先日に引き続き
一泊ドライブ旅行の続きです😉
これで打ち止め~👍
読んで下さった方
お付き合いありがとうございます❤️
今回は重めかもしれないけど、
良かったら最後まで読んで行ってね😌😌

前日大和ミュージアムに行きまして
翌日はまずは
そのすぐお向かいにある
海上自衛隊呉資料館に行きました🚢
ホンモノの潜水艦に乗れると言う事で
二人ともちょいはしゃぎ気味😅

潜水艦と爺👴😅

潜水艦とにかくデカイ‼️
クジラ🐳まっつぁおね😉

潜水艦の中は本当に狭くて
様々な機材がたくさん‼️
自衛隊員さんご苦労様です‼️🙇🙇
この後、帰路に着く途中
山口県周南市の大津島というところにある
「回天記念館」に行きました。

人間魚雷「回天」実寸レプリカです。
回天は、「人間魚雷」と言われ
魚雷の中に兵隊さんが乗り込み、
敵の船に直接ぶつかって行くと言う特攻兵器です。
ぶつかって行けば爆弾の中にいるようなものですから
九死一生 では無く、十死0生。
死が約束されているのです。

「回天」の中。
回天は直径1メートル、長さはだいたい15メートル程。
大量の爆弾を搭載しているので、
搭乗できるのは入れても二人。
とても狭い😣

このトンネル(約400メートル)を進んだ先に、
回天の発射場があり、
兵隊さんたちは回天を運びながらここを歩みました。

トンネルを抜けた先。

回天を降ろした海は蒼くて美しい


対岸から見た、回天発射(訓練)場。
この同じ景色を見て、
兵隊さんたちは何を想っただろうか。

この場で搭乗訓練中に殉死した
黒木大尉(機関士の樋口少尉と共に)が、酸素不足で薄れ行く意識の中、回天の壁に記した遺書。
黒木大尉は、回天の操縦訓練時にトラブルが起きた為に、
回天から(海の中で)出られなくなり
その後翌日まで発見される事なく、
死亡した状態で引き揚げられました。
黒木大尉は、酸素不足で亡くなる寸前まで、
事故に至った経緯や
次に搭乗する者たちの為に
機の改善点などを綿密にメモに記して亡くなりました。
そのメモは写真に撮れませんでしたが
若干23歳の青年。
国を想い、家族を想い、部下を想い
自分の為すべき事を息絶えるまで遂行しようとする
その執念にも似た意思の強さに
胸の奥がズシン‼️と重くなったのを感じました。
人間魚雷。
こんな狂った作戦を一体だれが考えたのか。
私はてっきり軍の上層部から押し付けられたのかと思っていましたが、
以外なことに、発案者は先に記した
黒木大尉です。
「魚雷の目となりぶつかって行けば、必殺必中。
必ず敵の船を撃沈する事が出来る」と。
そこに搭乗員の命を惜しむ気持ちは一切なし。
敵艦にアタックして死ぬ事こそが尊いと信じているのです。
この「回天特攻作戦」では、
発射できず帰投した機も多かったようですが、
出撃した者は皆死亡。
アタックして沈めた敵艦は
わずかに一艘のみ‼️
哀し過ぎます😢😢
この記念館には、回天の乗組員の皆さんの
勇ましい決意を記した遺書や写真がたくさん展示してあります。
どの兵隊さんも、
今から死出の旅に出るのに
本当に明るい笑顔で写真におさまっています。
自分の命が、敵を倒す為に
国を家族を守る為に役に立つのだ‼️
死の恐怖より、その清々しさが勝っていたのでしょうね。
零戦の特攻も同じですね。
こんな愚かな作戦…
各資料をみていて
「洗脳」と言う言葉が浮かびます。
「洗脳」の恐ろしさ…
哀れな、悲しい事ではあるけれど
皆を守る為に、命を捨てる事を厭わない
彼らの清々しい笑顔を、
尊いものと感じるのは
私だけでしょうか。
もちろん、
二度とあってはならない事‼️
中には周囲に押されて
やむなく「特攻を希望」した形で逝った兵隊さんもいたはず。
自分さえよければ
自分や家族だけよければ
そんな世の中になってしまった現在の日本人を見て
彼らはかの国からみていて
どう感じるでしょうか。
今回はなんだか暗めのトーンの記事になっちゃいました🙇🙇
でも、過去にも色々な戦争に関する資料を見て来ましたが
今回ほど生々しく胸に迫って来たのは初めて。
本当にこんな静かな、
小さな島で
特攻に挑む事になった彼ら。
「こんな風になってしまったけど
あなた達の国、日本を
どうか懲りずに見守って下さい」と
私は思わず、
回天で散って行った人々を祀る碑に
祈りを捧げたものです…
人と猫🐱と
どっちが多いかな?と思うような
静かな島。
お腹減ったのかな?
ニャンズ🐱が近寄って来ました💕

口に出してしまう、私でした💕