いつの間にか、ブログをお休みして2ヶ月が経過していました。

この間、元気にはしていました。ブログを書かなかったのは、特別な理由はありませんが、

ここ数ヶ月で色々と自分の生き方や身辺の変化があったからでしょうか?

この2ヶ月で、猛烈に仕事もしましたし、色々な所にも行きました。インドネシア、アメリカ

このブログも、福岡に帰る途中でシンガポールのchangi国際空港より書いています。

学会で、マレーシアのボルネオ島にあるクチンという街に行っていました。

APOAというアジアの人を中心とした学会です。

学会は、アメリカの学会よりも和気あいあいで楽しい学会でした

ここで、日本の医療のレベルの高さをまた再認識しました

今日は、帰る前に久しぶりにゴルフをしました

マレーシアは、私が以前大学生の時に訪れたときよりも遥かに都会になり

とても栄えていました 車も日本の車がどんどん走り、観光もあまりない街でしたが

非常に近代的なビルも多く綺麗な街でした。ここは、以前は英国領であったことから

ヨーロッパを思わせる、町並みや道路が今でも残っていました。

100年以上、英国領でその後太平洋戦争で日本が占領し、その後戦後マレーシアとなったようです

今では、当時のものはあまりないようですが、カタカナでボルネオホテルと書かれたホテルが

あったりして、当時の影響かなとも思いました。

マレーシアの人も裕福な人も多いようで、大きな自宅や高級な車は日本以上に目立つようでした

ゴルフ場も、今日は土曜日でしたので我々以外はマレー人の人たちで、日本とあまり変わらない光景

でしたが、一つ驚いたことがありました。

それは、祖末な服を着てゴルフコースをうろうろしている子供がいたことでした

なんとその子供たちは、ゴルフコースにたくさん池があるのですが

その池の中に入り、池に落ちたボールを拾っていました

あるホールでは、玉を打とうとしたら池の中に頭だけだした子供が4人いました

そして、tee graund の横の茂みの中に人影がと思うとなんと子供が、ボールを袋からだして

売ろうとしていました。

かたやゴルフに興じる人々、かたやロストや池に落ちたボールを広い売っている少年

なんだかとても複雑な気分でした

日本のゴルフ場では、池に数えきれないぐらいボールが沈んでいるところもあるのに...

日本にはないアジアの縮図をみるような感じでした

また、永遠とも感じるボルネオのジャングルをみてかつてここに送られた日本の兵隊の方は

さぞかし大変であっただろうとおもいました。まだ、これから先のインドネシアやニューギニア

まで、送られてそこで亡くなられた方もとんでもない人数がいる事を今の日本の若い人が

どれだけ知ることかとも思いました また戦争の事実も自分も含め知らない事が多いと思いました。

南国ののんびりとしていて、笑顔のいいマレーシアの人をみていて

このような生き方もあるのだなとも感じました。

この夏は、近代の歴史の本をたくさん読みましたので、現地に来て色々と考えました

自分たちは、教育を受けていないことも知りました

さて、もうすぐ出発です 目が覚めたら福岡ですね