日本人に大事にしてもらいたい味覚の深さや繊細さや幅について・・・それも深くて大切にすべき文化です | Olive Twigs

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2013年に、日本食が無形文化遺産として、世界遺産に登録された。

カナダでも日本食は人気が高い。"Japanese Food"とか"Japanese Restaurant"というだけで、内容はどうあれ、他のどんな料理ともまた一線を画する特別感を持って受け取られることが多い。(特に流行に敏感な都市部に住む人々や、若者たちにはね)

 

ビジネスでもクライアントを招待したり、プライベートでもお誕生日や何かの記念日のような特別な機会に特別な人を連れて行くのに、Japanese Restaurantを使うと、招待された相手の気持ちは一気に特別感が増して、盛り上がってしまう。

北米でもアメリカ国内や、カナダでも日本に近い西側のバンクーバー辺りはどうなのか詳しくはわからないけれど、トロント近郊やそれより東側では、本当の日本食を味わえるレストランというのは、まだまだとても少ない。私がカナダに移住した頃などは、本当に全然なかったといえるくらいである。

でも、特に”Sushi”という食べ物が老若男女を問わず、幅広い人々に知られ、生の魚が乗っかっているものを食べて美味しいと思うという、30年くらい前までは普通ではとても考えられない食文化の高い壁を乗り越えた人が海外でも増え、人気が高まってくると、日本食には他にもどんな美味しいものがあるんだろうと、彼らの中の関心の門が大きく開かれた。私が中国人や韓国人や他のアジアの国からきた人ではなく、他でもない日本人なんだとわかった途端に、たいてい質問されるのが、

 

「どこの日本食レストランがオススメ?」

 

というものだった。

でも正直、その時に自分の中で迷いというか、説明のできない、日本人の私の思う日本食と彼らの期待する日本食というものへのコンセプトの違いがあるのを感じた。

それは、彼らの期待する日本食というのが、海苔がシャリの内側に巻き込まれ、表面にはアボカドや真っ赤なトビコやうなぎの照り焼きのようなものが一面に巻きつけられた、いわゆるカリフォルニアロールであったり、天ぷらやトンカツ、照り焼きチキン、うな重、というようなものだからである。(最近ではラーメンなどもしっかりと入ってきているかな)つまり、いわゆる明治以降に流行りもののようにして出てきたようなものばかり。

それらは確かに日本で生まれたか、もしくは端を発するものだったかもしれないが(カリフォルニアロールはどう考えても日本ではない・・・。多分カリフォルニアの人が日本の巻き寿司を作ろうとして、海苔を最初に敷いてからシャリを乗せて具を乗せるのではなく、海苔を最後に乗せて巻いてしまって、事故的にああいう形状が出来上がったのだと思う)日本人が日本食として慣れ親しんで捉えているものの姿、種類、素材、味などはぜんぜん違うものなのだ。

そんなわけで、北米にあるほとんどのJapanese Restaurantと名付けられて営業しているところは、日本人からすると、まあ間違ってはいないけれど、これだけが日本食としていいかと言われると、いやかなり違う、というものばかりなのである。それらのお店は、Japanese Restaurantとしてくくるというよりは、日本人からすると、お寿司屋、トンカツ屋、カレー屋、ラーメン屋、みたいなもので、日本料理屋、ではあり得ない。

そういう中から日本人としてどの日本食レストランが一番美味しいかと質問されても、一瞬答えに詰まってしまうのだ。はっきりって答えは、

 

「うーーーん、無い。」

 

と心の中で言いつつも、「多分この人の求める感じからすると、ボリュームもあるトンカツ系とかラーメンとかそれなりに食べられそうなところなのかなあ・・・」と思って「それだったら、こんなところとか・・・」というなんとも不甲斐ないような、煮え切らない答えをしていた。

 

それに大抵の北米人は、日本人がほっとする、懐かしい、何度食べても飽きないと思うような典型的な日本食の味は、物足りない、素朴すぎる味なのだろうとも思える。カリフォルニアロールの材料の組み合わせにしても、天ぷらやトンカツや照り焼きチキンなども、かなり味がはっきりした、お醤油やソースをたっぷり絡めて食べるものである。

日本の何気ない家庭料理や、根菜類の煮物や、野菜のおひたし、薄味のおでん、美味しい出汁を引いて作られた汁物、素材の味を際立たせるために薄味に控えられて作られたものなど、日本人が「美味しい!体に染み渡る!」「ああ、日本人でよかった!」と感じるような日本料理の味を思うと、北米人が期待する日本の食べ物の味に比べて、それらのものは明らかに「薄い」「味にパンチがない」「ぼやけている」「素朴すぎる」と思われるだろうと、日本人だったら想像できるのではないだろうか。

実際あるカナダの友人は、日本食の味を評して、"bland"だと言った。当たりは一応柔らかい言葉とも言えるけれど、要は味気ない、面白みに欠けた味、ぼやけた味、刺激のない味という意味である。

そういうことを通して、移住してしばらくしてから日本人的な味覚について再発見したのは、日本人が美味しいと感じられるものの奥行きには、とても深い幅があるということだった。

お仕着せの工場やラボで作られたかのような決まった、わかりやすい味、強い味、刺激的な味という分野だけではない。もっと微妙な、自然の素材の中に存在する様々な味の種類を感じ分ける。その中にその土地ごとの風土や環境、何より季節ごとの素材の味の楽しさ、それも去年はこういう味だったけれど、今年はこういう味だとか、まだ早生のものと旬になってきたもの、盛りを過ぎて終わりに近づいているもので味や食感の違いを感じたり、と色々な経験をし、楽しむことを知っている。

日本食が世界遺産になった理由は、カリフォルニアロールのような舌にも目にも刺激的な寿司やトンカツや照り焼きチキンが好まれる理由とは違って、むしろそういった刺激や強さとは対極にある、繊細さや味の奥行き、季節ごとの自然のもたらす儚く新鮮な命のある味わい、落ち着いた、お腹に染み渡り命を支えるものなのだと思う。

北米型の食生活に傾く日本人の食事の変化について考えた、前回の話の流れからも、日本人自身がこういう味覚を簡単に失ってしまっては、本当に大きな損失、命に関わる損失になってしまうのではと、少し胸が苦しくなってきてしまったりする。だからこそ日本食が世界遺産の無形文化遺産として、特別にされることになったのもあるだろう。それが大きく功を奏してほしい。特にそれをずっと保持してきている日本人の間で。