごめんなさい」の一言すら無い

が、もう怒る気にもなれない。

 

悪気が無いのだ。

 

一応は大人としての常識を微力ながら

持ち合わせていたようで両家顔合わせの

席を設け、その場に私も同席する事になり

妙にかしこまって再婚相手を紹介された。

 

普通は複雑な気持ちになるのだろうけど、

私は不思議な程に何も思わなかった。

 

母としての認識がそもそも無かったのだ。

 

この人は生みの親なだけで母親ではない。

 

人に取られる?居なくなるとか嫉妬なんて

元々感じた事もなかったし・・・。

祖父母の養子になった今となっては、

再婚相手とも言えど第二の父となるはずが

その関係性でもなければ、目の前にいるのは

親戚のおばさん?家族?姉?と結婚相手

の様な感覚で親戚の結婚と代わり無かった。

 

幸いだったのは再婚の旦那様が

私にも分け隔てなく優しく接してくれて

妹が生まれてからもそれは変わらなかった。

気にかけてお出かけ連れだしてくれたり。

いつもニコニコしていて例えるなら・・・

≪七福神≫的な!と思ってた。

 

そうこうしているうちに

再婚相手との間に義理の妹が生まれた。

 

私の時と同様、妊娠中も酒浸りの日々で、

マイペースに変わらぬ生活を送っていて、

酔って仕事から帰宅したと思えば

階段からかなりの勢いでゴロゴロと

転げ落ちるいつもの光景。

 

(私の時もこんなんだったのだろう)

 

悪阻時期好きだったという酒の名から

妹は名づけられてしまったが

女の子に付ける普通の名で良かった。

本当に何事も無く健康に生まれた奇跡。

 

一人っ子で育ってきた私にとっては

異父とは言え「妹」という存在自体が

凄く嬉しくて、この母から生まれたのは

私だけじゃなくこれから続く関係性が

増えたのだ、と心から喜んだ。

 

一人っ子だった私は

年的にも明らかに早くして亡くなるだろう

親としての祖父母と私だけの世界で

一人ぼっちになるのが、不本意ながら

早い事を予期していたからだ。

 

兄弟も親戚もほぼ居ない。

の人生が早めに待ち受けている。

 

しかし、現状は

妹の存在に喜び浸ってる場合じゃなかった。

 

自宅にお泊まりおいで~と母に呼ばれ

喜んで泊まりに行く私もバカなのだが・・・

家事手伝い・ベビーシッターでしかないのは

今考えたら言うまでもない。

 

泊まりに誘われ行く日は

私が小学生にて母になるだった日。

 

その時は母が楽を出来て、

実家に連れて来ても祖父母に色々言われ

子供を抱えて出かけるのも面倒だったって

思ってたのもあったのだろうと思う。

 

旦那様も結婚した頃まだ若かった事もあり、

幼い子供が居る事を気にも留めず、

社宅だったし社宅の仲間と

夜な夜な自宅で酒盛りの日々。

赤ちゃん寝れない位のドンチャン騒ぎ。

母なりに子供を寝かせられない環境は

子育てとしても辛かったのだと思う。

実際そんな状況下での子育ては

妻・母としてもしんどい気持ちはわかる。

 

だからこそ気のおける存在で

文句を言わない私を呼んだ。

家事手伝い・子守りとして招いたのだ。

息抜きの為に休みたい日に。

 

それでも何だかんだ旦那様も

根は優しい人だし母も多少我慢し

母なりには必死に婚姻生活を続け、

翌年には年子で弟を出産した。

 

これには私も祖父母も本当に驚いた。

 

まさか我慢・自制と無縁な母が

こんな状況で年子で子供を産むなんて。

 

しかし、それはやはり奇跡だった。

 

すでに2人目の妊娠・出産と同時に母には

限界が来ていた事には誰も気付いていなかった。