Olive Twigs

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日本にいても、世界のどこにいても、自分を生きる


一般的に経済が発展するための一つのシンプルな法則は、こういうことらしいです。

お隣のお家が、ある時に何かをアップグレードしたのに気づいて、自分の家も何かしないとと思って、アップグレードを始める時。

その気持ちを想像してみると、なるほど確かにそうだなと納得できます。

お隣のお家が車を新しいものに変えたら、うちも新しくしてみようか、とか、車の車種がアップグレードしたから、うちもそうしようかとか、外壁を新しくしたから、うちも何か外回りを変えようかとか。

近所にいきなり新しくて大きな家が建ったので、急に居心地が悪くなってしまった、自分の家が古くて価値が低く見えてきたから何かリノベーションをしないと、と考えるとか。

よっぽど無頓着であったり、そんなことにかまっていられないほど、他にお金が必要だとかでなければ、それなりになんとかしようか、と思う場合が多いのではないでしょうか。

そこに経済活動が始まるのです。

ご近所の話だけでなく、クラスメートや、親しい友達、自分の属するコミュニティーの誰かが何か新しいものや、今まで共に慣れ親しんできたよりも少し(かなり?)上のレベルのものを持ち始めたのがわかった時にも、きっと同じような反応が起こるのだろうと想像できます。

子供が、自分のクラスメートの一人が自分の携帯電話を持ったから、自分も欲しいと親にねだったり、友達の間で流行っているテーマパークに自分も行きたいと言ったり。

親のほうも、自分の子供が周りから置いて行かれないようにと、いろいろなお稽古事に通わせたり、最近では英語がしゃべれる方が先々のアドバンテージが大きいからと、インターナショナルスクールに通わせたり、教育移住まで考えたり。子供ができるだけきちんと見えるように、着るものや持つものを整えたりするのも、そのうちに入ると思います。

そういう、周りに影響されて、自分の身の回りにあるもののサイズや量や質をアップグレードしようとする(してしまう?)精神が、皮肉にも経済をかなりの部分で動かしている、という現実があるようです。

確かに経済活動は生身の人間の行う活動のことなので、経済学的に見えてくる事象は、当然その人間の有り様が反映されたものになるのも当然なことと言えます。

ですが、他の人の目を気にして自分の身の回りのものへの経済的な投資を続けることは、終わりのないゲームに身を投じているようで、虚しさも感じられてきます。

その心理はつまり「もっともっと」を果てしなく求めていってしまうことで、それは抜け道の見えない迷宮にはまってしまうようなものです。そして何を得たとしても、またもっと別の良いものが周りに出てくると、またもっともっとを探してしまうのです。

思うに、そのように周りの価値観に「振り回された」選択のうちに歩んでいるのであれば、そうなっている自分にまず自分で気づき、pauseして、自分の価値を置くものを自分で認識して、それを選択することが必要なのではないでしょうか。

実際、身の回りにあるものが、他の人の価値観によって決定されて、自分がそれに流されて集めたものが多かったりしませんか。でもそれを避けて、今ある中から自分の価値を置くものを選び出していくと、意外と違う光景が自分の周りに出来上がってきたり、見えてきたりするのではないかと思います。

なぜ自分がそれが好きなのか、なぜそれに自分は心が惹かれて、価値があるなと思えるのか。その答えを探し出すには、周りの目や評価から離れるという意味で、かなり勇気がいることになり得ると思います。でも、その答えの中にあるのは、他でもないあなた自身から湧き上がっている、あなた自身のオリジナルの姿なのです。それは周りが良し悪しをジャッジしたり、決められるものではありません。

周りに振り回されて、終わりのないもっともっとの世界にはまっていることもできますが、自分が「これが私はいいんだ」、と腑に落ちつつ選択するものの中に、もっと自由で、心が解放されてほっとできて、納得のいく世界が広がっているのがわかってくるのも、真逆のすごい世界を享受できると思います。