今話題の、箸墓古墳の学術調査 2013年2月20日 | まきむく通信(どうでもいいこと書いています!)

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箸墓古墳の学術調査 2013年2月20日
たいへん、話題になっていますね!
箸墓古墳(はしはかこふん)
 まきむく通信としては、この話題は、無視できません!
 纏向(まきむく)遺跡の最大の古墳。纏向遺跡の盟主的古墳。纏向遺跡のもっとも有名な古墳
箸墓古墳


以前書いた私のブログ記事(箸墓古墳)
↓↓まきむく通信の「巻向への旅」箸墓古墳編↓↓
http://ameblo.jp/omatsu1618/entry-11441992817.html
も参照して下さい。

  
  邪馬台国の女王・卑弥呼が葬られているという説もあり、研究者から注目を集めてきた奈良県桜井市の箸墓古墳。なぜ卑弥呼の古墳とされる説が出てくるのか?→古墳時代の初期の古墳だから。。。無理やり、有名な卑弥呼に結び付けられています。(京大考古学が、邪馬台国畿内説を推進するために利用しているのだ。)


私は、
・卑弥呼は3世紀半ばに没した人
・卑弥呼は九州の人物であると考えています
・箸墓古墳は、形態・埴輪の出土状況からも4世紀初頭の古墳
半世紀の時間差がある!と考えています。



<この話題の箸墓古墳>陵墓なので、学術研究が禁止されています。皇室に関連がある→陵墓に指定され、これまで立ち入ることが宮内庁より許可されていないのだ!(皇室の親族の墓だということ)


それが、今回20日に、初めて立ち入りが実現することになりました。だから、びっくり!話題になっているのだ!よく宮内庁が許可したものだ。陵墓を巡って宮内庁と研究者の間で重ねられてきた長年にわたる交渉がみを結んだということらしい。

箸墓古墳とは
奈良県桜井市にある古墳。全長およそ280メートル。宮内庁が昭和40年代に採取した埴輪などから、日本で最も古い時期に造られた巨大古墳と考えられています。宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されています。
 

その時期を3世紀中ごろとみる研究者の間から上がっているのが、「箸墓=卑弥呼の墓」説です。いわゆる邪馬台国論争を決着に導く決定的な証拠はありません。

箸墓古墳は、その規模や年代を考えれば、後の大和王権の成立過程などを考えるうえでも欠かすことのできない「鍵」となる古墳であることは疑う余地はなく、注目をあつめています。


 ただここからは、三角縁神獣鏡が出土していません。(詳細調査はされていませんが。。。)この三角縁神獣鏡は、239年(景初3年)魏の皇帝が卑弥呼に銅鏡百枚を下賜したとする記述があり、その鏡という説があるものだ。
 

卑弥呼の墓ならば、かならず、三角縁神獣鏡がでてくるはず?
→三角縁神獣鏡は魏志倭人伝に記載されている鏡ではなく古代ヤマト政権下で製造された国産の鏡であると考えています。





ところで、今回の調査。。。
さらっと古墳の縁を歩いて目視しただけの調査。
神の手をもった研究者が三角縁神獣鏡を、マッチポンプしない限り話題となる進展はないでしょう!

陵墓としての、ハードル高し!


 



卑弥呼の時代(魏志倭人伝)
239年:魏に朝貢
248年:卑弥呼没。台与女王に就く
266年:倭の女王、西晋に使者
280年以降~ 神武東遷



↓古墳記事のまとめ↓
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