人生とはなんだろうと考えたことがあります。
人はなぜ生きるのかと考えたこともあります。
ずっと答えがでなかったのですが、最近ではひとつの考えを受け入れています。
それは、人の人生は魂の旅だということです。
わたしは瞑想をします。
瞑想をしたあるとき、自分だと思っていた部分は自分ではないことに気づきました。
いまある肉体、いまある考え、今の感情・・・
わたしはこれらを無意識に自分だと思っていました。
無意識なので、意識されていないままにそう感じていたのです。
そこには疑問もありえない状態でした。
しかし肉体、心、感情の状態を別の場所から観察できることに気づきました。
ということは、怒ったとしても、笑ったとしてもそれをじっと観ている存在があるということです。
つまりこれが自分なのではないか。
これが魂の根本なのではないかと感じます。
その立場から見ると肉体、心、感情というのはそれらが独立した生き物のようです。
それらは世の中の事象に反応して、ある種の経験を繰り返します。
それらを体験して、人は成長します。
わたしは自分を観察することで人は、いくつかのモードスイッチのようなものがあることに気づきました。
通常の場合、日常モードであって肉体、心、感情と己を一致させています。
感傷的な場合は、感情モードであって内的存在のうちの感情と強く結びついています。
肉体、心、感情を超越して、静かな観察を続ける瞑想モードもあります。
どれがよくてどれがダメということはないでしょう。
全般としてはわたしという魂の成長を心がけるところからはじめるべきだと思っています。
それを続けていくと、さらに多くの気づきがあるでしょう。
そうするとわたしという言葉の意味も変わってきます。
言葉そのものの扱いもかわっていくでしょう。
人里離れるわけにはいかないと思いますから、
モードをきりかえて魂の旅の時間もつくっていきましょう。