本日ポストする記事は1月9日から書き始めたのだが、諸般の事情から翌10日夕刻に生まれて初めて2万円を調達するため質屋を利用して現在使用しているラップトップ・コンピューター数台を質種(しちぐさ)として差し入れてしまったため記事の公開が遅くなってしまったのだが、その間に私と同様の感覚を覚えたジャーナリストの方が公開記事として寄稿されていらっしゃったので、ぜひご一読いただき先に進んでいただけたらと思う。

ペットの「機内持ち込み」はなぜできないのか…経験者が語る、ペットを預けることで起きる「最大の不安」 講談社 オンラインサイト:マネー現代

 

 

1月2日の羽田空港におけるJL516と海上保安庁 羽田基地所属航空機の衝突事故で生じてしまった預託手荷物扱いで貨物室に留置、焼死させてしまったペットについて、元フジテレビジョン職員でフリーランス・アナウンサーである笠井信輔氏の「客室にペットを乗せることを日本でも試験的に始めてみては」というソーシャルメディアへのポストに共感応答する形で女優/俳優の石田ゆり子さんのリポストが賛否様々な見解交錯を起こし、炎上騒ぎに発展してしまった。

 

私個人の見解として「いちいちギャーギャーと反応する必要があるのか? 大してやることがなく暇で噛みつくんだろうなぁ〜」と思っている。

「ペットは飼い主にとっては家族であっても、“物扱い”せざるを得ない、現状では。」に一石を投じたことは確かだが、【全て拝読したわけではないが】個々の感情論のぶつけ合い、要は“(電子掲示板上で)文字による口喧嘩/痴話喧嘩をしているだけ”ではなかろうかと?

 

その“口喧嘩/痴話喧嘩”レベルの文字の乱舞、文字による乱闘から「最善の解決策」の提示など望むことすら的違いでしかなく、どこまでも“口喧嘩/痴話喧嘩”レベルの争いごとに心血を注ぐ、その心情すら私には理解不能でしかない。

 

本日は『感情論で“口喧嘩すること”がニッポンジンの思考根源か?』と題し、上部だけで中身のない“議論/討論”に必死になる現代ニッポンジンの浅はかな思考水準と本質的解決に結びつけることができない知性水準、双方の低さを検証し、本質的解決策に結びつける論拠を導き出してみたいと思う。

 

 

私が法政大学へ入学した20歳の時、1985年初めて犬の飼育を始め(1996年没)、向精神薬漬けになり始めた2003年から2頭目を飼育した(2016年没)

犬種は1頭目がイングリッシュ•ポインターの牡、2頭目はイエロー ラブラドール•レトリバーの牡。

大学生4年間ほぼ毎日日勤Part-Time Jobに就いていたこともあり毎日のように一緒に遊ぶこともできなかったが、家族の中で一番好かれていたようだった。

犬を飼い始めてから家族全員による旅行の回数は減り、旅行時は自動車で愛犬を連れ、愛犬だけ車中泊させていたことがある【両犬とも乗用車外出が好きだったようだ】。

愛犬家として「要緊急脱出時にペットも助けたい」という気持ち、感情は嫌というほど理解できるし許されるなら救出するべきだとも思う。

 

しかしながら、機内同乗は衛生面、健康面、緊急事態発生時の速やかなる退避に支障を生じさせる面がある以上、積極的な推進は難しいであろう。

旅客飛行機機内では食事や飲料摂取機会があるため衛生保持の観点から、飲食不要の短距離飛行便に限定するとか、客室後方に半隔離状態の限定座席を設置するかしなければならないと思慮できる。

福岡県北九州市に本社を構える国内旅客航空便を運行する株式会社スターフライヤーの一部運航便では追加料金の支払いでケージ内に格納したペットの同乗を認めているが、緊急脱出時には放置せざるを得ないとなっている。

愛犬家として同乗ペットを横に置いたまま、果たして見殺しになることに戸惑いを覚えず緊急脱出/避難できるのか?

私にはできないと思う。

 

飼い主にとってペットは間違いなく家族の一員であり、他乗客/乗員からも単なる「物」と見做されることはないだろうが、一般乗客である人間ですらパニックを起こしかねない事態時にペットが沈着冷静且つ、統制の取れた脱出と脱出後の避難時に兵士のように振る舞えるか?

 

過日『命の別名 (2021年11月24日分)』で触れたが、メンタリストと名乗るわけのわからない職業を標榜する御仁が「路上生活者にカネを使うな、使うなら猫にカネを使え」と宣うたことがあった。

人間の生命と家畜の生命、同等と考えていいのか、家族同様だから助けなければならないのか?

この視点/論点は感情の問題であり、問題の本質ではない。

例え家族であったとしても、憎悪/憎しみで満ち溢れた家族間なら平気で見殺しにするだろうし、殺人事件で最も多いのが家族、親族間であることからも「家族だから助けたい」との感情が普遍的なものとは言えない【ペットがもたらす親愛の情に打算がない(見返りを求めない親愛)が故、人間に求める愛情と質が異なり人間の一方的偏愛感情が擬似家族化させていると思慮している】。

 

では、家畜の生命と人間の生命との違いはどうであろうか?

今般の令和6年能登半島地震に於いても飼育している家畜、牛の飼育に支障が生じている。

水が飲めないと餌を食べないという弊害が生じていること、搾乳出荷できないことと牛舎衛生保持ができないという問題だ。

畜産業としての家畜飼育を生業とすれば、他者の生命よりも飼育する牛の生命を優先させたとしても解らなくはない。

だが、実際に人間が飲める飲用水を飼育牛に与えたりはしていなかった。

能登半島の上水道水道配管が完全復旧するには5〜10年単位の時間が必要だと私は推測している【水道料金の大幅値上げの必要性と市民負担の現実性不均衡及び全国的な上下水道Infrastructureの劣化進行に対する歯止めができない現実問題の2面から】。

その間に、飼育牛は能登半島から姿を消すこととなるかもしれない。

結論から言えば、機上で見殺しにするのと変わりない結末が待っているかもしれないのだ【勿論、そうなる前に全飼育牛の疎開避難措置や地下水の転用等が行われると思慮している】。

 

 

感情論をぶつけ合ったところで、そこからは何も有益な結論を導き出すことはできないと私は考えている。

感情を変えさせる労力はほぼ徒労でしかなく、他者の感情は長い年月経た経験値から導き出されている“答え”であり、その“答え”には“絶対的正解値”が用意されていることはない。

であるにも関わらず、何故ここまで過熱、炎上騒ぎになってしまうのか?

 

石田ゆり子さんの投げかけた「感情の吐露」は大変有益な問題提起であったと私は評価している。

しかし、外野が“有益な問題提起”をゴシップ事に格下げさせてしまったと感じている。

外野参加者が興味本位の私的感情爆発を一方的にぶつけ合った結果がこのザマだと。

生命ある物の扱いを無機質物品同等の扱いのままでは生命倫理上も社会倫理上も、そして感情の交換が可能なペットは決して「物」ではないし、真剣に解決策を導き出す方向に運ばなければならない事案であることに異論はなかろう。

そこには感情論を挟み込む余地はなく、寧ろ感情を排除して考察を進めなければならない案件だ。

 

 

本年1月3日ポストした記事『システムミス』内でも論じたが、起きてしまった不幸な事故から何を得、何を成さなければならないのかを論じること、それが本質の問題解決作業ではないか?

解決すべき点を整理し、一つひとつ問題点を解消させながら行動に移す作業が必要なことで、個々人の感情論を披露したところで何一つ有益な問題解決に資することは不可能だ。

 

では、具体的な解決策としてどのような事、方法が考えられるかだが、旅客飛行機の貨物室に小動物用預託手荷物専用コンテナを導入し、緊急事態発生時に乗客/乗員の緊急脱出最終脱出者(一般的には機長)が先行脱出CCからの安全確認完了報告を受け、全脱出口設置の小動物用預託手荷物専用コンテナ放出レバーを動作させ貨物室から自動的に地上へ投下するという方法ができるのではないか。

 

また、別の手段として少し冒頭にて触れた客室内最後方に設置する半隔離限定客席エリアに引き綱付き小動物用手荷物専用コンテナを設置、乗客/乗員の緊急脱出最終脱出者(一般的には機長)脱出後に引き綱を引き、脱出シューター上を滑らせるという方法も考えられる。

 

その他、私の思い及ばない方法もあるだろう。

上記2案にしても私の思い及ばない不都合な障害が存在しているかもしれない。

だが、こうして私のチッポケな智慧と大変拙い思考能力を駆使してどうにか解決策が見出せないかと苦悶する事を、世間一般がどう感じるか知らないが私は真剣に全能力を投じて実現可能な手段を継続して考えていこうと思う。

 

一方で、世間には「ペットに余計なストレスを与えるだけだから、飛行機使用の旅行に連れて行くな」とか「抑々ペット連れで旅行に行く方が悪い」、ニッポンジンが大好きないつもの「自己責任論」で解決策の考察すら試みずの意見で溢れている面からして、「あぁ、矢張り現代ニッポンジンの思考水準の根源は大変低いものだなぁ〜」と感じている。

 

これは悪口ではない、悲哀に満ちた感想というか、一般素人の言いたいことを吐き出す悪しき習慣化した現代生活習慣病なのだな、と理解している。

ほぼほぼ病気で、その病気、病態を自認しないから始末に負えない。

病人は自身の(過去/未来の)人生を悲観し、他人任せの治療や他責感情で自身の病態の正当化を図っている。

私が常に述べている通り、自身で調べ、完全治癒の可能性がある手段を試しながら、一つひとつ自分に合った治療法を見つけ出さなければ、あらゆる疾患が治癒することは難しくなるだけだ。

 

 

感情のぶつけ合いから何も生まれないどころか、憎悪、嫌悪感情を芽吹かせ、日本人特有の「脚の引っ張り合い」に繋がり、他者の絶命につながるような重大問題に幾度となく発展していることから何も学んでいないのが現代日本人ではなかろうか。

 

令和2年5月23日、女子プロレスラーの故 木村花さん(享年22歳)が自死してしまった。

フジテレビジョンで放映されていたテレビジョン・プログラム内での“演出による演技”内容が「不遜だ、傲慢な態度だ、偉そうな態度だ」とソーシャル・メディア上での誹謗中傷の文字が彼女を殺害してしまった。

また、昨年7月12日にはエンターテイナーであったryuchellさん(享年27歳)もまた、ソーシャル・メディア上での誹謗中傷が原因で「他殺自死」に追い込まれたとされている。

本当の事実は故人にしかわからないが、無責任かつ上辺だけの文字羅列が他者加害に繋がっていることの大きな原因は「無教養に基づく“口喧嘩/痴話喧嘩”という低知性同士の無益な諍い事」でしかなく、そこに建設的な意見交換、ディベート、問題解決討議に資するレベルの見識は不存在だ。

 

 

日本人は世界一「冷酷な人種」だと常日頃から感じている。

だが、一部識者が同様の見解記事を公開しており、その記事内で“日本人の礼儀正しさや親切さは社会から村八分にあわないための同調圧力に起因するものであると言えるのではないか。

「人間の脳は社会の規律を乱す人を罰することを奨励するようにできています。実際、人を罰するとき、脳内ではコカイン中毒者と同じような反応を示すことが分かっています。この状態のことを『正義中毒』と呼びます。同時に脳が罰の対象者を人間以下の存在であると錯覚させる『知覚的非人間化』を行い、人間をより悪意ある行動、罰へと向かわせるのです」”と。

 

この記事内に登場する「正義中毒」という言葉だが、この「正義中毒」という言葉の根幹は「セロトニントランスポーターが少ない」という医学的要因が原因で、“セロトニントランスポーターとは、精神の安定に作用する神経伝達物質、セロトニンの濃度調節を行っているタンパク質です。セロトニントランスポーターの少ない人はセロトニン不足に陥りやすく、抑うつや、満足感を得られず不安行動をとるといった症状に結び付く傾向があります。セロトニントランスポーターを持つ数が最も少ない遺伝子はSS型と呼ばれ、日本人は国際的にも高い割合でSS型だとされています。”そうだ。

なぜ日本人はSNSで他者をバッシングし続けるのか...「日本人が世界一イジワルな理由」“強い不安遺伝子”と“正義中毒に弱い”という特徴がヤバすぎる 講談社 現代ビジネスより引用転載
関連記事
日本人は「世界一礼儀正しい」が「世界一イジワル」だった...「自分の利益より他人の不幸を優先する度合い」を測る実験で「日本人ダントツ」の衝撃結果がヤバすぎた

 

今回、石田ゆり子さんは賢明にも炎上初期にご自身のInstagramのコメント投稿を一時的に停止させ、ご自身の自省の時間と世間一般の冷却期間となるようにご対応された点は大変賢明な判断であったと感じる。

石田ゆり子さん自身、大変聡明な方でその美貌と合わせ人気を博すことがよくわかる。

今回は誹謗中傷、ゴシップの対象者が何枚も上手であったことから「他殺自死」という悲劇は生じなかったが、結局過去から学べない低知性な人物が溢れかえるソーシャル・メディアから距離をとる、それが最も賢明な対策なのだろう。

因みに、当ブログのコメント投稿は筆者の承認必須としているので、他者が不快に感じるであろうコメントは承認作業時にすべて削除している。

 

建設的な意見交換ができないその根源は「教養の欠如」と「異見尊重」という観点が欠落しているからだろう。

ことの本質を見極めるためには幅広い教養を備えていることと、「異見」が何を意味しているのかを読み解く能力、技術が育成されていないことが原因だと感じている。

「想像力の欠如」もまた本質を見極めるための素養としても機能不全を起こしており、どれだけ戦後の教育制度が日本人の劣化促進に寄与してきたかを物語っていると感じずにはいられない。