最近「ニッポンジンのチュウゴクジンかが凄まじい速さで進んでいる」と以前にも増して強烈に感じている。

 

若しかするとチュウゴクジン以下まで堕落しているのかもしれない。

責任を取らない、自分の発言をなかったことにする、いとも簡単に他者を騙す、平気で噓をつく/虚偽の発言をする、どこまでも他者に対して不誠実・・・。

例を挙げれば暇もない、といったところか。

 

本日は『ガリガリ ニッポン』と題し、潔くなくなった日本人の考察を試みてみようと思う。

 

 

仏教では、自分だけ良ければいいという思考は仏様が厳しく戒めている。

“利他(相手を幸せにすること)が、そのまま自利(自分の幸せ)になることを、自利利他円満といいます。※1

   ※1自利利他の意味(精神)と我利我利亡者 仏教辞典 より引用転載

 

ここ数か月頻発している高所得者、資産家家庭、高額商品販売店舗を襲い、金員、金銭価値の高い品物を強奪、人命までも奪い取る事件や自転車の人身事故後の逃走/信号無視/逆走、実体を伴わない名目上の金銭徴収【携帯電話回線契約時の事務手数料が代表例】、不実理由による金銭徴収【3月21日ポスト分で触れた不動産業者の仲介手数料違法徴収並びに近畿日本ツーリスト株式会社によるCOVID-19コールセンター受注等にて「過大請求」と言い訳した詐害行為【詐欺行為】※2が代表例】、その他の例も挙げれば終わりが見えないほど不誠実、ガリガリ行為がそこかしこに蔓延っている、それが現代日本社会ではないか。

  ※2https://news.yahoo.co.jp/articles/b657d9ed9767a6ff7c86cd197d5a830c7dad5bba

 

どうしてここまでガリガリ行為が現代日本に蔓延ることとなってしまったのであろうか。

偏に「経済的余裕の亡失」が一番大きな要因だと、私は推察している。

また、セージ屋 故 元安倍晋三 元総理大臣に代表される“幼稚な思考”がガリガリ精神を助長させていると痛烈に感じる。

高市早苗 経済・安全保障担当大臣が、過去自身が所轄担当大臣であった総務省所轄の放送法の解釈変更について「知らぬ、存ぜぬ」と自身の責任を総務省官僚へ転嫁していると思慮される行為に終始している。

 

政治家たるもの、自分の言動に責任を持つことは勿論、仮に記憶が失せていたとしてもその責任を他者に転嫁するとは笑止千万の一言だ。

政治家としての矜持がない、そう言われても当然だろう。

セージ屋 故 安倍晋三 元総理大臣が殺害されたことは、私は日本の政治にとって「独裁専制政治への道」が断たれることとなったので評価をしている。

だが、セージ屋 故 安倍晋三 元総理大臣の息の掛かったセージ屋がまだ残存していることに大変危惧している。

しかしながら、腰抜け岸田文雄 現内閣総理大臣の政治指揮能力の欠如がセージ屋 故 元安倍晋三総理大臣配下セージ屋へ引導を渡せない【更迭する覚悟が持てない】そのお粗末さにHopeless Nipponを改めて強く感じてならない。

 

また、先月2回にわたり実施された統一地方選挙並びに国会議員補選の結果を見て「セージ屋もセージ屋なら国民も国民か・・・」と嘆かわしい結果を目の当たりにして、益々Hopeless Nipponの感情に拍車をかけているのも事実だ。

 

 

私個人のここ数年に及ぶ身体全般のコンディション不良により大切な学びの場になっている法話会、説教会への参列、参禅が1月より滞っており「学習の継続」機会の消失に軽い焦燥感を覚えているが、仏様から「お前はもう少し身近なことに注目し、日々精進する機会と考え修行に励みなさい」とのお導きと考え、在家修行の機会と捉えるようにしている。

というのも、過日『Foodex 2023 (本年3月15日ポスト分)記事内で読者諸兄姉にお伝えしたとおり、いま現在もベーカー嚢腫は完治しておらず2日毎に関節液並びに血液を穿刺、抜水するために主治医であるDr.の整形外科へ通う日々を送っており、(業務等で比較的)長距離の歩行をやむなくした後は出血量が増し関節液に混じる血液の色合いが鮮血に近くなる状態が続いている。

 

余談だが、私の主治医であるDr.はJ1 川崎フロンターレのチームドクターも務めておられ、今年より週末土曜日の診療が不定期となり、代替医師を手配されチーム帯同の機会を増やされるのだと思う【まだご本人に確認ができていない】。

 

歩行の制約は就寝中の突発的下肢痙攣の頻発を招き、ベンゾジアゼピンの完全断薬後から続く両下肢に発出している筋硬直、痙攣がまだまだ収まっていないことを再認識させられる機会となっている。

また、脚を動かさない時間が長くなると患部の疼痛が増し、調理のための立位継続、着座でのPC作業を屡々妨げることになっている。

 

しかしながら、2~4年前の左足部疲労骨折/骨髄浮腫発症時に経験した市販調理済総菜、加工品を中心とした食生活を余儀なくされた折に発症した毎日の下痢症発症を忌避するために、侘しいながらも完全手作りの食生活を継続している。

過日『冷製シーフードサラダ日本蕎麦ボウル (本年3月11日ポスト分)』記事内にて触れたが、ワンプレート・ミールであったとしても完全手作りでバランスよい食生活が送れれば腸内細菌叢が整い、化学合成添加物の摂取を機序とする下痢症発症は回避できることをここ数か月で再認識している。

 

また、日本人にとって代表的なワンプレート・ミールであるカレーも昨年まで大変調理することが不得手であったのだが、ベーカー嚢腫の治療開始の時期とほぼ同時期より毎日手作りカレーを食す生活を3か月も続けると本場インドで戴ける(であろう 私はまだインドへは赴いたことがないのでシンガポールで戴いたインド人経営のカレーレストランと同様の)ルーを使用しないスープカレー状のカレーを白米と分け別椀に盛り、インド料理店にて戴くような形で食事を楽しんでいる。

 

商業的な面から化学合成添加物を多用するガリガリ ニッポンもまたガガリガリ精神でしか考えておらず、出来上がった製品を口にする大切な顧客の健康維持など眼中にない、と考えるべきなのであろう。

 

 

本日掲題の『ガリガリ ニッポン』、その意味は“我利我利 日本”のことであり、「自分さえ良ければ、他者はどうでもいい」という思考のことだ。

 

冒頭お伝えした通り、仏様が“自分だけ良ければいいという思考を厳しく戒めている”ことなど眼中にない社会、それが現代日本の本当の姿ではないか?

 

COVID-19のパンデミックに伴う人流制限が全世界的に緩和され、わが日本でも3年ぶりに4月5月の大型連休を全国各地で楽しまれている方が多いようだ。

 

私自身はベーカー嚢腫の件もあるし、抑々野村への就職時より、いや大学生の頃も4月5月の大型連休は油壷にて泊まり込みで練習に励んでおり、遠方へ出かけた経験は幼少期より全くと言っていいほどない。

いま本音で言えば「行きたくない」と表現すべきかもしれない、

何処も彼処も「高額設定」された時期に、態々カネを払って「疲労しに行く」ということが理解できないとも表現できる。

 

(他者と)同じ」が大好きな日本人ならではのお祭りなのかもしれないが、私個人の感覚として「貧乏人が連るんで遊んでいるだけ」と感じてならないのだ。

 

4月5月の大型連休しか休めないことに疑問を抱かない、その思考は、生憎私の思考回路では理解しがたいこと。

特段、4月5月の大型連休に遊びに行くことを悪いことという気は全くない。

すべて「人夫々の価値観」があり、他者からとやかく言われる必要のないことだからだ。

 

私は4月5月の大型連休中に自前クラウドドライブ環境の整備を終え、居宅外からのアクセステスト終了と生活保護管理システムのVBAコーディング着手に、疲労骨折と膝部位受傷の関係性を立証するための文献調査に充てている。

4月5月の大型連休中のコーヒーショップはガラガラで、時間を気にせず存分に作業に充てられる絶好の環境下で仕事に集中できている、幸せな身分だ。

 

我利我利せず、他利他利の心が業務の遂行により拍車をかけ、毎日が楽しい日々を過ごしている。

改めて、仏様に感謝をするいい機会を与えられた幸せ者だと。

これで麗しき美女の裸体映像を携帯媒体に保存しなくても、遠征先で存分に楽しむことが出来るようになった。