こんにちは
銀座のエンディングノート終活カウンセラー行政書士かわさきなおみです。
これだけ高齢化が進むと
介護については考えておかなくてはならない問題なのですが、
相続よりも向き合いたくない問題であるようにも思います。
仮に介護を受けるようなことになったなら入れる範囲の施設にでも入れてくれたらいい
といった感じか
そんな縁起でもない!
そうならないように日々は健康に気をつけている!
そんなのなるようにしかならない
わからない
みたいないずれかの感じに。
仮に考えているといっても
手続き的な面を持って、資産もある程度把握できることで
ある程度のシミュレーションができる
相続と違って
介護については
普通のモデルケースがあったとしても
そこに落とし込めない各家庭の事情が健在するからです。
介護保険を利用して
相談できるものを利用して
介護をある程度、手助けできるとしても
現実とのギャップの大きさ、与える影響を全て想像するのは
介護を経験していなければ
いや、していたとしても自分のこととな
れば難しいのではないのかと思います。
エンディングノートでも
誰に頼みたいですか
どこで介護を受けたいですか
といっても
そこには
○○さん
自宅で
とぼんやりでも望む希望しか書けない。
実際に介護はある日突然にやってくる。
配偶者が共に高齢で
片方の配偶者が足だけ骨折してリハビリしても、今後は日常生活でほぼ介護を受ける必要がある。
頭はしっかりしているので応答も大丈夫。希望もハッキリしている。
こんなケースで、
リハビリ病院を退院したら
多少の不自由はあっても
介護ということにはピンと来ない。
介護というと寝たきりの姿がイメージされて、そこには当てはまらない気がする。
仮に介護受ける状況であったとしても、子供もいるから子供が介護をすることになるだろう。
仕事もしているが、そこは子供がなんとかしてやりくりするだろう。
してもらうしかない。
こんな印象。
確かに今日全て決める話はなくても
2ヶ月位すれば退院後の現実が訪れます。
病院から戻ったら段差のある昭和建築の家での生活。奥まった段差のある寝室から
ベットの配置をどこのどの部屋にするか
その一言に
絶句して
そのあとの言葉が続かなかったのは、
病院から戻ったら直ぐに
不自由ながらもなんとか動くことができる、誰か付き添えば外出も普通にできる
と
ベットの配置を寝室から動かすとなれば
限られる別部屋にベットを置いたとしたら
そういうことかとリアルに浮かんだのでしょう。
それまで
そうしたことを考えなくても生活はできていて
多少の不自由さも不便を感じても
やむを得ずと思えた。
介護を受ける側
する側と
あるなかで何とかできるかできないか
確かにその時期どういう状況かにより変わることではありましょうが
だからこそ
年に一度でも考えて話しておきたい項目だと思います。




