草加施設での会合 | 『幻想の崩壊』 オウムとはなんだったのか?

『幻想の崩壊』 オウムとはなんだったのか?

以前オウムにいましたが、そのときのことを振り返り、記録として残しておこうと思います。

教団が草加市に新しい施設を確保して、そこで頻繁に会合を行っていた時があったが、私はその時期にはロシアに行っており、会合に参加できない時の方が多かった。一度たまたま会合のある時期に帰国していた時があり、その時に初めて草加の施設に行った。

そこは元々倉庫だったところで、関東にある施設としては、富士宮や上九一色村にあった施設に引けをとらないほどの広さを有していた。ワンフロアで全サマナが集合できるほどであった。その会合では久しぶりに会う顔も多くあり、私は懐かしさを感じた。何人かが私に声をかけてきて、ロシアの様子を聞いたりしてきた。私は逆に日本の様子を尋ねたりした。

会合では、まず事件は教団が行ったのであると上祐氏が語り始めた。私としては以前からわかり切っていたことであり、今更の話題であったが、一人の女性が本当に教団が事件を起こしたのかと、上祐氏に尋ねていた。その人は今の今まで本気で事件は教団が起こしたものだと考えておらず、上祐氏の言葉に心底驚いていたようであった。一般的な感覚では、事件から何年もたっているのに、未だにそのようなことを言うのはおかしいと思うが、教団では外部の情報を入れてはならないとされており、それを忠実に守る人も多かった。私は真実を知りたいと思っていたので、比較的積極的に外部の情報を取り入れていたが、それを同じ部署の者から非難されることも度々あった。教団ではおおっぴらに事件のことを話すのは、タブーのようなものだったから、外部の情報をシャットアウトし、教団内の情報しか接していないと、事件は教団がやったものだと考えない人が出てきてしまう。これはやはり異常な事態であろう。

上祐氏はその女性に事件のことを説明し、更に世間では教祖と教団のイメージは著しく悪く、このままでは教団の発展は望めないということで、教祖の信仰を表立って出さない改革路線を牽くことを、サマナ全員に提案をした。その時は全面的に教祖の影響から脱却するのではなく、あくまでも表向きは教祖の影響を出さず、実際には教祖への信仰を貫くというものであった。

私は外部の人たちと接していたから、いかに教団と教祖の印象が悪いかを、全然外部の人たちと接しない人より理解していた。だから改革は必要であると思い、上祐氏の全体への話が終わった後のグループディスカッションでは、改革を行うべきであると、私のグループにいた人たちに訴えかけた。そこでは全面的に賛成しない者もいたが、大きく反発する者もいなかった。グループディスカッションの前に、道場活動を行っている人たちから、改革の必要性を訴える発言がいくつか全体に対してなされた。その時点では改革の必要性を訴えていた人も、現在では上祐氏に反対の立場の人も多い。結局のところ教祖の呪縛から解き放たれていない人が多いのである。

全体の会合が終わってから、上祐氏にロシアを担当している者で、その場にいた全員が集められた。そこでロシアの状況を聞かれ、それから上祐氏はそのうちロシアに実際に行くようにしたいと言った。私は上祐氏はロシアを担当していた時期もあり、多くのロシア人に慕われているから、上祐氏がロシアに行くことで、ロシア人たちも喜ぶし、活動も活発になるだろうと喜んだ。それから数ヵ月後、実際に上祐氏はロシアに赴き数日間滞在した。これで日本もロシアも、上祐氏が中心になって動くことで、活動が活発化するだろうと期待した。しかし、事はそのようには運ばなかった。