2020/01/18

 

吉野 敏明さんのFB記事の紹介。

 

【吉野院長のつぶやき、その95 汝、自ら理不尽を求め、恐怖と忍耐を学び、以て勇気を得よ =勇気を得るためにはどうしたらよいのか、そして戦後の日本に失われてしまった大切なものとは】戦争、あるいは戦後になって、日本は様々なものを失いました。原爆の投下や東京大空襲のみならず、様々なところで民間人も多数命を失いました。そして敗戦のため、戦争放棄の名のものとに日本国軍も失いました。北方四島など日本固有の領土も失いました。でも失って良かったものもあります。例えば様々な危険です。先ず、敗戦による平和憲法制定で戦争を失いました。戦後の復興の中で、道路が整備され、歩道橋が出来、横断歩道が出来、踏切や跨線橋ができ、道が舗装されて事故が減りました。交通による危険を大幅に失いました。川にも 堤防ができ洪水という危険が減りました。その堤防から人が落ちないように柵ができました。あるところではその柵に有刺鉄線ができ、こどもが川でおぼれないようになりました。小学校では道具をつかう野球などのスポーツが禁止されたので、怪我による事故がへりました。水泳も飛び込みは事故があり、小学校では禁止されました。そのために安全になりました。サッカーも小学生はヘディングが禁止になり、危険は相当減りました。差別も放棄し失いました。

 戦前は男尊女卑でした。

 女性には被選挙権がないどころろか、選挙権すらなかったのです。

 兄弟間の差別も放棄し、失いました。

 以前の民法では長男しか家督権も財産も相続をすることはできませんでしたが、今は兄弟が平等に相続ができます。

 平成14年からは 非嫡出子にも相続権が平等に与えられ、異なる親から生まれた子供も平等に相続ができるようになりました。

 でもこれらによって失ったものは 良いことだけではありません。

 安心安全快適平等な生活を得た代わりに、生きていく上で非常に大切な『勇気』を我々日本人は失ってしまったのです。

 たとえば、以前はトイレに行くのも勇気がとても必要だったのです。

 私の静岡の実家はトイレは厠(かわや)でした。

 私が厠に行くには、まず茶の間から土間に降り、下駄を履いて家を出て、井戸の前を通り、階段を降りてニワトリ小屋の横を通り過ぎます。

 幼稚園児のわたしには、たくさんの鶏が前を通るだけでギャーギャー鳴くのは本当に恐怖でした。

 さらに、鶏小屋の先にはもっと怖い豚小屋があり、幼稚園児のわたしには怪獣にしか見えませんでした。

 冬和寒く、夏は暑い。臭いし怖いし、豚は吠える。咬まれるかもしれませんし、本当に怖いです。

 その先にやっと厠があります。

 厠に入ったら、10 W の本当にくらい裸電球がただ一つ付いているだけ。

 そこは、もちろん汲み取り式のトイレです。

 一人で行くのはとても怖かったです。

 幼児のときですら、夜トイレに行くのが怖いので、夜になったら水を飲まない という忍耐を覚えました。

 用をたしているときも忍耐です。

 まず、しゃがんだ姿勢が忍耐。トイレに落ちるかもしれないという恐怖心を忍耐。

 お尻を拭くのも、今の様に柔らかいトイレットペーパーではありませんから、チリ紙を手で揉んでほぐし、それでお尻を拭くのも労働です。

 夜は暗いので、紙に便がついているのかいないのか、一生懸命紙を見ます。

 なので、できるだけ忍耐するのですが、それでもどうしてもトイレに行きたいときは、恐怖心を抑えるという心である、『勇気』を持ちました。

 今だったらトイレは冷暖房完備でをシュレットもあり、とても以後ごちの良いところです。

 トイレで本を読んだり、ゲームまでしている人もいます。

 今ではトイレで弁当を食べる人がいるというくらいですから、清潔で以後ごちが良く、プライベートもある素晴らしい空間です。

 冒頭で述べた川は、かつては子供の遊び場でした。

 確かに危ないのですが、その危ない、が子供にとっては楽しく、勇気を発揮する場所だったのです。

 野球もそうです。

 わたしが子供のころは、サッカーやブレイクダンスなどありませんから、野球だけががこどもの遊びだったのです。

 事実、バットが当たって大怪我をすることもありました。

 ボールが目に当たって失明寸前になった子もみたことがあります。

 でも、その恐怖感から逃れるために「怪我をしない」ということを体で覚え、勇気を学んだのです。

 このように、昔は生活の中に自然に恐怖や忍耐があり、それに対するために、乳幼児のときから『勇気』を自然に身に着けたのです。

 これは、ゲームなどの仮想空間では、絶対に勇気は身に付きません。

 排泄や食事などの生理現象の解決の為、すなわち『生きるため』に、恐怖や忍耐を乗り越える『勇気』を子供の時に身につけないとダメなのです。

 ジェットコースターもバンジージャンプも、超安全です。先ず、死にません。怪我もしません。

 でも、川遊びは死ぬどころか、行方不明になって見つからないことすらあります。

 そういう環境のなかで身に着ける勇気が、本物の勇気です。

 当クリニックでうつ病の人をメタトロンで感情測定をして診ると、大抵

・陰うつ
・悲しみ
・絶望
・悲嘆

などが出てきます。

 一方、創業者の方の多くに
・勇気
・洞察
・臨機応変

がでます。

 つまり、企業する、あるいは新規事業開拓をするためには、リスクをともない、そのリスクを乗り越えるためには、『勇気』だけでは、無謀になるので、『洞察』して周囲をよく見て、あるいは自分の状態をよく見て、『臨機応変』に対応することが重要です。

 これは、川遊びをそのまま経営にもっていっただけなのです。

 どんなにボードゲームや家庭用ゲーム機、あるいはスマホのゲームで遊んでも、生理的な恐怖や忍耐がないので、それは所詮、遊びなのです。

 いまでも、親が子供を連れてキャンプをしたり、川や海で山であそんであげればよいだけの話です。

 ただし、設備の整った道の駅やキャンプ場ではだめです。

 そこには、生理的欲求に対する恐怖や忍耐がないからです。

 野グソをする、川の水をのむ、お化けが出そうなところで寝る、寒い思いや熱い思いをする、しもやけや日焼けをする…

 そんなことで、忍耐力からくる勇気が湧くのです。

 怖いこと、苦しいこと、忍耐することが無い状態で、どうやって勇気を鍛えるのでしょう?

 アメニティーが向上すれば向上するほど、うつ病や糖尿病、高血圧が増えます。

 それは、ストレス耐性を、安心安全平等によって残念なことに失うからです。

 わたしが一昨年、親友のゾマホンさんの招待で訪れた、西アフリカのベナン共和国には、なんと内科がないのです。

 どこの病院にいっても、産科と小児科と外科しかなく、うつ病はベナン共和国では患者ゼロでした。糖尿病はもちろん、高血圧や高脂血症、さらには癌すらないのです。

 ベナンは貧しい国です。道路も舗装されていませんし、信号もありません。

 でも、精神疾患や癌も含めた生活習慣病はありません。

 みんな笑顔で楽しそうで幸せそうです。

 いったいどちらが幸せでしょうか?

 うつ病になって、デパスをのんでも、勇気は増えません。

 糖尿病になって、アマリールを内服しても、勇気は増えません。

 高血圧になってディオバンを内服しても、洞察力は増えません。

 癌になって、オブジーボを内服しても臨機応変にはなりません。

 医療は原因除去が最も大切です。

 医師が、患者自身が自発的に勇気を持たせるようにすること、これがが本当の医療なのです。

 現代では、理不尽なことがあると、怒る人が多いですが、じつは理不尽であればあるほど、精神も含めて健康になることを忘れてはなりません。

 かつては貧しさ、危険、不平等などで自動的に理不尽がきました。

 戦争でも理不尽が来ました。

 いや、戦争自体が理不尽です。

 いまさら、ボットン便所に日本中を戻せませんし、戦争もしてはいけません。

 男尊女卑もいけませんし、兄弟不平等もあってはなりません。

 これだけ便利な社会になると、与えられた理不尽ではうつ病になります。

 これが、以前はパワハラ・セクハラがなかったのに、これらが増えている本当の原因です。

 ならば、自ら理不尽を求め、そこで恐怖と忍耐をし、それを乗り越える勇気を身に着けるしかないのです。

 清原和博氏のように、入れ墨をれて、金髪にして、日焼けをして、耳にダイヤモンドをいれても、勇気は湧きません。

 むしろ、入れ墨を入れないでも自分を奮い立たせる勇気、金髪にせずとも忍耐を克服たオーラを出す勇気、日焼けをして凄みなど出さずともひとから一目も二目もおかれる存在感を出す勇気、ダイヤモンドなど身につけなくても、お金だけでなく心も豊かである笑顔を出す勇気、が清原和博氏には必要だったのです。

 体を鍛えるため、痩せるために食事を抜く、などの理不尽には耐えられても、『心』という見えない物の為に、理不尽になれる人は本当に少ないです。

 マラソンをするのも、登山をするのも、ラ〇ザップに行くのも結構です。

 しかし、心の理不尽を求めて行っていないのであれば、それは単なる筋トレ・娯楽であり、心の鍛錬になっていないので、実際はストレス耐性も上がらないのです。

 そして、たとえやらされる理不尽であっても、サーファーが『高い波よ、来い!!』と願うように、理不尽な上司に理不尽なことを無意識にさせられる前に洞察し『よし、理不尽な上司よ、かかってこい! わたしはそれを解決して見せる!』とすれば、それは心の鍛錬になるのです。

 苦しい仕事、誰も理解してくれない環境、言葉の壁、激しい借金などを自ら望んで理不尽にして心の筋トレをしなければ、勇気は得られません。

 『汝、自ら理不尽を求めて恐怖と忍耐を学び勇気を得よ』

 これが、わたしの格言です。

 

 

編集後記  『汝、自ら理不尽を求めて恐怖と忍耐を学び勇気を得よ』正論ですね!!

 

サイバー空間情報局。   発行者 感謝教教祖 高澤 光夫