英語の壁をどう乗り越えられる? <その2> | Olive Twigs

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前回の英語の壁をどうやって乗り越えられるのか、という話の中で、私があちこちで見てきた、英語なんてきっとそんなに勉強してはいないだろうおじちゃんおばちゃんが、堂々と英語圏で人と関わってつながれている様子を書きました。

どう見ても、英語の教育を何年にも渡ってしっかり受けたとはほぼ全く思えません。一般的な日本人の方が、少なくともその何十倍も英語をしっかりと学ぶ機会に浸れてきていると思います。

では、どうやっていとも簡単にそのおじちゃんおばちゃんは英語の壁を乗り越えているのか。

まずは、そのバックグラウンドで自然と培われている力が大きいのではないかと思います。

私が見たところによると、たいていそういうおじちゃんおばちゃん(おじいちゃんおばあちゃん)は、地中海周りの国や、中近東の国から来ていることが多いです。歴史的にも地理的にも他の国と地続きで、絶えず周辺の別の国からの文化的、商業的、政治的な影響がある状況です。

つまり、言葉や文化を乗り越えて近隣の民族と交流が普段からあったり、場合によっては政治的にも商業的にも交渉や摩擦やせめぎ合いすらあったという環境に常にあったわけです。

そういう土壌で人生を過ごしてきているせいで、おのずと言語のスキル(文法が正しいか、発音は正確か、単語は多く知っているか、流暢にスムーズに文章が作れているかなどなど)なんてフォーカスにしない、していられない、それより自分の意見のコアをしっかりと伝えること、意思の疎通が大事、ということが当たり前のように一人一人の中に育っているのだと思います。

相手もなにかしら持っているものがあるのは認識しているけれど、自分も持っているものがある。

 

自分の中にあるものへの肯定感が強い。

自分が持っているものがどういう種類のものであろうとも、大きいものでもごく小さいものでも、すごく価値のあるものでも逆に簡素で荒削りのものであっても、自分でその価値を決めて、それをもって出て行く。


その自分で自分の持っているものの価値を決める、決められる、ということだけでも大きな課題がそこにある気がします。

確かに場合によっては1しかないものを10以上に見せようとするということもあるかもしれません。でもなにか良くない意図がそこにあれば、それはそれでいずれどこかで限界を見ることになるのでしょう。でも逆に1しかなくても、その1の価値を自分の中で本当に大事に、その可能性を信じる気持ちを持っていたら、それが未来を切り開いてくれるのだと、そのまさにお手本がここにいるおじちゃんおばちゃんなのだと思います。

つまり英語の壁を乗り越えるには、スキルそのものの質や量が問題なのではないのですね。それ以上に乗り越える勢いをつけてくれるのは、その人の中にある人間としての自信であり、目の前の人を自分と同じ人間として良い意味で認めて受け入れることができて、その人と意思の疎通を図りたい、自分の意思を表現しつつ、繋がりたいと願う心なのだなと。

英語の壁を乗り越えるために磨くべきものが何であるか、見えてくることの助けになれば嬉しいです。このテーマにまつわる話はまだまだ話していきますので、どうぞお楽しみに。

 

読んでくださるみなさんが、英語だけでなく、他の言語でも、または言語の学習にとどまらず別の環境や条件の中でも、何か乗り越えられるためのヒントを見つけてもらえたら何よりです。