こんばんは
ケアアナリストの たかはしひろみ です(*'▽')

 台風8号が九州に上陸というニュースが流れ、
11日には、東北地方に来るだろうと言われてます。
毎回、台風直撃というニュースが流れていても、
直前になって台風が進路を変えていくという恵まれたところなんですが、
今回はどうなのかな・・

 さて今日は、介護用ロボットについてわたしの考えを書いてみようと思います。

介護用ロボットにも様々な種類のものがありますね。
わたしもリフトするロボットを体験したことがありますが、
あのやさしく丁寧に、でもしっかりとギュッとしてくれる
ホールド感はたまりませんでした

当時のわたしの中での「ロボット」という概念は、
それこそいま話題のソフトバンクで出した「Pepper」のような
人の形をしているものだったので、
人の手に勝るものはないだろうとか、
ハートのないロボットが介護か・・という思いがあって、
ロボットが介護なんてありえないという思いのほうが強かったんですけど。

でも、介護用ロボットのリフトを初体験したときは、
介護の手技が未熟だったり、
自分の身を預けるのに不安があるような介護者に介護されるくらいなら、
こっちのほうがどんなに安心だろうと思いました。
相手は機械なので、介護される側も気兼ねがいらないという部分では
精神的な負担感はかなり違うだろうとも感じました。

これがきっかけで、わたしの中にあった介護ロボットに対する概念が
180度ガラッと変わりましたね!

賛否両論、いろいろな考え方や捉え方があると思いますが、
ぜひ、介護士であれば一度は体験をするべきだと思うし、
そのうえで、介護の専門的な目線から、
様々な場面で上手に活用できるところはないか探れれば、

双方の持つ弱い部分はフォローし合って、
また、逆にいい部分はさらによりよい介護へと活かせるはずではないか
と思います。

結果的にロボットを動かすのは人なので、
それを使う人、操作する人が機械を機械的に扱うのではなくて、
介護される側の気持ちにきちんと目を向けながら使えば、
介護用ロボットを使って安全で安心、安楽な介護が提供できることになるでしょう。

介護用ロボットは介護を安全、安楽に安心して介護が行えるようにするための
一つのツール
として作られたものです。

上手に活用することで、
安全、安心、安楽な介護が実現できるんだ!
素直に「すごい時代が来たんだなぁ」と思います。

でも、これはのんびりしていられませんね!

介護の資格を持つものであれば、
介護用ロボットの力に甘んじることなく、
介護の知識と技術、そしてハートをしっかり磨いていかないと、
いつか立場が逆転してしまうかも


 今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
 それでは、SEE YOU

 こんばんは 
ケアアナリストの たかはしひろみ です (*'▽')

7月に入りましたね。
今夜は星がきれいです


 今日は、とある認知症の方と初任者スタッフとの関わりから気づいたことを
紹介します。

この方は、認知症でもまだしっかり理解、判断できることがあり、
自分の意思をしっかり持っていて、意思表示が出来ます。
ただし、その思いがうまく伝わらなかったり、
自分の力で思うように行動出来ないと自己嫌悪に陥り、
他者を
暴力的な言動や行動で責めるんです。
その当たりがとてもきついので、
これまで関わってきた訪問介護事業所や訪問看護の事業所からは、
「対応できない」と言ってサービスを断られることがありました。

 ある日の訪問介護時、
スタッフが食事を作り配膳をすると、
利用者さんが「わたしはこんなの食べないよ」と強い口調で言いました。
スタッフが「いらないんですか?」と問いかけると、
利用者さんは、スタッフを睨むような目つきで見ながら「うん」と頷きました。

利用者さんの目つきを見て暴言や暴力が出るのではないかと
おどおどしてしまったスタッフは、

そのまま理由も聞かずに食事を下げてしまいました

このスタッフに利用者さんの食事を下膳した理由を尋ねると、
こんな答えが返ってきました。

 「認知症があるという情報があったし頑固な性格だと聞いていたから、
 ご本人が食べないと言ったら、食べないだろうと思って」と。

そこでわたしは、
 『利用者さんが「食べない」と言ったその理由を、ご本人に尋ねてみましか?』
と確認してみました。

スタッフが「いいえ」と言ったので、
 『では、利用者さんに「食べない」と言ったその理由を聞いてみましょう』
と伝えました。

再度、スタッフが利用者さんのところへ行き、
食事を食べないと言ったその理由を聞いてみると、
「どんなふうにして作られてるかわからないものを食べて、お腹をこわしたら大変だから食べないんだ」という返答が返ってきました。


このやりとりの後、スタッフはわたしにこう言いました。

「そっか!ちゃんと理由があったんだ!!
 わたしすごい勝手なことしてたーっ
」 と。

いい気づきを得た言葉でした。

そうですね。
どんなことにも必ずきちんと理由があるんですよね。

例えば、初めから「認知症がある」という目で見てしまうと、
利用者さんの訴えをきちんと聞けなくなってしまい、
あれもこれも認知症の症状という捉え方をしてしまいがちです。

 自分も何かあった時に、人から「その理由は?」と聞かれると、
「特に理由はないよ」と返事をすることがありますが、
でも本当は、「特に理由がない」なんていうことは、ないのではないかと思います。
単に、理由を尋ねられたことがちょっと面倒だったり、
理由らしき理由が思いつかない感じから
そういう返答が自然と出てしまうだけなのではないでしょうか。

こちら側が先読みした情報にある意味洗脳されてしまうと、
その方の本質的な部分が見えなくなってしまい、
「意思の尊重」という言葉からどんどん遠ざかってくような
そんな関わり方になってしまいませんか?

介護者の意思でなく、
利用者さんの意思で生活を支えられるようにしたいですね。

そのために、答えだけじゃなく、
その理由をきちんと聞きましょう。



今回も最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。
SEE YOU 






 


 こんにちは (*'ω'*)
ケアアナリストの たかはしひろみ です。

 今日はちょっと肌寒い感じがしますが、
こういう気温の変化があると何を着たらいいのか悩みますね 

今朝、出勤時に道路工事のため一方通行になってところを通りかかり、
車や通行人を誘導している若いガードマンを見ていて、
こんなことを思いました。

 「この人は、丁寧でやさしい人だな。
 もしかしたら、職場内の教育でそうするように教えられたのかもしれないけど、
 きっと、このガードマンはそういう素質がもともとあって、
 考えなくても地でできる人なんだろうな」 と。

なぜ、そう思ったかというと、
ちょうどわたしの車でこのガードマンに止められたのですが、
このとき、左側からひとりのおばあさんが杖をつきながら道路を渡りました。
このおばあさんが道路を横断するときに、
目の高さまで腰を曲げて 笑顔で 「挨拶」 をしていたんです。
そして、 「この先どちらに(方向)行きますか?」 と確認をし、
おばあさんが右の方向を指差すと、
こちらへどうぞという仕草をしながら半歩前を歩き、
ちゃんとおばあさんの足元を見て
いました。
そして、道路が切断されていて段差ができているその端を自分が歩き、
おばあさんにはその内側を歩いてもらうようにしていた
んです。

 こういうことは、誰かに教わることではないし、
教わったからといって出来ることではないだろうなと思います。
きっと、このガードマンのこれまでの人生の中で自然と気づき、
身についてきたことなのではないでしょうか。

これに関連して思うのは、
こういうことを言葉ではなく、
身をもって体験的に教えてくれるのが、
高齢者だろう
ということです。
そして、子どもと高齢者という関係性には、
豊かな人間性を育んだり促す 「学び」 があって、
そこには 「道徳」 を学ぶにはいい材料がたくさんある
はずだろう、
そう思うんです。

わたしが子どもの頃と違って、
子どもと高齢者という関係が希薄になりつつある
いまの社会が少し寂しいと思う今日この頃です。

 わたしは、発進の合図が鳴るまで、
この様子をずっと車の中から見ていました。
細身で背が高く、まだ容姿も仕事ぶりも少し頼りなさげな若い男性ガードマンの
照れくさそうな誘導の仕方と笑顔が印象に残っています

見ているこちらが思わずほほ笑み、
心の中で 「ありがとう」 と言ってました (*‘∀‘)


 こんにちは。
ケアアナリストの高橋弘己です (*'ω'*)

 わたしは現在、訪問介護の仕事をしていますが、
今日は、わたしが訪問中に、偶然訪問してきたケアマネさんから、
こんなことを言われました。

「えぇ~!ヘルパーさんとは思えなかったし、思えな~い!(驚)
 なんだか姪っ子とか孫とかって言われてもわかんないくらい、
 違和感がないわ~」と。

ケアマネさんが帰った後に、利用者さんと思わず吹き出してしまいましたが、
「言われてみれば、そうね。あなたは、ここにいても自然だね」と、利用者さんも。

そう思わせたその理由は、きっとわたしの服装。
わたしは、一般的に介護職をイメージする服装ではないものを
敢えて着るようにしています。
動きやすく機能的で、汚れやしわが目立ちにくい。
繰り返し着て洗濯しても形状が変わらない耐久性などなど・・

そして、やはり身だしなみとしてのおしゃれを欠かさない
人の第一印象は、ものの数秒で決まると言われていますから、
わたしは常に「きちんと感」を意識しています。

主張したいのは、信頼感と安心感

なにせ、特に訪問介護員は歩く広告塔ですから印象は大事でしょう





 こんばんは。
ケアアナリストの高橋弘己です (*'▽')

 いよいよ梅雨入りです
よくよく考えてみると、いまは天気予報が予報通りにほおぼ的中!しますね。
わたしが小学生の頃なんかは、天気予報で「今日は雨」というから傘を持って登校したのに、
結局降らず、学校に傘を忘れるということがよくありました。

「雨」というと、激しく雨が降る日や台風の時には、
よく祖母と近所の川を見に行ったこともひとつの思い出です。

いま思えば、非常に危険な行為だったと思いますが。

橋の上から、茶色く濁った水が
激しく音を立てて流れていくのを
ふたりで見るのが「お決まり」みたいなものでした。
橋の上から真下を見ると、あまりの激しさに足がすくわれそうで背中がゾクゾクしたものです。
そこに、落ちてる葉っぱを投げ入れたりしながら、興奮してキャッキャしてたのを覚えてます。

始めはふたりで「すごいねぇ」なんて見てるんですが、
いつの間にか川の一点だけを無言でじっと見つめ、
しばらくすると「風邪ひいちゃうと大変だから帰ろう」って
思い立ったかのように祖母が言い、「うん」って手をつないで家に帰る。
なんてことをしてました。

祖母はネイビー、わたしは赤い傘。

傘をさしてるから、当然、手をつなぐと肩から腕はびしょ濡れになってしまうし、
傘と傘がぶつかるので歩きにくいんです。
でも、それがまた楽しくて特別なことに感じてました。

そう、「わたしはばあちゃんと川を見て来たんぞ!いいだろ~」みたいな得意げな感じですね。

あの時、川の流れを見ながら祖母は何を思っていたんだろう。
ちなみにわたしは、最近あったイヤなことや悲しかったことを考えてたように思います。

忘れてしまいたいイヤなことを「水に流す」ってことだったんでしょうかね。

いまなら、あの頃には気づいてあげられなかった祖母の思いを察すれる、
そんな気がします。

「ばあちゃん、大丈夫。何も心配いらないよ」

そう言って、笑ってあげられます