第六講義添付資料:神YHVH著「(旧約)聖書の編年体解説」「奇跡についての神の教え」 | 天上界 Great Materia University(被造物の生き方を教えるカテキズム)

これも、前回同様、俺とミカエルが共著で書いた聖書のまえがきのページに収めていた内容をそのままコピーする。

旧約聖書について解説している。

 

YHVHから聖書の編年体解説:ここまできて、聖書に何が書いてあるか分からないという人も多いと思います。そうすると、聖書とは何のために読むのかという目標をはっきりと定めないと色々なサタンの無駄な情報も入ってしまいます。なぜなら、聖書は、神の書いた文書をそのまま載せたものではなく、人間が選んだ文書を封入しているためです。人間というのは地に属しているため、サタンです。そこで、預言者たる私が、神が書いた所をまとめた聖書を作ったものがブログでしたが、付録として、ここで、定番的な学習・研究のまとめ方をしたいと思います。

・天地創造(創世記)…まず最初に宇宙と地面を作ったという話です。そこが、ものごとの始まりなのです。作ったから、話があるよ、という話です。

・男(アダム)を作った(創世記)…次に男を作ったとあります。私が男なので、男を作りました。

・女(エバ)を作った(創世記)…これは重要です。ここから罪が始まったためです。女の乳房は2つあります。木の実に見えます。アダムとエバが食べたのも2つです。これが禁断の木の実だから陰部を隠してるんじゃないの?って話になるんですけど、そういう意味でも作りました。つまり、アダムだけでは罪は無かったんです。エバ又は人間が2人いることで、何かのトラブルが起きる訳です。その緒原因に注目して下さい。そうすれば、それぞれの人にとって必要な気づきが、その都度ひねりだせるように、考えて作ったんですけどね。私は、YHVHですよ。創造主です。再臨した最後期に、このまとめを書いています。そうすれば、人間がいれば、罪あるんじゃないの?って話で、以下に重要な事例が続いていきます。それってなんのために作ったの?って言われると教育目的だったのですよ。教育をすると話が長引きます。私、結構暇な神なので(笑)。時間を持て余しています。その中で、私やミカエル達管理者クラスの者達にとって重要な一生の気づきというものを残したかったのです。

・カインがアベルを殺す(創世記)…人間がいたら殺人をすると思うんですけど、アダムとエバの子が、カインとアベルです。知ることは、それだけでいいと思います。地に送られたら、今度は殺人までやっちゃったと。人間同士って、戦争がよくありますよね。その事態を防ぐひねりを各人、聖書を読んで導き出す、または既に罪を犯した人は、これからの人生がある場合もありますから、最後まであきらめずに更生のために聖書から学びましょう。これが、もう全てですから。人間の罪は、ここが根源です。聖書に違反していれば、法律が間違っています。だって、(聖書のある程度のテキストは)唯一の神が作ったものなのですから。

・ノアの方舟(創世記)…何かの終末予言みたいですが、世に悪がはびこった時、神は人間を作ったことを後悔し、人間を滅ぼすために大洪水をおこしますが、心正しい人(のあ)の家族は助け船を出して助けるという逸話ですね。本当の話ではなくて、これから起きることのたとえを先にテキストで配っていたのですよ。山というのは、キリストが山にのぼって説教したことが多かったことから、キリスト教の険しい山を登る、努力して掟を守って、徳を積んでいくことですね。そういう正しい人には助け船を出すよという教えを書いているのです。歴史的に意味ないです。いつでもそう言えますから。いつも気持ちをひきしめておいて下さい。いつの時代の人でも人間には絶対最後の裁きがある訳ですから、いつも自分のことだと思って、罪を見つめ、予防と更生に進み続ければ、いつか明るい道に出れますよという話です。ここまででも聖書の話は終わりでいいですよ。あとは福音書を読んで戒律を守っていくだけが私(イエス・キリスト)の言いたかったことです。

ただ、もうちょっと知りたいなという人には、話します。

・バベルの塔…バベルというのは狂っているというような意味なのですよ。実は、私にも、彼らが何をやっているのかは分かりません。正しくまじめに生きて下さい。福音書を守っていれば、そうはなりませんが、高いというなら傲慢ですかね。人間は地から積み上げていく科学とかで、傲慢になっていきますよね。全部捨てて下さい。地からつながるものは、金だろうと、欲・執着、どんな表現の何でもあてはまりますが、一切捨てて天にのぼってきてほしいです。塔なんて、何のためにやるんですか?崩れますよね。高くなっていくと。あほですよ。そんなことするの。そういうのに気づかないから阿呆な人を「田分け」っていうんですけど、田んぼって相続のために分けていくと相続分が無くなるくらい分かれていくのに、それをやってしまう人が多かったので「田分け」というのは、大体の人のことなのかな。それがバベルの塔です。阿呆ですっていう話が書いてあります。だから、バラバラに飛ばしたと書いてあります。地につながった人間同士、あまりかかわらないほうがいいと思いますよ。布施するときだけ、貧しい人に施したらいいと思いますよ。天が見ていますから、その人からの報いは必要ありません。そういう生き方を覚える所ということで。

・族長時代…モーセ以前のイスラエル統率者のことを族長といっていますが、暴走族じゃないですよ。まぁ、似たようなものですかね。神から見たら。族長には、アブラハム、ヤコブ、ヨセフなどがいました。彼らの活躍が書かれている所です。ここからはイエスの誕生のときまではユダヤ人にしか意味のない歴史の記録です。創世記11章から、アブラハムはカナンの地へ旅をし、神聖な召しと契約を受
けたとあります。創世記18章からは主はソドムとゴモラの邪悪な町を、天から火を降らせ、滅ぼしたとあります。異世界では、そういう話もあるが、この世界では、これからそれをするぞという警告で書かせた。こんなので歴史を調べても阿呆ですよ。教訓の話なのですから。だから、バベルって阿呆だって書いてるんですよ。科学の学者とか。聖書なんて昔の話、こんな文献ね、今からの教訓しか意味ないですよ。歴史に意味ないですよ。話の内容だけわかって下さい。あとはあまり興味なくて、次にみるところは、創世28章から、ヤコブは結婚し、12 人の息子と 1 人の娘をもうけ、神と聖約を交わしたとあります。創世37章 ヨセフの兄弟たちは,ヨセフが見た示現や,ヨセフに長子の祝福を受ける,生得権があったことへのねたみから,彼をエジプトに売り渡したとありました。誰が何歳生きたかとか全部嘘ですから、こういうのもサタンが入っているので、関係ない話につっこまないこと。今、神が真実と嘘を教えてあげますから、教訓以外聖書は見ないこと。全く意味ないです。お話として、漫画日本昔話みたいな考えでやったんですよ。私が。だから、本当の話かどうかなんて関係ないんで。そこ大事じゃないので見ないこと。何回も言いますけど。創世42:1-47:12にヤコブとその家族はエジプトに移り,ゴセンの地に住んだとあります。イスラエル人ってエジプトにいたのかなぁっていう話が聖書から分かることですよね。いた人もいるし、いなかった人もいるんですけど、話の流れとしては、聖書で進めるなら、聖書の話をのみこんでいきましょうよ。

・出エジプト…出エジプト1-2章で、ヤコブの子孫(イスラエルの民)はエジプトで隷属の境遇にあったとあります。そうですか。かわいそうですね。それがどうなるのかという話から教訓を学びましょう。今では奴隷禁止ですからね。もとの時代はどうで、これからどうならないといけないのかという話に注目するところですから歴史的には、どこまで本当かは、人道的な教訓を学ぶ本ですから、これ、歴史書じゃないですよ。嘘の本ですよ。歴史的には意味ないですよ。違う遺跡とかで分析して下さいよ。当たり前の話ですけど、文章ですからね。何とでも書けますよ。だから、動かない科学的な証拠でそういうのは分析したらいいんですけど、教訓に関しては、面白い話を入れて、書くというのが聖書なんですよ。ししきとか。出エジプト3-4章モーセは,エジプトでの奴隷の境遇からイスラエルの民を
導くために召されたとあります。海を割ったりとか、色々やってくれたと書いてありますけど、モーセというのは大天使ラファエルがやっていたから、海くらい割れても普通です。イエスでもやってない奇跡ですが、ベルゼブブかイエスかと言われると、どっちもどっちですごいことをします。そういうことはありますよ。できますよ。昔、何回か、このような奇跡を見たことがあります。高い波がダー!っと割れていくのですよ。昔のことなので、時間はあまり覚えていないですが、少なくとも2時間くらいは絶対に静止していました。8時間くらいは静止している割れ方を見たように思いますし、私が見たときの奇跡は1日くらい静止していたのではないかと思います。もしかすると2日静止していたかもしれません。今まで、2回・3回は、この奇跡を直(じか)に見たことがあります。毎日色んな奇跡のわざを使ったり、見たりしていると、天上界の者にとっては、これが普通のことなので、1つ1つで驚いたりしないですし、記録もしていないので時間も年月日も覚えていないですが、これは見た人が現存しない奇跡なので、人々がそれを信じなかったとしても、十戒を受け取ったのは本当です。そういうのをハッタリだと思って、嘘つきの人が書いた本が聖書だと思っている人も世の中には多いです。その人にとっては、嘘なので、その人にとっての真実を愛したいなら、そういう所は、訳分からん話だなと思っておけばいいですよ。本当に。自分に足りない教訓だけ学んでも聖書学習の方法です。皆が教会で働くわけじゃないので、自分の生活に活かせる聖書の使い方をしたらいいと思いますよ。私は、神ならそれくらいできて当然だと分かっていますし、神は間違いなくいることを知っています。なぜなら、私はその世界から来た異世界の者だからです。その私からアドバイスすることは、奇跡が見れることは恩恵なんですよ。それまでの歩みが正しかったことを示して神が更に後押しをするときに使っているものです。イエスやランの奇跡のときは、特殊な資料を残したかったので、結構見せていましたが、普段はやらない方がドッキリになって面白いから、滅多に見せないことを基本とし、本当に正しいことをしている人の人生に1回・2回見せるという程度にしています。あなた方の世では海が割れるのは壮大な奇跡かもしれませんが、こちらでは普通にやっている奇跡ですよ。ただ、全世界の歴史の中でも、私は2~3回しか見たことがないから、結構レアなわざだと思います。何兆年も生きている私でも2~3回しか見ていないので、この世ではもう二度と見れないでしょう。モーセというのは、それだけすごい預言者だったということを示す資料です。キリストに次ぐといってもいいくらいの預言者です。ただ、マホメットを入れないといけないので、3番目くらいかなと神は思っています。預言者順位1・2・3位で開祖がいて、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教となっています。私は、こういう奇跡を見たときは、空を飛びながら見に行きましたが、「誰がやったの?キリスト?ヤハウェ?」と天の父に聞いて、「ヤハウェ」と聞いて、「ヤハウェ。やっぱりヤハウェという神様はやることがすごいなぁ。」と思いながら見ていました。昔のことなので、世界に来臨していたときは、その世界の各地で特別に沢山の奇跡を起こしてきたキリストとしては、自分がやったことなのか、天の父がやったことなのかも、もう忘れているくらい常時奇跡を起こしてきたので、自分がやったか天の父(YHVH)がやったのかも忘れているほどなのです。それだけ宇宙規模で大きな奇跡を起こしてきたので、海が割れたくらいではいちいち誰がやったかは記録していなかったです。私はキリストその者ですが、私でもちょっとした力で海が割れるので、YHVHか私か、もうどっちがやったか自分でもわかってないんですよ。息をするくらいの力感覚でそれは起きるので、偶発的に起こしてしまったのかもしれませんしね。それくらい忙しい時期に見たことがあった奇跡でした。ただ、地上から見ると目立つスケールだったので、別の用事の際に空を飛んで通りがかって見ていました。かっこよかったですよ。高い波がバーッと左右に割れて止まっていたのですよ。ここは神祖の夢の世界ですから、そういうことができます。見せるかどうかは、人間には普通の生活をしてもらいたいから、信心を試す意図から普通は見せません。出エジプト5-14章では、エジプトからの脱出の際,主はイスラエルの民を,エジプト人の手から救い出されたと書いてあります。エジプトへの差別ですよね。旧約聖書、もう要らないと思いますよ。福音書ありますから。世界に認められる本になるためには、エジプト批判とか、いらなくないですか。ゆるしの本だったら、そういう時代はあったけど、もういいじゃないですか。これからを見て生きていくなら、教訓だけ残して、歴史なんてどうでもいいって言いたかった。だから、みんなゆるしあって下さいよ。教訓だけは残して生きていって下さい。それが、イエスの言いたかった心ですよ。ユダヤの教えなんて今更どうでもいいですよ。もっとすごいイエスという方が来て教えてくれたのですから、その新しいほうを学びましょう。出エジプト19-40章では、モーセとイスラエルの民は,シナイ山で神からモーセの律法を受け,神殿の機能を果たす幕屋を建てたとあります。それで何なんですか?今更ね。モーセが偉かったらモーセの律法が今もしるしになっている訳ですが、そうではないですよ。

 

ここで、奇跡についての神の教えを書く。

奇跡についての神の教え

1.奇跡というものは、神に近い者への恩恵

奇跡というものは、神に近い者に恩恵として見せるものだ。

2.では、どのような者が、神に近い者なのか

この世界は、まやかしの世界であって、うまく作っているだけで、冗談でやっている世界だ。

この世界の方がフィクションなんだ。この世界がフィクションだと教えるために、たまにキリストの奇跡を起こしてきたが、

それは神の恩恵なんだ。

その奇跡が見れるのは、この世界がまやかしだと知る者に見せるのだから、解脱をする覚者なんだ。悟りを得た者なんだ。世から出て天にのぼる者(天使)に見せるんだ。

3.では、奇跡を見るためには

そこで、(当時の世界最高の超能力者・正体がキリストの分霊であり真理の御霊だった麻原彰晃なんかが教えていた)超能力の訓練では、悟りを得るために勉強をして修行をするという道が流行っていた。それらの仕事は、俺が通る道の整理として、前回のヨハネ同様、俺が来る前に俺の仕事の一部を分身にさせていたものだったんだ。

奇跡を見たいんだったらキリストに近づかないと無理だ。弟子なんて、ものすごく見ていたし、書ける量ではないと福音書に書いてあるほどで、俺も毎日神YHVHから見ているし、天の方からいつも声がするんだが、『インカーネーション』やブログのすごい記事を書くときは、ババババと青い閃光が世界を照らして、世の法則があべこべになる良い事象がたくさん起きて、進む道を奨励していて、ものすごく富んだ。俺は、常に神の行いに満足していたから、神がいて、神が喜んでいて、俺が神といることが俺にとっての幸せであって、ほかに何も求めていなかったから、それらは俺が使った奇跡ではないが、地上にいる間にヨブ記みたいに俺に恵んだんだ。天上界に行って最後にと思っていたら、俺の功績が偉大すぎたために、地上にいるときから、オセロのパーフェクト勝ちの連打と一緒で、この地上で、人生の中頃で早くも中押し勝ちになっちゃったんだ。それもパーフェクト(終局まで最善ルート)で世の試練に勝ってしまった。

4.余人の背反性とその理由

余人というのは、これを邪魔するモブキャラとして作っている。これら余人を天にあげるつもりはなく、世を惑わせるためにわざと作った問題なんだ。

この世界が、定められている結末(選別)に向かっていることは聖書に書かれているから、分かっていることだろう。

そのテストの問題を作るとき、より優秀な者を選別するためには、問題を難問にしないといけない。その問題の難しさを入れるために、こういう大勢の余人を作って、真理の教えをバカにして、そこに向かわせない働きにしておいたんだ。こういう余人にとっては、精神病者に見えるし、そう言われる。

こういった余人が、真理に気づくことはないし、生涯奇跡を見れない奴として作っておいたから、天にのぼって結果的に豊かで幸福になりたい者は、こういう問題のひっかけにかからないように注意しないといけない。

5.問題の難問性(具体的な難易度)

神の作った問題は、そんなにやさしくない。司法試験の問題の作り方で作っておいたから。

だが、司法試験より難しい。

というのも、余人の目に見えない外の本当の世界に気づいて真我を発現できるのは、信じることができる人格面も含めて、天才であって、もともと天にかえるべき者として選ばれた才能なんだが、天の父が作って天から出た者は、それを知っているから、それが本当のことだと分かっているし、天の父が誰か分かる魂を持っているんだ。

6.あとがき(総合的観点から本稿に関連した教えを書く。本稿を切り口にして総合的観点に入っていくから、本稿からは論点がぶれているように見えても総合的にはしっかりまとまっているから人間の価値観で誤った評価をしないように注意しろ。神の御前では一言でも死ぬことになる。アナニヤの夫婦の例で知れ。)

奇跡に言及するなら、自分の位階に応じたものが見れると思っておけ。

この世が苦しみであることは釈迦が言ったことであり、救世主(メシア/キリスト)が来るというのは世が苦しいからなんだ。

そんな世から出ることが幸福への道なんだ(具体的にはまず出家でその意思をあらわせ)。

天に近づくほど、奇跡は、増えていき、かつ大きなものになっていく。

そのために、何においても大事なのは天の徳積みだ。

この神に近づくために、愛を磨く修行が必要だったんだ。

なぜなら、より豊かで創造的になるためには、奪わないこと、損害を与えないことが大切になる。

ここには自分の権利主張による争いも含まれる。

なぜなら、事実誤認や権利の誤解釈もあるからだ。自分の権利のために相手の権利を侵害することは、クリアすべき多重な問題があり、人間にそれらを処理できるものではない。

よって、この裁きというものは全能の神が行うものだ。

そこで、キリストは、裁くなと教えたのだ。

そして、神の教えは人間から遠い存在のものだから、信じることと愛することが必要になる。

キリストがマタイ24で言っている通り、問題文はひっかけばかりにしておいたから、注意しておけ。

これが、キリスト教の鉄人になるための教えだ。これはキリスト教のエキスパート教材だ。それもこれ1冊でテスト問題(試練)で満点がとれるという1冊本なんだ。HPのリンクに色々書いてあるブログの記事も含めて1冊なんだが、特別な霊才が必要とされていたために今まで人間には分からなかった神の試練のパターン別の合格法とパターン別のエンディングまで詳細に書いた試練攻略書なんだ。俺が書かなかったら永久に人類には分からなかったことを書いてやったんだ。キリスト教を会得してキリスト教の恩恵を得たいなら(パンのように真理の教えを食べて、それで育って天の父の木につながる枝になって実をむすびたいなら)、俺の残した教えをしっかり学んでしっかり守って生きていけ。キリスト教を会得することは、その恵みを得ることなんだ。それを教えるのは天の父なんだ。ラビとは他の誰でもない。天の父のみをそう呼べ。だから、YHVHという名を出すのが失礼だと思っている奴は俺のことをラビと呼んでもいいが、俺はもう人の子じゃねぇから、それよりも適切な呼び方で「大天使長聖ミカエル様」と呼べ。天の父の名がけがれないように、わざわざ格を落としてミカエルの名で人間の世界に来てやったんだからな。だから、原始キリスト教をYHVH教と呼びたくない奴は「ミカエル教」と呼んでもいいぞ。同一人物だからな。まぁ、キリスト教だしキリスト教でもいいんだが、パチモンが出すぎて、カトリックみたいなのとは区別したいから、独自の名称で「ミカエル教」又は「アラー教」とでも呼んでおけ。今までYHVHという文字を多く書いてきたが、実は人間があまり呼んでいい名ではないんだ。俺だから人間と区別して書いて呼んできたんだ。YHVHという名は、特別なミカエルやその側近、位階70位くらいの菩薩までしか呼んではいけない名なんだ。だから、俺のことは「主であるのに地上に来た大天使長聖ミカエル様」又は短く「大天使長聖ミカエル様」と呼べ。

『インカーネーション』での最高神兵長エレスとのやりとりで紹介した通り、正義の表象である俺だけは、神YHVHのあやまちすらただす権利が与えられていて、神神YHVHが作った全ての蓋然性をひっくり返す特別な秘術を授かっている。俺がゆるすと天の父に願えば、その者の天への罪すらゆるされるんだ。選民とは俺についてくる者のことだ。地上がゆるされたいなら地上が俺の意志に従え。個人がゆるされたいなら、個人が俺の意志に従え。

まぁ、俺が神祖YHVHだから、1人2役でそれらをしているのだがな。エレスも俺の分霊だから、エレスをあやつっていたのも俺だし、エレスは俺の苛烈な戦闘タイプ・掟を守る目的遂行タイプの性格を表象したものだ。

この教えは、星の光のように遠い後の時代の者に向けても書いているから、「2000年代に書かれたこの教えがはたして今も有効なのだろうか?」と不安に思う奴がいるだろうが、この教えに従って生きた者には神は近くにいたと知れることはドラマティックでYHVHが好きな話の作り方だから、それまで目に見えなかった神との出会いに感動するために、あえて身を引いてめったに出ないようにしているんだ。信じることができる者が、信じて徳を積めるようにするためにもこうしてるんだ。徳は得からきているが、キリスト(俺)が説く「説く」からこっちが作った言葉なんだぞ。徳とはキリストの教えを守ることなんだ。大事な教えをしめの言葉にするが、徳積みをして生きていけ。多く守っていけ。説かれた言葉を全部守っていけ。神に悪事を働けば一発で地獄に行くが、それ以外の悪事であればこちらの対応は徳の高い者には寛容的に対処している。

 

・民数10-32章にイスラエルの民は,密偵の真実の報告を拒んだために,荒野を 40 年間旅したとありました。本当かどうかは、さておきとして、契約違反はダメですよね。当たり前の常識です。神との約束(掟)は守って下さい。良いことをすれば、良い報いがあります。悪いことをすれば、悪い報いがあります。そのルールが神との約束、掟として書いてあったことなのです。それは今は通用するものは新約で全部拾っていますから、旧約は読まなくていいです。ここは、何が書いてあるかという解説をしている記載です。

・聖地カナン征服…モーセの代わりにヨシュアが指導者になりました。そのヨシュアは戦いに勝ちまくって、聖地カナンを征服した話です。ユダがイエス(ヨシュア)に期待していたのは、ここなのですよね。それをしないので裏切って売りました。

・ししき…ししきも全部要らんので飛ばそうと思っています。読めば読むほど旧約ってくだらんくなってくるのですよ(笑)。ざっくり書くと、この頃の話は、ヨシュアが死んでから、指導者がいなかったんです。指導者がいなかったので、人々は不信仰になっていきました。その不信仰さが原因で、外敵に襲われ続ける話が書いてあります。このイスラエルの危機を救うためにしし達(ギデオン、サムソンなど)が現われて、指導者の役割を果たしました。士師3:12-30 エホデはモアブの王であるエグロンを殺害し,イスラエルを80 年間裁いた。士師4-5章 ヤエルがカナン人の軍勢の長であるシセラを殺害し,デボラとバラクはイスラエルを 40 年間裁いた。士師6-8章 ギデオンは小さな陣でミデアン人を打ち破り,イスラエルを40 年間裁いた。士師11-12章 エフタはアンモン人を破り,イスラエルを 6 年間裁いた。士師13-15章 サムソンはペリシテ人からイスラエルの民を救い出し,イスラエルを 20 年間裁いた。こういうのは、どうでもいい人にはどうでもいいので、もう読まずに講義室から帰っていいですよ。新約聖書の所も、ここでやる話じゃないので。福音は真理の戒律が大事なので、毎日食べるパンですから。3食くらいおごるので、毎日3時間くらい読んで、実践するのが福音書のまともな使い方です。

・下にルツとか書いてありますが、もう要らんと思うわ。話すこと何もないので。教訓もないので、全部飛ばしますね。新訳からやってほしいですが、ちょっとまだいきますか。ざっくり新約までつなげます。

・統一王国時代…最後のしし「サムエル」が王制を導入したために、イスラエルは統一王国になりました。これは大事なデータですね。一番大事なししかもしれませんよ。そしてサウル、ダビデと有名な王が続きました。えらそうですね。いらんと思う。王なんて。ソロモン王の頃にはイスラエルが全盛期を迎えます。今でもソロモン賢いとかすごいとか言われてますよね。私をたたえてほしいです。

・南北王朝時代…歴史みたいな話しますが、ここから結構正確になってきます。ソロモンが死んでから、イスラエル王国は南北に分裂します(南=ユダ、北=イスラエル)。異教の神を崇拝する人々が増えて、それを批判する預言者(エリヤ、エリシャ、イザヤなど)が活躍します。このときに言ったことが今でも当たっているというものがありますので、やっぱりYHVHすごいなって感じにしておきました。それでも人々は神に背き続けたため、南北王朝どちらも滅んで、南王国ユダの人々はバビロン捕囚になったということが書いてあります。だから、駄目だってことが書いてあるんです。アダムとエバの原罪は「神への背き」だったので、ここをちゃんと改めないと繰り返しますよ。いつまでも。そういう教訓を見るところです。

・エルサレムへ帰還…ユダヤが分裂(ファリサイ派、サドカイ派、エッセネ党、熱心党)します。ローマによってユダヤが征服され、ヘロデが王になります。ここまでですね。ここまでがイエスの誕生までの話でした。ざっくり大きな流れが分かりましたよ。ここまででいいですよ。旧約って。

あとは、キリストが出てきてからの話は多すぎて、こんな所に書けませんわ。ブログで福音書を1つ1つ読み解いていって、そのわざのすごさを知って、予言書として、あなた方の不幸を回避する毎日の糧、パンとして食べていって下さい。必ず良い事ありますから。

では、頑張って下さい。困っていることがあったら、問い合わせを。私達は、いるときまではいますので。消えてからは、どこかの教会がやって下さい。教会を作りたいというなら、こちらに問い合わせをして下さい。宗教法人の作り方を教えますので。弁護士も行政書士も待機していますからね。任せて安心です。

難しいことやってもダメなので、簡単なことできることをやって下さい。皆が守れる法をイエスは解いたので、守るべき掟に関しては(証明理論ではなく)難しいことは1つもありません。理論証明をみたほうが守れるんだったら私達のブログを読んで下さい。戒律だけ守りたいなら、福音書だけでもできます。私の福音書を読んでも、私のは4巻もいらないので、1巻だけでいけるので、ブログを読めばいいですが、信仰する気があるならどれか1ブログだけでもいけますよ。ただ、信仰できない人、立証論をおいたい人用に色々増やしました。レミエルのやつとか、天照のところのブログは良い教科書ですから、おすすめしておきます。何といっても私の最後のほうに書いたものほどよいものですけどね。何読んでも良い質です。それは必ず言えます。全員が神か大天使の預言者ですから。これは贅沢な大福音書です。必ず食べて身にしていくパンにしましょう。あなたを育てる言葉のパンです。よき成長を。

分かりやすく聖書をマスターする書物

主が書いた再福音書

主が書いた福音書の掟の一覧(新約福音書)→イエスの律法を日常生活に反映するためのルーチン表を作成

聖書動画紹介

私が作ったものだが、地上では人間が著作権を主張するだろう。しかし、公共的聖書教育の普及のために行うものについては著作権が発生するべきものではないし、無料で行っているため、著作権法35条及び38条により公表してよいものになっている。

連続再生をして耳から入れる方法もあるので、紹介しておく。

完全なマタイ福音書 日/英 https://allahyhwh.web.fc2.com/bible/40.html を照らし合わせながら観ること

新約聖書『ルカ福音書』の教育映画『ジーザス』

新約聖書『ヨハネの福音書』 フルムービー:イエス・キリスト- Full Movie Hd_ Japanese G

イエス・キリストの遺言

新約聖書『使徒行伝』 イエスの復活後、聖霊が信者たちに送られます _ 第1章から第7章 _ Japanes

 

なんと、こちらの映画『ジーザス』のシモン・ペテロ役の秋元洋介さんにアスモデウス役をやってもらったという豪華キャスト。こちらが制作したアニメ『大天使ミカエルインカーネーション』ED。
https://video.fc2.com/content/202311204ZU6yR9F
どこで登場しているかは聴けば分かる。ききとりにくい場合は、こちらのED動画の方がわかりやすい。
https://video.fc2.com/content/20231118SRnSf5vy

ベルゼブブ役の方がいいと思ったが、ベルゼブブ(天使をしているときは大天使ラファエルや神をしているときはバアル)の声は俺(ミカエルと神祖)がするということで神祖から依頼がきたので。

『大天使ミカエルインカーネーション』とは、旧約聖書(ダニエル書)やヨハネ黙示録でチラチラ出ていた大天使ミカエル(受肉者=人の子の再臨者)の聖書の裏話を史実通りに再現した作品。本人制作。

御国の教え(神の言葉)の理解が深まるのであわせて視聴するように。天国が近くなる。フルアニメ版も作ったが一般公開する予定は無い。フルアニメ版がみたかったら、作り方をFC2動画説明文に書いておいたので、その動画と説明文をみて、信者が作ればいい。いい仕上がりになったら俺達もみてみたいよな。公開しているものはブログで書いたテキスト版とHP・動画サイト公開分と使用した台本URL分。

 

法令の根拠はこちら

著作権法
第五款 著作権の制限
(営利を目的としない上演等)
第三十八条 公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。

自作していない映画の掲載に関しては著作権がどうとか思っている人が多いが、内容が聖書の文書の読み上げになっているから、映画としての著作権はあるが、内容に関しては著作権はないし保護法益は圧倒的に低い。なぜなら、キリスト教は営利に使うものではないからだ。むしろ学校教育で使うものだから。そして、法38条の範囲で著作者の権利は制限されているし、どのみち結局50年又は70年で消滅する権利だから、長年掲載するものに関しては、掲載して宣教に使う方が益は遥かに大きい。

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マタイ25章1~13節の選民審査申請

選民審査申請

キリストの公生涯活動見取図

セントラルHP

注意書き

注意書きとしては、日本語の聖書の訳のレベルは英語の3倍低いので、
一番良いのはギリシア語をそのまま飲み込む読み方がいい。
日本語訳は、完全に間違えているときがある。
この間違いが起きている理由としては、聖書の意味を分かっていない人が訳しているために、1つの単語でも普通は4~6個くらいは
意味がある。その中から、1つの文を作るとなると、キリストの心が分かっていない人だから、
流通している聖書の全文を読んだが96%くらいは当たっていたが、残り4%くらいは、どの聖書も間違えているので注意すること。
俺の聖書も、日本語よりも英語のほうをあてにしたらいい(ちゃんと書いているときもあったのだが、多くをコピペでバーッとはっていたらごめんな(苦笑))。
だから、ちゃんと英語のほうを載せているだろ。日本語は書いてない所もある。
特に預言者の預言になると無茶苦茶になってくる。当時の人にとって意味不明なことを言っていたのだからな。
コピペしたときに訳が間違えているのが分かっていたが、こちらも他にやる仕事が多いし、難しいことをやっているのだから、
俺一人しか聖書について正しく書ける存在が天上にも天下にもいないのだから、
細かい案件にぐちゃぐちゃ入っていかずに、まずは形を作ることが大事だったし、
そこは、ここでちゃんと解説をしているし、前に書いた記事でも解説をしているから、
文句を言わないこと、そして、聖書の訳をあてにせずに、俺の教科書をあてにするように。

ここで、全部を書き直しているから、それでいいだろ。

主が書いた再福音書

主が書いた福音書の掟の一覧(新約福音書)→イエスの律法を日常生活に反映するためのルーチン表を作成

第3世代のコイネ・ギリシア語福音書なんてあてにするなよ。
すれて、無責任な訳で版が出回っているからな。内容は、かなり嘘になっているからな。キリストが言っていないことを書いている聖書が世の常で出回っている。
ローマで廃棄されたものについては、俺達しか知らない内容だ。
俺が書いたテキストが全部もともとの形だからな。
今回はネットで公開できる時代になったから、わざと意味が通じない言い方をしていた所の解説を沢山入れておいた。
聖書は俺についてあかしをする書物だから(ヨハネ5:39)。
嘘の教会が出している聖書で勉強するのか、それともキリストが書いた聖書で勉強するのか、それは読者が自由に選択して天国の門か地獄の門かを選んで入りなさい。