前回は割り算の計算方法を話しましたが、今回は割り算の意味の話です。

7÷2=3…1という式があったとして、この式が何を意味するかというのは、
問題がどんな文章かによって大きく変わります。

例えば、「7本の鉛筆を2人で分けました。一人当たり何本もらえるでしょう」
という問題と、
「7本の鉛筆を1人2本ずつ分けました。何人に鉛筆を配れるでしょう」
という問題は、全く意味の違う問題ですが、式は同じになります。

これを算数では「割り算には2種類ある」と習いますが、
中学になると文字を使用することによって1種類の方法で表します。
それが一次関数です。

一次関数というと、「割り算ではないよ」と思った方もいるでしょうが、
実は同じことなんです。
割り算を掛け算に変形すると、一次関数になるんです。

文章のみであまり難しいことを言うと分からなくなるので、
先程の割り算で表しましょう。
つまり、
7÷2=3…1と
7=2×3+1は同じことを表している、ということです。
上の式と、一次関数の基本的な公式である、
y=ax+bを見比べてもらうと、形が全く同じであることが分かると思います。

(続く)

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勉強をするに当たって、問題を解く方法(解法)にばかり気を取られている生徒が多いような気がします。最近の世の中の流れが結果至上主義に傾いているので、子供たちが「答えさえ出せば良い」と思うのも無理は無いかもしれません。
しかし、解法を覚えるだけの勉強方法は、かなり非効率な勉強法です。勉強は小学校から中学校、高校へとつながっていて、小学校の内容を100%理解(出来るではなく、分かる)していれば、中学校や高校の勉強はかなり楽になります。
例えば、割り算がそうです。現在家庭教師として小学生に割り算、中学生に一次関数、高校生に剰余の定理を教えているのですが、これらはすべてつながっているんです。小学生のときに習う割り算をどれだけ理解しているかで、中学以降の勉強の理解度が大きく変わってきます。
さて、小学校のときの授業を思い出していただきたいのですが、割り算の意味を
覚えていますか?割り算とは、引き算の集合体です。例えば、7÷2=3…1という計算だと、
7-2=5
5-2=3
3-2=1
と、7から2を何回引けるのかという問題なんです。すると、3回引くことが出来て1余るので、答えが3余り1となります。
これが割り算の計算の定義です。
これが何を意味するのかということは、数学を勉強することで理解できるのですが、掛け算と反対のことをしているから、というのが算数と数学に共通して言えることです。
つまり、掛け算とは、同じものを何回足すか(2×4=2+2+2+2)という意味なのに対して、割り算はその逆、つまり同じものを何回引くかという意味なんです。
(続く)
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最近、生徒に良く話している話です。

【問題】
お腹を空かせた成犬があなたの前にいます。
さて次のうちどのような応対をするのが良いでしょうか?
1.えさをあげる
2.えさを採る方法を教える
3.殺してしまう

多くの生徒は1を答えにします。
「えさを採る方法を教えるなんて、めんどうくさい。
だから、とりあえずえさを上げたほうが良い。」
そんな答えです。

でも、一方で少数の生徒は2を答えにします。
「一度えさをあげてしまうと、ずっとあげ続けないといけないけど、
一度えさの採り方を教えれば、その犬は一生生きていけるから。」
確かに、おっしゃるとおり。

さすがに、3と答える生徒はいません。

私も1と2の2択なら2番目を選びます。
でも、本当に選びたいのは、選んでしまうのは3番。
どちらかというと、殺してしまうというより
存在を自分の意識から消してしまう、という感じですね。

学生のように、子供ならまだしも、
成犬、つまり大人にもなってお腹を空かせているような人に、
時間を割いている暇は無いんです。
そんな時間を作っていたら、自分の周りにいる
頑張っている人たちに申し訳ない。
自分に出資している人たちに申し訳ない。
自分のために働いてくれる人たちに申し訳ない。
そんな気持ちになるのです。

その時間を、分からないけど頑張りたい生徒に、
勉強を本気で教えたいけど、教え方で悩んでいる講師に、
子供の未来を本気で考えているけど、
どう接すれば良いかで悩んでいる保護者の皆さんと
話す時間にしたほうが、どれだけ効果的でしょう。

そう考えると、どうしても3番目を選んでしまうんです。
(続く)
最近、授業で「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という言葉を良く使います。
勉強というものは、まさに歴史から学ぶものです。
先人たちが血道を上げて積み上げてきた知の塊が
一冊の教科書の中に詰まっています。
たった一行の文章でも、
その境地に至るまでに先人はおびただしい労力をかけてきたものです。

例えば、エジプトから約束の地を目指したモーゼたちは、
最終的に約束の地に達するまでに10年以上もさまよい続け、
結局モーゼは約束の地にたどり着く前に死んでしまいました。

しかし、モーゼや他の宗教家の探求が論理という学問を生み、
論理と数学が結合することにより、数学は無限の可能性を秘めたのです。

この詳しい話はまた別の機会にするとして、
先人たち莫大な労力をかけて新しいことを発見しています。
その発見を、私たちは彼らとは比較にならないくらい
少ない労力で手に入れることが出来るのです。
これが、“歴史から学ぶ”ということです。

逆に、歴史から学ばないということは、先人たちがたどった道と
同じ道を選択するということです。
多くの労力と時間をつかって、同じ事を発見していくのです。
いや、同じ発見をするに至ることは少ないでしょう。
私たちは歴史に名を残すレベルの労力を使わないと
同じ発見が出来ないのですから。

もちろん、経験から学ぶことは非常に重要です。
しかし、歴史から学ぶということは、経験から学ぶことより
一つ上のステージであると思います。

私を含めて、皆さんはどのステージにいるのでしょうか?
歴史から学んでいますか?
それとも経験から学んでいますか?
それとも…
定期的に自分の心に投げかけるべき「問い」なのかもしれません。
他人の力を借りる最も簡単な方法は、周りの人に助けてもらうことです。
保護者の方や友達に協力を依頼したり、
私どものような家庭教師や塾にお願いするのも良いですよね。

周りの人に助けてもらうときに気をつけたいのが、
周りの人が自分を助けやすい状況を作ってあげることです。
自分がどんな助けを必要としているのか、
それを明確にして相手に伝える必要があります。
自分がどうして欲しいのかが良く分かっていないのに、
相手に助けを求めても、求められた相手は困ってしまいます。

ただ、家庭教師の場合は生徒がどうして欲しいのか分からない場合でも、
心の奥に潜んでいる欲求を掘り出してあげる必要があると思いますし、
それが家庭教師としての責任だと思っています。

他にも、本は他人の力を効率よく借りる方法です。
一冊の本を書くのに、筆者は膨大な時間を使っています。
一冊のページ数は約200ページですが、
実際に書く量はこの何倍もありますし、
本を書くために調べる時間もかなり必要です。
ある方の場合、本を書こうと思って
出版社に提出するまでに8ヶ月かかっていて、
実際に執筆したのは2ヶ月だったそうです。
自分で書こうと思ったら、すごい労力ですよね。

そうしてまとめられた本は、
非常に効率よく情報を吸収できるようになっています。
さらに、最近の本は小見出しや文章の構成を練ることで
より情報を吸収しやすく出来ています。
そんな情報を千円~二千円で買えるのですから、
本を使わない手はありません。

これら以外にも、効率を上げる方法はたくさんあります。
書籍でもさまざまな方法が取り上げられていますので、
興味のある方は、一度本屋さんや図書館に行ってみてください。

株式会社OME
勉強に限らず、何かしらの成果を上げようと思ったら、
質と量が必要です。
量を増やすことは簡単ですが、限度があります。
例えば、勉強時間を増やそうと思っても
24時間以上に増えることは無いですし、
実質的に可能な時間ということで考えれば、
10時間を越えることは不可能でしょう。

でも、本当に10時間することが良いことでしょうか?
10時間勉強して成績を上げたら、
本当に豊かな生活が送れるようになるのでしょうか?
お子さんにとって、成績だけがすべてなのでしょうか?

勉強以外にも、自分自身を見つめる時間が必要ですし、
人間関係をはぐくむ時間や知的探求をする時間も必要です。

そう考えると、私は一日に必要な自学自習の上限は
3時間位ではないかと考えています。
これ以上やっても濃度が薄くなったり人生に偏りが出たりして、
効果的では無いのではないでしょうか。

ですから、後は質を上げることが重要であると思います。
例え勉強時間を3時間しかとらないとしても、
効率が100倍になれば、
24時間勉強し続けている人にだって簡単に勝てるのです。

でも、さすがに効率を100倍にすることは
不可能だろうと思う方が多いのではないでしょうか。
そんなことはありません。十分に可能です。

それは、「他人の力を借りる」ということです。
自分の力だけで効率を100倍にすることは容易ではありません。
しかし、他人の力を借りることが出来れば、
効率を100倍にすることは簡単です。

では、他人の力を借りる方法にはどんなものがあるのでしょうか?
(続く)
株式会社OME
期末試験が大体終わり、結果が続々と返ってきております。
その中で、とても気になる結果になった子が一人います。
仮に、その子をAさんとしましょう。

Aさんは今年度に入ってから勉強に対して正面から取り組むことが出来るようになり、
前回のテストでは自己最高記録を遥かに超える結果をたたき出しました。
しかし、今回の結果は前回よりも低くなることが確実で、
とても残念がっていました。

そんなAさんから、今日受けた質問が、
「前回は現実逃避をせずに6時間も勉強したから結果が出たと思ったのに、
今回は同じく現実逃避をせずに10時間も勉強したのに、なぜ結果が出ないんですか?」
というものです。

さて、この質問を聞いた教育関係者なら、その理由は良く分かるのではないでしょうか。
一言で言えば、「過ぎたるは及ばざるが如し」ですね。

聞いてみると、頭が痛くなるまで勉強したそうで、
点数が下がった理由がケアレスミスが大部分とのこと。
中学生でここまで頑張るのは大したものです。

というわけで、Aさんへの課題は「勉強時間の制限」。
理科・社会は毎日最大20分まで、数学と英語は毎日最大1時間までの制限をつけました。
勉強は長い時間すれば良いわけではなく、
短い時間でいかに効率を上げるかが重要です。

ちなみに、このアドバイスは精神的にあるレベルに達していないと逆効果になります。
勉強をしたくないと考えている生徒にこんなことを言ったら‥おわかりですよね?

では、そのレベルとは何かという話ですが、
人間の成長には人間関係を除けば3つの段階があると私は考えています。
この3つはビルでいえば3階建てのようなもので、
1階が「自分の意思を知る」こと、
2階が「目的や目標、もしくは自分の価値観を知る」こと、
そして3階が「効率を上げる」ことです。
しっかりした2階を作るためには1階がしっかりしている必要がありますし、
しっかりした3階を作るためには2階がしっかりしている必要があります。

Aさんの場合は、2階まではしっかりしているけど、3階がまだ無い状態ですね。
大人でも1階すら怪しい人が多い中、さすがです。

さて、Aさんは今後どのような成長をしていくのか、
興味深く見守っていきたいと思います。
現在、新学期のための準備をしております。
その準備の中で、私が家庭教師を始めた大学生の頃の資料などが出てきました。
とても懐かしくなり、時間を忘れて目を通してしまいました。
初心に帰ることしばし。
感傷深い時間を過ごしました。

今回は、私がなぜ家庭教師をしているかについて書いてみたいと思います。

私が家庭教師をしている理由は、
「家庭教師が現在の教育上の問題を解決できる方法の中で
最も即効性があるから」です。

現在の教育上の問題はいろいろとありますが、
最も大きな問題は、どのように子どもを教育してよいかが分からず、
追い詰められている保護者さんが多いということです。

その追い詰められている主な原因は、「地域社会が崩壊したから」だと考えています。
また、この視点から考えればすべてのつじつまがあります。

ここでいう地域社会とは、隣近所との交流、と考えてください。

以前は、地域社会が子供を育んできました。
誰もが、最初の子供を育てるときは親として初心者です。
その親御さんを子育ての経験豊富なおじいちゃんやおばあちゃんが支え、
さらに子育ての経験があるご近所が支えていくことで
子育てが成り立っていました。

また、それらの手助けが行われていく際には必ずコミュニケーションが存在します。
そこで、子供は親御さん以外の多くの大人とコミュニケーションをし、
思考の多様性と知性を育んでいきます。

「親はいなくても子は育つ」という言葉にもあるとおり、
「親はいなくても”地域社会があるから”子は育つ」わけです。

しかし、現在は地域社会が崩壊し、
子育てを親御さんがかなりの部分をしなくてはいけなくなってきました。

以前なら、口うるさい近所の方が子供の躾をしてくれたのに、それも親御さんが。
近所の物知りおじさんが子供にいろんなことを教えてくれたのに、それも親御さんが。
近所のおばさんがたまに夕飯をたべさせてくれたのに、それも親御さんが。
そして、新米の親御さんにいろんなことを教えてくれた近所の方はめっきり減ってしまいました。

ですから、保護者さんが気軽に定期的に相談できる状況を作る必要があると私は感じています。
そのための、最も即効性のある方法が家庭教師であると考えています。

ですから、もし家庭教師を頼んでいる方がいたら、
是非家庭教師に教育に関する質問をぶつけて欲しいのです。
もしかしたら、その家庭教師から即答されることはないかもしれませんが、
きっと必死で調べてきてくれるのではないかと思います。
また、必死で調べるような人に家庭教師をして欲しいと思っています。
友人が「頭が良い」と「賢い」の違いは何?と
という日記を書いていたので、私なりの答えを書きたいと思います。

二つの言葉に明確な定義が無いので、
あくまで私の主観ですが、 簡単に違いを述べると、
「頭が良い人」は情報の処理能力に優れている人で、
「賢い人」は情報を”正しく”処理する能力に優れている人だと思います。

”正しく”、つまり、方向性です。

「頭が良い人」は人を騙しますが、「賢い人」は人を騙しません。

どういう方向で考えればよいのか。
その基盤がしっかりしている人。
それが「賢い人」ではないでしょうか。

基盤がしっかりするために必要なものが、”智慧”。
智慧とは哲学用語で、単なる学問的知識や頭の良さではなく、
人生経験や人格の完成を俟(ま)って初めて得られる、
人生の目的・物事の根本の相にかかわる深い知識のことです(大辞林より抜粋)。

つまり、「頭が良い人」は、人生という航海をするにあたって、
船のスピードがただ単に速い人であり、
「賢い人」とは、深い知識や思想を羅針盤にして、
その針の指し示す方向へ確実に進んでいくことが出来る人だと思います。

私は、賢くありたい。そう思います。
日々精進ですね。