10月2日・流産手術のこと、そして、これからのこと | KOZUE’s diary☆

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きっといつも見守ってくれているお空にいる2人の子供たち+私たち夫婦の何気ない日々とたくさんの大好きなことを綴っていきます。時々は悲しい気持ちも綴りますが、前向きな気持ちは忘れていないつもり。毎日を大事に生きてみよう☆

コメントを下さった方、あるいは個人的にメールをくださった方、本当にありがとうございました。「かける言葉がみつかりませんが・・・」と言いながらも優しい言葉を下さり、とても温かな気持ちになれました。これから生きていく上での勇気をいただいたような気がしています。


この場を借りて、感謝の気持ちを。皆様、本当に、ありがとうございました。


☆これより先、再び長文につき、ご注意を。↓







10月2日、朝9時には病院へ、とのことだったので


ちょっと早めに、と思い8時半には病院へ到着。


歩いて30分ほどの場所にある病院だったので、夫と二人歩いていきました。緊張や不安でいっぱいだったせいか、ほとんど無言のままに歩き続けていました。


病院へ着くとまず、用意していた書類を提出し、保証金など支払い。(5万円。退院の際に実際の金額を計算し、残りは返金されました。)


そして病室へ案内してもらいました。


案内されたのが大部屋だったので、ちょっと嫌だな・・・と思いましたが中に入ってみたらベッドとベッドの間が壁で仕切られていたので、さらにカーテンを閉めてしまえばほぼ個室のような感覚で使用できたのでほっとひと安心。


着替えを済ませ、ベッドで横になって待機していると、看護婦さんがやってきました。


点滴をするのだそう。(ブドウ糖?かな)私の血管はすっごく細いので、点滴や採血の際には、毎度毎度看護婦さんには困られる。


その看護婦さんも、私の血管には困り果て、太い針を2回も変えてやり直して努力してくれたんだけれど、20分奮闘した結果、断念。


「ちょっと待っててくださいね、その間しっかり手を温めておいてください。」と言ってどこかへ行ってしまった。


その間に夫に、針を入れられ、血管を探されている間どれだけ痛かったかを熱弁。痛みを我慢していたので、全身冷や汗をかくほどでした。


本当に、本当に痛かったです・・・


そして10分後、別の看護婦さん登場。


「ピンチヒッターです。私がこの病棟で一番上手いんだから任せてねッ!さっきは痛くてごめんね~」と。


しかししかし、なかなか入らず。1本目の針では無理でした。


針と場所を変え、今度は成功。うん、たしかにこの人の方が痛くなかったかな。


「たぶん、今日で一番痛いのはこの作業だったかもね、何度も痛い思いさせてごめんね。あとで筋肉注射するけれど、そっちは今のに比べたら何でもないよ~手術も意識のないうちに全部終わってしまうから心配しないでね。」と言っていた。


この時点で既に9:50。やっと点滴スタートです。(500ml×2本のうちの1本目。)


それから、手術に関する段取りなどの説明を受けました。


11時位に筋肉注射(麻酔の効きを良くするため)→11:15手術室へ移動→吐き気止めも点滴に加える→麻酔も静脈からなので、点滴に追加→意識のないうちに手術終了→11:40ごろ病室へ戻る→意識がはっきりしてきたら飲食可。→しばらく休む→3時~3時半診察 で帰宅可。とのことでした。


11時までは、夫と他愛無い話をしながら過ごしていました。夫は朝食を食べていなかったので、コンビニでお弁当を買ってきて食事を済ませたり。私は前日22時から手術終了までは絶飲食なので、我慢。水分摂れないのは、ちょっぴり辛かったです。


11時ちょうどに筋肉注射。さっきの作業に比べたら、痛みなんてないに等しい感じでした。


それから10分後くらいにストレッチャーに乗せられ、手術室へ移動することに。

夫とも離れ離れになるので、不安だし、緊張するし、赤ちゃんともいよいよお別れ、と思うと胸の奥がジンジンと痛くなるような感じでした。


手術室へ到着。吐き気止めと2本目のブドウ糖を追加されました。

「だいぶ緊張しているみたいだから音楽かけようか?」と看護婦さんがCDをかけてくれました。ジブリ作品のサントラだったと思います。オルゴールみたいなのだったかな?


魔女の宅急便がかかり、トトロのネコバスのシーンにかかる音楽(けっこうリズミカルな楽しい感じのやつ。)になったあたりで、点滴にもうひとつ加わったので、「あれが麻酔かな?」と思いました。先生(女性の方でした)もいるけれど、まだ手術する感じでないような雰囲気だな~と思い、音楽を聴きながらぼぅ~っとしていました。


「こずえさん、目、あけてていいからね~。大丈夫、心配しないでね。」と看護婦さんが言っていたので、目はしっかりと開けているような意識でした。(看護婦さんは、私をずっと「こずえさん」と名前で呼んでくれて、嬉しかったです。私は「こずえ」という名前が大好きですから。)


先生と目が合ったかな~と思うと、それが夫の顔に変わり、手術室の天井がだんだんにきれいなピンク色になりました。ピンク色の壁が、ピンクのバラででできている、とだんだんにわかり、とってもきれいなので、私はその一面バラでできた部屋の中を、ネコバスの音楽に合わせ、ずんずんと歩いていくことにしました。


ピンクの部屋は実は立体迷路になっているようで、曲がり角に来るたびに、夫がそこには立っていて、「こずちゃん、頑張って!」と声を掛けてくれました。何回か角を曲がり、何回か夫に会いました。そして角を曲がる度に、「カチャ、カチャ」と金属音がしていました。それはきっと先生の使う器具の音なのかな?とふと思っていると、少しだけお腹が痛いような気がしました。角を曲がろうとすると今度は夫ではなく、そこには先生が立っていました。


ピンクのバラで出来た壁は、ただのピンクの壁になり、それから蛍光灯のついた白い部屋になってしまいました。


「こずえさん、わかる?終わったからね、旦那さんのところに戻ろうね~」と言われ、「あぁ、麻酔にかかっていたのね」と初めて気付き、楽しくてきれいな世界が終ってしまったことがちょっぴり残念でした。麻酔は、想像していたのとは違う世界でした。


部屋に戻ったのは12時ちょうどくらいだったかな。意識がはっきりするのには個人差があり、2時までにはだいぶすっきりすると思う、と言われていたので、しばらく朦朧とした状態が続くのかとも思っていましたが、部屋に戻った頃には、良く寝た後みたいにすっきりとしていました。


とにかく口の中がパサパサのカラカラで「早く何か飲みたい!」の一心でしたが、飲んでいいかわからなかったので、取り合えず、口の中を湿らせようと思いました。うまく声が出せなかったので、ジェスチャーで夫にバッグの中のハンカチを濡らしてくれるようお願いしましたが、うまく伝わらず、鏡を出してくれたり、お財布を出してくれたり、カーディガンを出してくれたりして、まるでコントのようで、2人で笑っていました。


やっとハンカチを濡らす、という正解にたどり着き、夫からハンカチを受け取るとそのハンカチで口の中を湿らせて、ようやくうまくしゃべれるようになりました。今度は飲み物を飲みたくなり、夫に看護婦さんのところへ確認をしてもらいに行ってもらいました。


「看護婦さん、もう意識がはっきりしてるの?って驚いてたけど、OKもらってきた~」ともう既に手には飲み物を持って帰ってきた夫。ゴクゴクと飲み干すと、元気な気分になってきました。「何か買ってきてあげる」と言うので、シュークリームが食べたい!とお願いしました。


戻ってきた夫は「シュークリームなかったからクレープ買ってきたけど、ええやろ?バナナもチョコも入っとるしな、こんなん、こずちゃん好きやろ?」と、ちょっと得意気な顔をしていたので褒めておきました。甘くて冷たいものが良かったので、とっても美味しくいただきました。


コンビニに行ってくれたときに、夫は母に電話を入れてくれたようでした。「お母さん、心配してるだろうと思ってな、電話しといたで~。」ということでした。


診察までは夫とひたすらおしゃべり。ただ、点滴のせいで顔がムクムクにむくみ、膀胱もパンパンになっているのになかなか排尿できず、困りました。(トイレには行ってもなかなか出せないのです。)


3時半、診察の時間になり、子宮の中がキレイになっていることを確認し、薬をもらい(抗生剤、子宮収縮剤)会計を済ませ(\18,000位)、やっと終了しました。


帰宅すると、急激にものすごい疲労感がやってきました。こんなに疲れを感じたのは久しぶりなような気がしました。もう疲れてどうしようもなかったので、すぐに横になり、20時くらいまで眠りました。夫はその間に泳ぎに行ったみたいでした。起きたら夫はいなかったので、シャワーを浴びてさっぱりしておくことにしました。シャワーを浴びていると、突然に嗚咽するほど泣き始めてしまいました。自分でもびっくり。


その日初めて泣きました。きっと、ずっと気が張っていたのかもしれません。


夫が帰ってきたので、大好きなお好み焼き屋さんへ行くことにしました。夫も私も、ご飯を作る気なんて全くなかったし、そのお好み焼き屋の、「マーミナーチャンプルー」がとっても食べたかったのです。


軽く食べ、早々に帰宅し、23時には就寝。二人とも、疲れていました。


翌日も、夫は休みをとってくれていました。朝は二人ともほぼ同時に起床。夫の目が真っ赤でした。泣いていました。「子供の、夢を見ただけ」と言っていました。夫にまた悲しい思いをさせてしまったことに、胸が苦しくなり、私も一緒に泣きました。


そして、きのう、よーく話合ったこと。


・染色体検査の結果は聞かないことにする。

(私たち夫婦の場合、染色体異常があるとしたら、私の方に原因があることは明らかな状況です。そして、染色体異常がある場合に、正常妊娠ができる確率はごくわずかです。ほとんどの場合、第1子のように産まれてすぐに亡くなってしまうような重篤な疾患を持って産まれてくるか、今回のように、とても早い段階で成長できなくなるか、ということになります。)

そのような事実を明確にして私が深く傷つき、責任を感じるようなことがあってはならない、という夫は言ってくれました。


・子供は2人も授かることができ、それだけで大きな喜びであり、今後はお空にいる我が子2人と、私たち夫婦2人だけで生きていく。

(私たちは夫婦二人だけでも、とても幸せなのです。子育てをしなくては得られないないような素晴らしい経験、も選んでみたいと思っていましたが、これ以上にお空に子供を還すようなことはしたくありません。子育てをしないからこそできる素晴らしい経験に出遭う努力をしていきたい、と思います)



「若いのだから、これからいくらでも子供に恵まれるはず!大丈夫!」と励ましてきて下さった皆様、残念ながら私たち夫婦の場合、その選択肢はなくなりました。でも、そう信じて第2子を授かることができたことは、大きな喜びであり、幸せであることには変わりません。ありがとうございました。


「着床前診断」というやり方には、私たちはどうしても賛同できない部分があるので、その選択肢もありません。それから、染色体検査の結果、「異常なし」の可能性もあるかもしれません。その場合にはいつか健康な子供をスムーズに妊娠し、出産したかもしれません。でも、「異常あり」である可能性を示すであろう条件がある私の場合、検査結果を明確にしてしまうことが本当の幸せにつながるのか・・・


繰り返しますが、今、夫と二人、とても幸せなのです。子育ての経験ができなくても、きっとこれからもずっと同じテンションで、あるいはもっともっと幸せでいられる、とはっきりと言えてしまうのです。今とこれからの幸せを大事に、二人の我が子への想いを大事に生きていきたい。


もちろん、両親に孫を抱かせてあげたかったし、夫のことをきちんとパパにならせてあげたかったとも思います。でも、私の大事な両親と、夫が「これ以上にこずえが傷つく必要はない」と言ってくれるので、甘えてしまうことにします。


その代わりに、両親や夫を大事にして生きていこう!と改めて誓いました。


いろんな意見があるかもしれません。何が正解、ということももちろんないと思います。

でも、2人で、よーく話して出した答えです。私たちにはこれで良い気がします。もう何も迷っていません。



最後に、きっと私は皆様にご心配いただいているよりかはずっと元気です。大丈夫です。


また、毎日をマイペースに笑顔で大事に生きていこうと思えていますから。