この前、強打者の指標となるISOについて話を進めましたが、そのTOP10に名を連ねる伝説的な強打者を順に紹介したいと思います⚾️






 2️⃣ISO .325


(3639塁打➖1626安打)➗6187打数
🟰 .32536.....





 1927年にベーブ・ルースがシーズン60本塁打。その後34年経ってようやく1961年、ロジャー・マリスがこれを更新するシーズン61本塁打を放つ。ただしこの年からシーズンあたりの試合数が7試合増えたこと(154▶︎161試合)もあり、なかなか受け入れられなかった。。。 その後は球団数の拡張などあるもシーズン162試合で現在に至っている(ワンゲーム・プレイオフなどたまに発生しますが)。



 さて、もう34年ほど経つと1995年。前年にはストがあり8月早々にシーズンが打ち切られ、その救世主として『ヒデオ・ノモ』が颯爽とデビューする年である🌪️

 ⚾️アルバート・ベル
 ⚾️フランク・トーマス
 ⚾️ケン・グリフィー Jr.

 など錚々たるホームランバッターが鎬を削るなか、1989年のデビューイヤーから49本塁打、その後なかなかフルシーズン試合に出続けることがむずかしいものの、驚異的な本塁打率で量産するスラッガーが現れた⚾️



 1996年は出場130試合ながら52本塁打、翌1997年は156試合出場で58本塁打を放つもシーズン途中にリーグを跨いでの移籍(アスレチックス▶︎カージナルス)でタイトル獲得には至らず。

 1998年。9月8日のカブス戦。リグレーフィールドのレフトフェンスをラインドライブでオーバーした打球こそが歴史的なシーズン第62号本塁打となった。さらに記録は伸びて、155試合の出場で70本塁打。509打数152安打、打率.299。130得点、147打点。155三振に162四死球、28故意四球。





 さて、2005年3月のMLBドーピング問題で議会に証人喚問された際、薬物使用を問われたマーク・マグワイアは、『過去の自分の行為は現在のスキャンダルとは無関係なのでお答えできません』と涙まじりに議員に懇願した。
 法律上は当時の薬物疑惑は偽証罪に問われるかどうかの問題であり、黙秘権を行使することで起訴を免れるという考え方もある。他方、黙秘をすればドーピングを否定しないことにより、世間一般には、かつてのホームラン量産はドーピングによるものだったと見なされてしまうことになる。



 ドーピングが大きな社会問題となる前は野球殿堂入りに関し有資格初年度での殿堂入りが確実視されていたが、この影響で評価は急落。2016年に10年の投票対象期間を終え殿堂入り資格を失った




 自身は殿堂入りに関して『わたしには入所する資格がない』『わたしは間違ったことをした。一生、罪を背負って生きていくしかない』とも語った






マーク・マグワイア
Mark McGWIRE

本名:マーク・デビッド・マグワイア
1963年10月1日生まれ、
196cm 113kg 右投右打、指名打者/一塁手
1874試合6187打数1626安打 打率.263
252二塁打6三塁打583本塁打 3639塁打
1167得点1414打点 長打率.588 出塁率.394