2004年の4月頃、上祐氏はロシア担当の者達に約束したとおり、何人かのお付き引き連れてロシアにやってきた。ロシア人たちも大いに喜び、普段全くやってこない人たちも多くやってきた。モスクワだけでなく、モスクワから遠く離れたところや、ロシアの近隣の国からも人が集まってきた。上祐氏は集まった人たちに話をし、縁があった人たちと個別に話をしたりもした。空いた時間は、モスクワの街中を散策したりもした。
上祐氏がロシアへ赴いたことは、大々的にマスコミに報道もされた。これはロシアの当局においても問題視されたようで、後々ロシアの活動に制限を加えられることになった一因ともなったような気もする。ただ上祐氏としては、ロシア人たちがかなり堕落してしまったように思えたようで、ロシアでも大々的に出家制度を確立していくようにする考えを述べた。しかし、当局としてはあまりにも派に活動をすることを良しとはせず、出家制度のことを大々的にロシア人たちの前で語ったのは、問題視されてしまっても仕方ないようにも感じる。また、ロシア人はその気になってやるときはものすごい集中力を発揮するが、それが長続きしない傾向もあった。だから上祐氏が訪ロしてしばらくは活気付いていたが、だんだんそれもなくなってしまった。これは教団においてよくある傾向だが、ロシアでは特に強かったように思う。
それはそれとして、ロシアでも一定の成果をあげて、上祐氏の活動も更に大きなものになると感じていた私の予測は、それから数ヶ月後に完全に覆されることになった。