13年くらい前のこと。
まだ駆け出しのセラピストで、ホテルで働き始めた頃、初めてアメブロさんに手を出しました。
友人にも誰にも言わずこっそり綴り始めたのは、
戦国歴女ブログ
でした。
(サイトはすでに消去しています。)
子供の頃から好きだったのは、石田三成や淀殿、真田幸村に長宗我部元親。
みなさんおわかりかもしれませんが、彼らは日本史の中では敗者という扱いをされちゃう人物です。
忠誠心が強いばかりに時代に取り残されてしまったり、優しさが仇になって裏切りに遭ったり。
ある意味、〝人でなし〟になりきれなかった武将達。
これを語り始めれば、今日の本題にたどり着かないくらい。
ハーブやアロマと同じくらい好きなんです。
そして、好きな戦国武将BEST3に入るのが、浅井長政氏
聡明な彼の英知を集めた城が小谷城。
秀吉が怖れたその城はもう残っていませんが、先日誕生日に城跡を訪ねてみました。
このブログを読んでくださっている方は、興味がない方がほとんどかもしれません。
けれど、なぜ詳しく書こうかと思ったかと言うと、私もブロガーさんの登城記がものすごく参考になったから。
武将浅井長政にこれから逢いに行かれる方の勇気になれば幸いです![]()
さて。
行かれた方が口をそろえて「大変だった!」とおっしゃる小谷城跡。
最初に言っておくと、私は健脚な方ではありません。
登山も、小学校の頃に春と秋の1年2回も、鞍馬山に登らされてっていた以来。
体力もごく普通。中の中。
そんな私が、特別な装備もせず、簡素なリュックに普通のスニーカー。
それでも行けましたよ![]()
まず、旅はここから。
JR北陸線の河毛駅。
まず、ここに浅井長政氏とお市の方の像があります。
テンションあがりますよね![]()
時計を見てお分かりのとおり、AM10:00ちょっと前。
ここからは、駅前のタクシー(1台だけ停まってました)か、チャリンコか、歩きか、いずれかの方法で小谷城のふもとまで向かうことになります。
以前は、バスも出ていたようですが、昨年秋に廃線になったよう。
河毛駅にあるコミュニティセンターのおじさまは、レンタサイクルを推されていましたが、私は徒歩を選択(ごめんね、おじさま)。
おじさま曰く、小谷城のふもとまでは約40分とのことでしたが、到着は10:25![]()
私の足でも、30分くらいで着いたことになりますね。
なので私は、時間がある方には、タクシーより、レンタサイクルか徒歩をおすすめします。
その理由はふたつ。
ひとつめは、途中にこんな場所があるから。
ここはですね、信長が布陣していた場所。
ここから虎視眈々と小谷城を狙っておられたんですね。
ふたつめは、道中の景色が美しいこと。
信号があまりないので、こうして写真を撮りながらでも、女性の足で30分で着くんです。
小谷城の城下町跡を見ながら、小谷城戦国歴史資料館へ・・・。
この奥に駐車場と資料館があります。
資料館のめっちゃアピール。
オトナの入場料は300円。
ちょうどガイドのおじさまがいらして、ジオラマや埋蔵品を丁寧に解説してくださいました。
「大河ドラマの〝江〟見てましたか?」
「はい、見てました。」
「あれでね、本丸が燃えてたでしょ。でも、あれは嘘なんです。長政は降伏して自害したから、秀吉は城を燃やす必要はなかったんですな。」
「じゃあ、なんで城は残ってないんですか?」
「ここは非常に攻めにくい城やったんです。だから、秀吉はここに誰かが住むのを恐れて、徹底的に壊したんですな。」
子供の頃読んだ歴史まんがにも、茶々が燃えさかる小谷城を見つめて悲しみに暮れるシーンがあったけど、あれも創りものだったんですね。
長政の直筆のお手紙や、当時の硬貨、興味深い資料もいくつかありました。
でも、浅井家の家系図だけは、ちょっと突っ込みたくなるところも・・・。
でも、突っ込むのを我慢して、念願の小谷城跡登山。
ほとんどの方は、自家用車で途中まで登っておられましたが、私はもちろん徒歩で挑戦。
ルートは3つあるのですが、資料館おじさまのオススメの追手道ルートにしました。
自分でこの門扉の鍵を開けて、中に入ります。獣害・・・。
AM10:50 ここから・・・。
本格的な登山がはじまります。
誰にも会わない、誰ともすれ違わない数十分間。
熊除けの鈴を持っておけばよかった、と後悔しつつも、引き返すことなんて考えられない。
(たまに出会うみなさんはたいていラジオ持参でした。すごい!)
時折見えてくる史跡がなぐさめてくれるので頑張れる!
途中まで車で行かれる方は、この案内板から。
ほらほら、『クマ出没注意!』って・・・。
このあたりから、人とすれ違うことが増えてきて、ちょっと元気が出てきました。
史跡もいっぱい見えてくるので、歩きがいも出てくるというもの。
眼下を見下ろすと、気持ちの良い風が吹いていることに気付きます。
確かに攻めにくそうですよね、このお山は。
お茶屋跡という名前だけど、軍事拠点だった場所。
御馬屋跡は、本丸を護るための曲輪。
御馬屋跡の後ろには、石積みの池があります。
長政氏のおじいちゃまが、内通者の首を晒したというちょっとこわいお石。
そして、〝江〟のロケ地になったという場所がこちら![]()
すごいな、こんな高いところまでスタッフさんがいっぱい。
桜馬場跡の近くには・・・
浅井家家臣の方々のお墓がありました。
ここから少し昇るといよいよ・・・
千畳敷とも呼ばれる大広間跡
この東側(もはやどっちが東なのかわからん)に、これを見つけた時は感動!
1,5mだけ残る石垣
けっこう歩いたけど、石垣が残っている所って少なかったんです。
秀吉がどれだけ徹底的に小谷城を壊したかが伺い知れます。
この北側にあるのが本丸跡
AM11:35 あー、やっと着いた。
麓からここまで、45分。
ここで引き返される方も多いようなのですが、せっかくなのでまだまだ登ってみることに。
ひとり登城記は、資料館おじさまオススメの場所&厳しい復路へつづきます・・・。
の前に。
ここまででただ一か所、私が行けなかった場所がありまして。
そこへ足を向けようとした時、急に頭痛の予兆があらわれて、視野がぎざぎざに欠けてきたんです。
これはまずいな、ここで偏頭痛になったら帰れへんかもな、と思って、あわてて頭痛薬を握りしめて別の方向へ歩き出しました。
それが、赤尾屋敷跡
そこには、浅井長政氏の自刃した場所がありました・・・。
山を降りたあとで地図を見てそれを知った時は驚いたもの。
不思議なこともあるものですね・・・![]()































施術中は電話に出ることができません。
ですので、かなりわかりやすい場所となっております)





