この前、強打者の指標となるISOについて話を進めましたが、そのTOP10に名を連ねる伝説的な強打者を順に紹介したいと思います⚾️






 5️⃣ ISO .292


(3142塁打➖1628安打)➗5193打数
🟰 .29155.....





 歴代五位は、時代に翻弄された、最も過小評価された強打者のひとり⚾️




 まだジャッキー・ロビンソンがプレーする前、ユダヤ系の初のスタープレーヤーとして活躍。ときは1930年代、第二次世界大戦に突入していく世界の中で、さまざまな葛藤が彼の人生を翻弄した。




 1934年はチームの二十五年ぶりのリーグ制覇に貢献したが、終盤の時期に宗教上での意味合いでの欠場を発表すると、物議を醸した。
 翌1935年にはシーズン前半オールスターゲーム前に100打点に到達しながらもオールスターメンバーには加えられなかった。反ユダヤ運動を懸念してのことだったという。
 ナチス・ドイツへの強い反感から、メジャーリーガーとして初めて従軍することとなり、まだまだ成績が伸びたであろう三十代前半の時期は野球から離れることになった。


 同じ時期に同じアメリカンリーグの同じ一塁手に
 ルー・ゲーリッグ(1903年生まれ)がいて、ジミー・フォックス(1907年生まれ)がいて、ハンク・グリーンバーグ(1911年生まれ)がいた。

たとえば本塁打王に関しては、
1931年 ルー・ゲーリッグ 46
1932年 ジミー・フォックス 58
1933年 ジミー・フォックス 48
1934年 ルー・ゲーリッグ 49
1935年 ジミー・フォックス/ハンク・グリーンバーグ 36
1936年 ルー・ゲーリッグ 49
1938年 ハンク・グリーンバーグ 58
1939年 ジミー・フォックス 35
1940年 ハンク・グリーンバーグ 41

⚾️1931年はベーブ・ルースも46本塁打
⚾️1937年はジョー・ディマジオが46本塁打

 1937年は、ハンク・グリーンバーグが183打点でタイトル獲得(打率.337 本塁打40)で歴代3位、アメリカン・リーグ2位の記録。歴代1位は191打点のハック・ウィルソン(1930年、ナショナル・リーグ、カブス)、歴代2位でアメリカン・リーグ記録が1931年のルー・ゲーリッグ、184打点となります(シーズン180打点以上はこの3ケースのみ)。

 通算成績は、積み上げられなかった五年を考えれば、本塁打500に打点1800は届いたのではないかといわれています。

 試みに、162試合あたりとすれば、
ハンク・グリーンバーグ
 打率.313 本塁打38.5 打点148.3
比較して
ルー・ゲーリッグ
 打率.340 本塁打36.9 打点149.3
ジミー・フォックス
 打率.325 本塁打37.3 打点134.4





ハンク・グリーンバーグ
Hank GREENBERG

本名:ヘンリー・ベンジャミン・グリーンバーグ
1911年1月1日生まれ、1986年9月4日逝去
188cm 97kg 右投右打、一塁手
1394試合5193打数1628安打 打率.313
379二塁打71三塁打331本塁打 3142塁打
1051得点1276打点 長打率.605 出塁率.412

1956年野球殿堂入り⚾️