昨日、5月12日は茶々丸が虹の橋を渡った日でした。

あっという間に一年。

本当にあっという間で、昨日のことのように思い出せます。

これまで詳しくは書いてなかったですが、あの日…


朝、相方さんをお見送りする前に少し息が浅かった茶々丸。

私も相方さんも気付いており、病院に連れて行くことになるかもと話していました。

夕方までは浅い呼吸と通常呼吸を交互に、自分の力でミルクや離乳食を舐めていました。


そして夕方、少しだけ苦しそうに呼吸している気がして、一目散に病院へ駆け込みました。

事情を分かっている先生が、その時診ていた猫ちゃんの次に順番を早めてはくれたのですが、少し待合室で待つことに。

その時一緒に待っていて、順番を譲ってくれた猫ちゃんを連れた女性が、様子を察して優しく話しかけてくれました。

猫ちゃんも、私と茶々丸を交互にクンクンして、優しく私をペロペロしてくれました。


段々息が荒くなってきた頃、診察室に入り、そのまま茶々丸は行きを引き取りました。

私は診察台に横たわる茶々丸を撫でながら、茶々丸と先生にお礼を言いながら泣きじゃくってしまい、診察室でそのままお会計をしていただきました。

慌てて茶々丸を診察室に抱きかかえて入ったため、私はバッグを待合室の椅子に置き忘れていました。

猫ちゃんの飼い主さんが見ていてくださっていて、財布を取りに行くと大丈夫?と声をかけてくださり、私は茶々丸の事だろうと思い、「ダメでした…」と泣きながら答えると、「あなたは大丈夫?」と優しく背中をさすってくれました。

茶々丸を抱えて帰る時も、「あなたはとても優しくていい飼い主さんよ。茶々丸くんも幸せだったはずよ」と声をかけて下さり、猫ちゃんも「そうだよ」と言わんばかりに顔を近づけてきて、鼻をペロペロしてくれました。

猫ちゃんにもありがとうと言って、私は泣きながらお家に帰りました。


それからは相方さんが帰ってくるまで、ベッドに横になっている茶々丸の側で座り尽くしていました。


茶々丸に万全を尽くせたのか?

茶々丸は辛くなかったのか?

茶々丸は幸せだったのか?

私は茶々丸の為に何かできていたのか?

答えの出ない問いを自分で繰り返してました。

そうなることが分かっていたから、あの猫ちゃんの飼い主さんは声を掛けてくださったのかな…


その日からもう一年。

今はみーちゃんを見ていると、黒丸も茶々丸も思い出して、懐かしく感じたり寂しくも感じたり…

きっと、黒丸も茶々丸も、小さくて可愛い妹を優しく見守ってくれていると思います。



↑茶々丸も好きだった場所でみーちゃんも。


そして9日、父方の祖母が永眠しました。

昨年の母方の祖父と同様、95歳の大往生でした。

父が幼少期に離婚し、女手一つで父たちを育て上げた、とても厳しい祖母でした。

数年前から認知症を患い、実家近くの施設に入っていました。

私も関東に行く前に会いに行きましたが、私の事は小さい時の記憶で止まっているようで、「おますちゃんはこんなに大きかったかね? あなたはおますちゃんのお母さんでしょう?」と言ってました笑い泣き

でも、にっこり一緒に写真を撮ってくれて、この写真が遺影となりました。

祖父の時と同じく、コロナ禍での帰省は控えてと言う両親の気持ちを汲み、連名での弔電を送りました。



↑小さい時から私には国家公務員になりなさいが口癖でした。

元々小さかった祖母ですが、私の背が伸びるたびに「どんどんばあちゃんを追い越すねぇ」と嬉しそうに見上げていたばあちゃん。

若くして亡くなった、父の弟と逢えているかな?

ばあちゃん、ありがとう、お疲れ様。