仙台に避難してからも、家に残していった犬3匹と猫1匹が心配で2回ほど、仙台と実家を往き来して餌をあげにきて、また仙台へ避難していました。
でも、兄の職場の片付けなどがあり、兄が実家に戻るというので母も一緒に戻ってきたのです。
実家は原発から30キロ圏内のところで『屋内退避』になっている場所です。
今朝のニュースでもやっていましたが、今『屋内退避』になっている場所を避難区域にするか?という話が出ています。
昨日、母は町から避難場所についての説明会があるので聴きに行ってきました。
避難場所として受け入れてくれるのは群馬県草津町。
希望者にはバス

今朝、希望者の方たちは草津へ移動。
『屋内退避』になっている南相馬市鹿島区には、まだ1500人もの方が残っています。
今、屋内退避している方たちにとっては、やっぱり住み慣れた土地。
住み慣れた我が家が一番ホッとできる場所なんだと思います。
昨日、母に『どうするの?避難場所に行くの?』と聞いたら
『ここに残ることにする。』と話してました。
『食べ物は米と味噌さえあれば、なんとかなる。だけど車の燃料が無くて困ったなぁ…』
屋内退避になっている場所では、町民に対しての配給もあるようですが
その配給を取りにいくのだって、車社会の場所では車の燃料がないと困ります。
食料や水はもちろんですが、燃料が供給できるように届けられるように、国や県や市にお願いしたいものです。
震災後、実家はようやく水道も出るようになって
昨日は11日ぶりにお風呂に入ったそうです。
兄の後にお風呂に入ったら、垢がぷかぷか…それを綺麗にすくってから
母も久しぶりのお風呂に入ったら、兄以上に垢がぷかぷか出てきたよと笑って話してくれました。
母もそうですが、仙台で避難生活をしている姉家族も明るくたくましく生きています。
姉から届くメールにも、毎日の買い出しに行くのに往復18キロの道を歩き頑張ってる姪の姿の画像が送られてきます。
テレビでも、被災者の方々が協力しあって、助けあい励ましあっている姿を見て元気をもらっています。
震災で物資が届かないところも、まだまだあるようですが必要としている物資がスムーズに届けられるように、また被災地の方々の心に希望の光が届けられますように祈ってます

また、福島第一原子力発電所で危険な中を作業している東電関係者の方々。
ハイパーレスキュー隊をはじめ、各地から原発のためにかけつけていただいている消防士さんや自衛隊の方々が放射能に曝されることなく、作業がスムーズにいきますように…引き続き祈っています。