今日、五月二十七日は『百人一首の日』といいます。
百首の選者、藤原定家の日記に初めてその存在が書き記された日、なのだそうです。
 ちなみに文暦二年、西暦一二三五年のこと。





 ぼくにとっての小倉百人一首とは、『歴史と古文の参考書』であり『歴史を旅する物語』であると理解しています。


 歌番号一、天智天皇といえば「大化改新」は西暦六四五年。
 歌番号百、順徳院ならば「承久の乱」で佐渡に流罪、一二二一年。


 この間六百年近くの日本史が垣間見えます。
 なお天皇の御代でいえば第三十八代から八十四代まで、ということになります。




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遣唐使で科挙も通り、かの地で客死した阿倍仲麻呂(歌番号七)がいます。

三大美人に数えられる小野小町(歌番号九)がいます。

『子子子子子子 子子子子子子』でお馴染みの小野篁(歌番号十一)がいます。

伊勢物語の主人公とされる在原業平(歌番号十七)がいます。

学問の神様、『白紙に戻す遣唐使』菅原道真(歌番号二十四)がいます。

古今和歌集の選者は、歌番号の順でいえば、凡河内躬恒(二十九)、壬生忠岑(三十)、紀友則(三十三)、紀貫之(三十五)。

土佐日記の紀貫之(歌番号三十五)、源氏物語の紫式部(歌番号五十七)、枕草子の清少納言(歌番号六十二)がいます。

保元の乱に名があがる藤原忠通(百人一首では『法性寺入道前関白太政大臣』歌番号七十六)、崇徳院(歌番号七十七)がいます。

『三夕』にあげられる西行法師(歌番号八十六)、寂蓮法師(歌番号八十七)、藤原定家(歌番号九十七)がいます。

鎌倉右大臣(歌番号九十三)は幕府の第三代征夷大将軍である源実朝で、その死後起きた承久の乱では後鳥羽上皇(歌番号九十九)が隠岐に流されます



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『あしびきの山鳥の尾のしだり尾の』は序詞、

『ちはやぶる』『あさぼらけ』は枕詞、などなど。

「あさぼらけ」「きみがため」「わたのはら」は二枚ありますね。

柿本人麻呂(歌番号三)と猿丸大夫(歌番号五)は同一人物説があるとか、ほかにまったく情報のない盲目の僧、蝉丸(歌番号十)とか。

凡河内躬恒(歌番号二十九)、春道列樹(歌番号三十二)などは同姓の人物すら聞いたことがない。









たくさん、思いを馳せる何かがあります照れ







百の生き様、いや、その周りも含めた数多の生き様が凝縮されているということなのでしょうおねがい