何もできなかった日=ダメな日、だと思っていた
何もできず、ベッドから動けなかった日。
以前の私は、そんな自分を一日中責め続けていました。
前回、前々回でも触れましたが、私は「動けない日」の方が自分を知ることができると思っています。
「動いている日」はそのことに集中するあまり、自分自身について考える余裕があまりない気がします。
立ち止まった時こそ、真の自分自身について触れて考えることができるのだと思います。
そもそも「何も出来なかった」という捉え方自体、見直す余地があるのではないでしょうか。
動けなかった日は、心が止まっていたわけじゃなかった
「何も出来なかった」にも2種類あると思います。
私は「何もできなかった日」を、思考できた日と思考すらできなかった日の2つに分けて考えるようになりました。
1つ目は「肉体的には何も出来なかったが、思考的には思索を巡らせることが出来た」
という状態です。
2つ目は「思考を巡らせることすら出来なかった」という状態です。
この2つは明確に分けて考えるべきではないでしょうか。
1つ目の場合、自分や身の回りのことについて考えることができていたのですから「何も出来なかった」ことに含まれないと思います。
問題となるのは恐らく2つ目の場合ではないでしょうか。
自分自身も度々あり、その度に自己嫌悪に陥っていました。
精神的に疲れ切り、頭にはモヤモヤがあるのですが、上手く言語化できない。
また、言語化はできるが考えたくもない(思考の放棄)という状態が度々ありました。
考えること自体が億劫だったり、考えることで現実を直視することが怖い、将来の漠然とした不安がのしかかってくるのが怖い。
私も幾度となくこの種の感情に苛まれました。
できなかった日の自分を観察するようになった
そうした中で、私はこのように考えることで自分を肯定的に捉えることができるようになりました。
思考を巡らすことも出来なかったということは精神的限界に来ている。
精神的な限界を迎えたときは、むしろ何もできないことが普通であり正常であると。
つまり、積極的なメンタルの休養をとることで翌日以降の精神的負担を減らそうという
考え方です。
人間誰しも毎日がメンタル的に大丈夫とは限りません。
心が悲鳴を上げているときは、その悲鳴に耳を傾けてあげて積極的な休養で癒してあげる。これが一番大事なことではないでしょうか。
私は、「本当に何も考えられない日」をこのように積極的にポジティブに捉えるようにすることで、後ろめたい気持ちが消えて精神的に落ち着くことができました。
ほんの少しの気の持ちようです。
しかし、その些細なことを明確に意識できるかどうかが、自分の心の負担を減らす
大事なポイントになりました。
『何もしない日』を、回復の日として扱う
私は考えることすら出来なかった日に、むしろ限界を超えなかった自分を褒め、次のステップに向けた「ばねが縮んでいる状態」と捉えるようになりました。
無理をせず、ばねを縮めれば縮めるほど復活したときのジャンプ力は爆発的に上がるはずです。
もし「今日は何も考えられなかった」と感じたら、それは休むべきサインだったと私は考えています。
だから最近は、「今日は何もできなかった」と感じた日は、無理に意味を探さず、体と心が回復するのを待つ日にしています。
私自身、実際にここまで振り切った考えに至るには時間がかかりました。
毎日不安や焦り、葛藤との戦いでした。
しかし、逆に何も出来ない日があったからこそ、この思考に至れたのかもしれないと
今では思うようになりました。