英語の壁をどう乗り越えられる? | Olive Twigs

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日本にいても、世界のどこにいても、自分を生きる


こんにちは。

 

東京近郊もこの週末から一気に冬から初夏に飛んでしまったようなお天気ですね。

カレンダーもまもなく4月に変わり、日本中新しい年度が始まりますが、気持ちを新たに、何か新しいことを始めようと思っている方も多いのでは。

 

今回、日本人が身に付けたいと思っているスキルの一番ポピュラーなものの一つ、外国語、特に英語について、実際に日本の英語教育を長年受け、またずっと仕事でも使い、その後海外へ移住して英語の環境に揉まれた立場から思うところをシェアしたいと思います。

 

どうして日本人は英語を読んだり書いたりはできるのに、聞いたり話したりはできないのだろう、というのは、本当に日本国民挙げての、長きにわたっての大きな疑問になっていると思います。

少なくとも中学三年間、その後高校でも三年間と、今では小学生の頃から英語のクラスも始まり、6年以上は英語を学ぶ環境が必然的にできているのに、どうしてなのか。。。

英語と日本語は文法が全然違うから、単語も違う、発音も違う、日本の英語教育そのものに問題がある、色々な理由?言い訳?は考えますよね。

私自身もこれまで数え切れないくらい色々な場面で、そういう理由を考えさせられることに直面したので、その「どうして?」という葛藤、疑問、苛立ち、そして不甲斐なさみたいなものも実感としてよくわかります。

その果てに思うのは、

外国人を目の前にした時に、その人を自分とおんなじ人間と思えるかどうか。

それだけなんじゃないかな、と。

「英語はツールであって、流暢に話せるようになること自体が目的ではない」とだれもが聞いたことがあると思います。本当にその通りだとそれは私も実感として思います。

北米のような多民族の国にいると、実際英語の単語を3つしか知らないようなおじちゃんおばちゃんが、身振り手振りを加えて、相手と堂々と相手と会話して、伝えたいことを伝えて、相手から欲しいものをそれなりに受け取っている、ということは結構見ます。
英語教育を6年間も受けているとは到底思えません。正しい発音や文法なんて何も知らない、というか、そんなこと気にもしていない雰囲気です。

でも相手の存在に全然引いていない。圧倒されていない。相手とつながって、自分を堂々と出して、会話をそれなりに成立させている。そして最後は互いがにっこり。

それって、日本人的にはほぼあり得ない(許せない?)状況かもしれません。文法が、とか、発音が、とか、色々と気になってしまって。

だけど、このシンプルな、ありふれた光景から学ぶことは、とても多かったなと思います。

一番はそのおじちゃんおばちゃんのフォーカスが自分の英語のスキルではない、ということ。フォーカスしているのは、相手に自分の意思をわかってもらって、相手と繋がること。

そして、本人の中の自信。腹が据わった、自分の存在への自信。自分と相手は同等だという、良い意味での認識がしっかりある。それが揺れない。

いわゆるおじちゃんおばちゃん特有のふてぶてしさとか図々しさとかいうものを超えた、人とつながったり、生きていくために大事なものが詰まっていたなと。

 


ひとまず、英語で外国人と話すとか、外国人と知り合っていくとか、とてもシンプルな設定、でも壁はかなり厚いと思いがちな設定の中で、これってすごく大事だと思えた点を、経験的に学んだところから書いてみました。

次はもう少し具体的に、どうやってその大事な点を自分の中に蓄えられるか、少しずつお話しできればと思います。