パチモンとは二神教であると思う。


 二神教、などと聞くと聞きなれない方も多いかもしれない。基本的に宗教というと、一神教、つまりキリスト教やイスラム教に代表されるような、ある絶対的な神が存在し、それ以外は認めないという、排他的な信仰を教義とするする宗教。(*ただし、イスラム教においてはキリスト教徒及びユダヤ教徒を「啓典の民」としてその存在自体は認めている。」


 一方で、日本の神道や古代ギリシャの神々、あるいやアフリカの土着の宗教、いわゆる精霊信仰などにみられる多神教、一神教のような厳格さはなく、非常におおらかな、悪く言えば非常に俗的な部分も持つ宗教である。


 どちらが正しいとか、上下云々をいうつもりはない。基本的に宗教というのはどちらかに該当するケースが大半である。


 では二神教とは何か?最も代表的なのが、というより数少ないそれにゾロアスター教というのがある。


 どういう宗教かというと、善の神(アフラ=マズダ)と悪の神(アーリマン)というのが存在し、どちらかが滅びることはない。必ず両者は存在し、また、悪の神が強ければ強いほど善の神の存在意義が強まる、という考え。


 これを「善悪二元論」という。


*知っている人は知っているかもしれないが、あのスター・ウォーズのプロットに使用されている宗教がこれである。


 実は善と悪の側に立つのはその人の意思に委ねられる。ただし最終的には善の神が悪の神を滅ぼし、悪の神についた者は全て滅びる、という考えである。


 救済という概念が最初から存在しない。


じゃあ最初から善の側に付けばよいのではないか?その方が安全で最後まで得をするのではないか?と思うかもしれないがそうではない。


 自分は映画は見ていないのだが、熱心なマニアの方は多く、そういう方の話だと、悪の側というものはつなわち人間の悪い面、すなわち私利私欲、あるいは目先の欲とかそういうものがあって、一方善の側はそういう欲を極力セーブしなければならない。使おうと思えば使える能力があっても抑えなければいけない。そこに葛藤があるということである。


 ・・・・と話がそれてしまったが、パチモンには多少意味合いがそれてしまうけれども、少なからずこの二元論、善悪二元論ならぬ、


真贋二元論


とでも名づけておこうか、そういう概念が存在していると思う。


 つまりである、なぜパチモンが面白いのかというと、それだけ本物に価値があり、魅力があり、またパチモンにはなり作り手の苦労がある、ということの証明である、ということが重要なのである。


 例えば以前に紹介したもの(といっても数えるほどしかないが)の本物を用意したとする。果たしてそれが誰にでも購入できる価格だろうか?お土産として印象に残るものであろうか?手に取った人がどこまでその価値を理解しうるだろうか?人に見せることが目的で買うとしたならばインパクトの伝わり方は?


 パチモンにはそういったものにつき好要件を備えたものが少なくない。これは非常に重要なものである。


 例えば江戸時代の伝統工芸というのは往々にしてそういうものが多いのである。


 箪笥や机、そういったものは見えないところに手をかける。そこに最大限の労力をつぎ込み、その仕上がりをごく自然に、何も仕事がなかったかのように仕上げることが最上の仕事とされてきた。


 しかし、今日、これを手に取った人の何人がこれを理解できるかは難しいと思う。まして外国人へのお土産となると、それも手ごろな価格でとなってしまったら・・・


 そうなると見栄えがし、インパクトがある、そして値段も手ごろならばパチモンの存在感は大きい。真贋のうちであればもちろん「贋作」であるけれどもその誘惑たるや目の前にきて去ることはない。


 いずれ滅びるとわかっていても選択してしまう悪のようなもんで、それは仮に最後の審判が本当に存在するとして、実際のその審判が来たとき、実際の滅びなきゃーわからない。そんなもんである。


 しかし、だからといってパチモンを買うことが悪いとは思わない。 (というよりそれをやめたら自我の崩壊ってぇ奴だぜ旦那ァ~。)


 というのはである、パチモンを買うというのはある意味本物を見ることであって、その本物の存在を知れば知るほどパチモンの滑稽さの理解も深まるということであって、それができるのであれば、また買うことにも価値があるんじゃないかと、そういってまたパチモンを買い続けているのである。