非常に親近感のある動物が『馬』でして、小さいころやたらと描きまくったのを覚えています。
テレビに映るサラブレッドの美しい姿に、その馬自身や周囲の人々のかかわりなども絡んでくるといよいよ思い入れが激しくなります。

そこで、個人的に思い入れの強い、三頭の競走馬をご紹介したいと思います🏇





続いて

サイレンススズカ



 正直もともと、あんまり好きではなかった。だって『ヨーイ、ドン』でそのまま勝ってしまうのだから、勝ち負けの議論にならず、競馬の醍醐味も何もないもの。しかし、その勝ち方に磨きがかかるにつれて、どんどん好きになった。ただ無謀に、後先考えずに逃げるわけではない。最初からスピードがあって、さらに走れて、最後まで走り切る。本当に速い馬なんだなぁ、と感銘に近い思い。何しろここまで昇華するのに、実にいろいろあって…



 音速の貴公子/アイルトン・セナがサンマリノGPで命を落とした1994年5月1日に生まれたスピードの申し子。

 デビュー戦、7馬身差快勝からの2戦目。ゲート入りしたのに厩務員さんを追いかけちゃって、という話があるがゲートをくぐってしまい、気を取り直して走り出したものの8着に。あらかわいい、でも買ってる主たちはそうも思えないか
 それでも続く2戦に勝ち、日本ダービーに出るだけの資質に戦績はあった。直前までは先行、その後馬群に消えて9着。勝ったのはサニーブライアン。そう、その年。

 夏を越えて、神戸新聞杯から天皇賞・秋、そしてマイルチャンピオンシップへ。距離適正で菊花賞に向かわなかったとして、王道である。順に、菊花賞馬となったマチカネフクキタルの2着、エアグルーヴの6着、タイキシャトルの15着。やや成長途上といったところか。


 ここで、鞍上が武豊騎手に。最初の戦い、舞台は香港。積極的な逃げに直線粘り5着。それでも『この馬には押さえない競馬が向いている』と進言しコンビ続行を熱望。そこから快進撃が始まった。。。


 年明けから1番人気に応えた1着を並べる。5月の金鯱賞。先行して、スピードに乗って、もっとスピードに乗って、もっともっとスピードに乗って、もっともっともっとスピードに乗って、ゴール。何馬身差❔
 そしてついに、G1レース・宝塚記念に挑む。いつもの通りハナを奪って、スピードに乗って、もっとスピードに乗って、もっともっともっとスピードに乗って。でもさすがに一線級の各馬が一斉に追い込んでくる。それでも後続を3/4馬身差逃げ切って、ついにG1馬となった。



 秋。史上最高レベルともいわれるG2レース・毎日王冠。ひとつ下の最強世代から、グラスワンダー、エルコンドルパサーという2頭が挑んでくる。
影さえ踏ませることのなかったサイレンススズカに、直線前からグラスワンダーが果敢に並びかけようと、沸く場内。さあ直線、抜け出したのは結局、ハナを譲らないサイレンススズカ。グングン差を広げ連勝を続けるなか、最後まで追いすがるはことができたのは唯一エルコンドルパサー。

 1番人気での連勝を6に伸ばす。



 そして、サイレンススズカにとって一番相応しい勲章こそ、秋の盾だろう。東京競馬場、2000m。
 最もその力を発揮しやすい1枠1番から出走。1000m通過は驚異の57秒4。だがしかし、その先の栄光をその身に浴びることなく、稀代の快速馬は、天高く駆け抜けて行ってしまった。。。





 必ず配当増えるから、今晩は飲み会な❕と出かけたサークルの先輩とふたたび顔を合わせたときの生気を失った表情、今なおなんとも言えない。

 その走りを目にした方なら誰でも思う『if』。その産駒がいたならば。その後の戦績は。。そもそもこのレース結果は。。。


 最後にぜひ紹介しておきたいこと。仔馬のころから病気になったことのない、医者にかかったことのない、健康そのもの丈夫な体質であったと。そして、本当に気っ風のよい性格。大人しくて、頭が良い、と評価が揃っている。

 そして必ず出てくる『最強馬』論。最初から抜群のスピードで他馬を引き離し、そのままスピードに乗って、そのままのいい脚でゴールに到達すれば、それがいちばん強いに決まっている。



 サイレンススズカとは、そういう馬だった。





叶わぬ夢、届かぬ思い







サイレンススズカ
1994.5.1-1998.11.1
父:サンデーサイレンス
母:ワキア
16戦9勝(国内15戦9勝、2着1回)
1998年 宝塚記念