3月12日 <震災2日目>
本当ならば卒園式の日。
電気も通っていないので間違いなく無理だろう。連絡手段もない。
昨日まで繋がっていた携帯はずっと圏外になる。
早めに自宅に戻り、片付けを開始。
やってもやっても先が見えない。いったいどこから手をつければいいのか・・・。
子供部屋はそれぞれ子供達にやってもらう。大きな木のロフトベッドが壁から20cmも動いていた。
私は次女をおんぶして一番大変なキッチン。割れ物の片付け。
吊り戸に入っていたガラスのコップなどは見事に全滅。それもそのはず、私の頭の中に【防災】という2文字はなかったように思う。阪神淡路大震災のときも、直近のニュージーランド大地震の時ですら、どこか“自分のところは大丈夫”みたいな甘い考えがあったのは否めない。
なんて愚かだったんだろう。日本に住んでいる以上、安全な場所はない。
家の中を見ると、家が南北に揺れたのがよくわかる。南北に面した扉はすべて開いたけれど、東西を向いていたクローゼットはどれほど荷物があってもほとんど被害はなかった。
パパは会社の仮復旧作業のあと、会社の人たち総動員して食糧の調達に。こういうとき肉食系、バリバリ狩猟民族のパパは本当に頼りになる。
断水はずっと続いたまま。トイレを流すのはお風呂にためてあった水で。
ぞうきんを絞るのもお風呂の水で。
お風呂の水は抜いちゃダメだ。
するとご近所の元設備屋さんという方が1軒1軒回って、エコキュートには緊急時にタンク内の水が使えるということを教えてくださる。
オール電化バンザイ!不便ではあったけれど、飲み水すらない生活は早々に打破することが出来た。
この地震では人の温かさをつくづく感じる。
ご近所でいろいろ助け合って物資の譲り合いや物々交換。
お米をカセットコンロで炊いておにぎりを作ってきてくださる。地震以来初めての食事。夜・朝とほとんど食事らしい食事をしていなかったので、お米のおいしさに感謝でいっぱい。
ガラスが散乱し家の中を靴で歩くような状態だったので、次女はずっとおんぶかベッドの上。離乳食と言っていられる状況ではなく、一緒におにぎりを食べる。とにかく生きなくては。
本当にありがたかった。
当面の料理をどうしようか・・・赤ちゃんシフトで今年は封印していたストーブを引っ張り出すけれど灯油が入っていない。
なんと貴重な灯油をお隣さんが満タンに入れてくれた。
こちらからは水と乾めん、何にでも使えるからとおしりふきを数パックお返し。
ちょうど来たばかりの生協の宅配のおかげで冷蔵庫内は結構充実。
ギュウギュウの冷凍庫は保冷効果で電気が来るまでしっかり保ってくれた。
ストーブの上にフライパンを置きやきそば3玉を冷凍お肉と冷凍ホウレンソウで炒めて食べる。
災害時にしては豪華。
強制的にさせられた大掃除のおかげでLEDヘッドライトやアロマキャンドルをたくさん発見。
使いもしないのに買っておいて良かった(苦笑)
明るいうちに食事を終えて、リステリンで歯磨き。
寝室はあまり被害が無く、すぐに逃げられそうなので窓辺に家族の靴を並べ洋服のままみんなで一緒に寝る。
日の入りと共にベッドに入ったので夜がめちゃくちゃ長かった。
3月13日 <震災3日目>
庭の惨状を一刻も早くなんとかしたい気持ちをぐっと抑え、家の片づけをしていた私を見かねて、パパが黙々と倒れた鉢を起こしてくれていた。
それを(あぁまだ写真撮ってないのに・・・)と思ってしまったかわいくない私^^;
庭の片づけは隙を見て。根っこが露出してしまったものに割れたテラコッタでふたするくらいの応急処置しか出来ない。
オリーブならきっと待っていてくれる。そう信じていた。
3日目の午前中からようやく水道が復旧。最初は水圧の影響でちょろちょろしか出ず、2階のキッチンまで届いたのは午後になってからだったけれど、とても嬉しかった。
蛇口をひねれば水が出る。
今まで当たり前だと思っていたことがどれほどの幸せなことなのか実感した。
家中の壁がこんな感じ。
クロスが破けただけじゃなくて、内部の石膏ボードがぼろぼろのよう。
余震のたびにポロポロと石膏が落ちてくるので、クロス養生用のガムテープを張って補修。
家中がツギハギだらけだけれど、これだけで済んだだけありがたいこと。
電気も携帯の電波もまだ来ない。
家の中の大掃除もだいぶ落ち着いて、やっと少しホッとする。
夕方暗くなる前に今日の夕食をと、パパが以前拾ってきた釜戸とお釜で庭で火を燃し始める。
「今日はこの釜戸で外でラーメンだ!」
・・・アウトドアでそれっぽいけれど、間違いなくずっとやりたかった野望を成し遂げたかっただけだろう(´-ω-`)
昨今簡単には火を焚けない。罰金50万円だそう。
ずっと外で火を起こしても怒られないくらい広い土地に住みたいと言っていたパパは、このどさくさに紛れて庭で焚いた。
犬走りの前の芝を剥いで新花壇を造ると私が言っていたのをいいことに、穴を掘って・・・。
薪にはオリーブの剪定枝が大いに役に立った。
枝にもオイル分が入っていたり・・・はしないだろうけれど^^;
部屋にぶら下げてあったラベンダーのポプリは燃やすととてもいい香りがした。
結局消防車のサイレンにビビって(笑)調理は諦め、このお湯でパパがシャンプー。
無駄にしてはいけない。おとなしく部屋で食べる。。。おいおい。
3月14日 <震災4日目>
忘れもしない深夜0時25分。
また日の入りと共に寝ていたところ、プツンと電気の通る音、センサーでついた廊下の照明の明かりで飛び起きる。
「電気が来た!!」
真っ先にしたことはテレビをつけること。電気が来ないときラジオがないとダメだと実感。
とにかく情報が欲しかった。
大きな画面で初めて目にする目を疑うような光景。ただただ驚愕。息をのむ惨状だった。
改めて地震の怖さを思い知る。
3時過ぎ、夜泣きで呼び戻されるまでテレビから目が離せなかった。
テレビをつけるのと並行して外へ出てエコキュートの電源を入れ、深夜電力でお湯を沸かす。とにかくお風呂に入りたかった。朝5時半ごろ、家族で順番に4日ぶりのお風呂。ものすごく気持ちよかった。
スーパーの店内は危険と、駐車場で開かれた青空市場で並んでお1人様1つのものを子供の頭数分買う。普通に何かを買う、それだけで嬉しい。
まだまだ片づけは続いているけれど、どうにか日常を取り戻すことが出来た。
見て見ぬふりしてきたクローゼットの整理も強制的にするはめになったので、引っ越してきたとき以上にキレイにすらなった。
パパはスーツを封印して1週間、人手が足りず人の家の屋根に乗ってブルーシートで養生する仕事を手伝っている。
まだまだひっきりなしに余震が続いているけれど、学校も水曜日から再開され、延期になっていた幼稚園の卒園式も昨日無事に行われた。高速道路が復旧し、ようやく物流が再開し、お店も再開され始めた。まだまだ再オープンのめどが立たないお店も多いけれど、復興に向けて一歩一歩動き出している。
未曾有の大災害。
今回の地震では、いろいろ学ぶことが多かった。
遠いところから私を心配してくださる方々の心強さ、ご近所で助け合って支えあった温かさ、 そして防災意識がいかに大切か。
お庭の鉢や食器類がたくさん割れて、家の壁にはいっぱいひびが入ったけど、失ったものなんてそれくらい。
【買い占め】はダメだけれど、落ち着いたら防災グッズ、用意します。耐震のこと、ちゃんと考えます。そして子供たちにも伝えていこうと思います。
亡くなった方、まだ行方不明の方が1万7千人を超えている。
避難所の様子が日々伝えられ、全国から善意の大きな力も動き出している。
きっと私たちは毎日考えさせられているはず。
自分には何が出来るか。
切られれば切られるほど強い芽を出す、ダメだと思って諦めても新しく根っこを出すオリーブの生命力が今の私たちの一番身近な目標。
みんなで一緒に、頑張ろう。