昨今のテレビのニュースを見ていると隣国の中国・北朝鮮・韓国との関係も
今ひとつ思わしくない様ですが ・ ・
歴史を紐解いてみると、日本にとってとても縁の深い国々だった事に気付かされます。
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高麗(こま)郡建郡1300年??
昔の武蔵の国の中に高麗郡(現在の埼玉県日高市周辺)が置かれて来年で
1300年になるという事で、シンポジウムが開かれていました。
日本の歴史を振り返ってみると 大きな転換期というものがいくつかあります。
あまり日本史は詳しくない自分ですが、すぐに思い浮かぶのが ・ ・
* 江戸→ 明治(文明開化)の頃
* 戦国時代→江戸時代
* 大化の改新~大宝律令の頃
上二つはテレビドラマなどで何度も放映され、よく知られています。
大化の改新~大宝律令の頃の事は一通り教科書で教わる程度ですが
日本で最初の大きな転換期です。
それまでは地方豪族の勢力争いに昼夜明け暮れていたのが
天皇を中心とした中央集権国家という、” 国 ” という形をとった画期的な出来事です。
大陸との行き来がある中で 私の所も ” 日本国 ” という ” 国家 ” なんだという事を大陸(海外)へ
アピールしたかった気運が高まっていたと思われます。
538年 仏教伝来 以後頻繁に新羅・百済・高句麗より僧侶・仏像・寺大工など送られてくる。
593年 聖徳太子摂政となる
596年 法興寺(飛鳥寺)完成
600年 第一回遣隋使長安に行く
(日本史には残されていないが、天皇の権威を前面に出す為に、古来の日本神話を
引き合いに出す大失態をしてしまう。 呆れ果てた隋の文帝は「倭国(日本)の政治は
道理にかなっていない」と、外交関係を結んでもらえなかった。)
あわてて以下の事を定め再度挑戦??
603年 官位十二階 (血縁に関係なく能力による位)
604年 憲法十七条制定 (第一条 和をもって貴しと為す。協調・親睦の気持ちをもって議論せよ)
原文は漢文
607年 第二回遣隋使(小野妹子)
隋の文化が伝わる 法隆寺(奈良)・四天王寺(大阪)完成
630年 遣唐使
646年 大化改新
701年 大宝律令 (唐の統治制度を参照)
渡来人によって仏教・政治体制の方法・当時の先進的な産業技術などあらゆるものが伝わった。
技術的なものとしては 製鉄・土木工事・寺大工(木造建築)など国づくりの根幹をなすものも多い。
例えばそれまでの掘っ立て柱(地面に掘った穴に柱を半分埋めて柱を立てていた)が
礎石の上に柱が立つようになる。 (建物の寿命が格段に延びる)
( 余談ですが伊勢神宮の神明造は日本古来の掘っ立て柱です なので20年ごとに建替える )
716年 (来年2016年の1300年前) 高麗郡を置く
仏教国なのに何故神社に??
他に多摩川中流域の東京都 ” 狛江(こまえ)市 ” なども渡来人が住んでいた所だそうです。
関東に限らず全国にある ” 狛(こま) ” と地名につく所は高麗人と関係があるという事でした。
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江戸から明治になった頃、国を支える主要産業は絹糸の輸出でした。
(世界遺産の富岡製糸場がよく知られています)
フランス製の機械を導入して高品質のものを量産したのです。
日本人は何かの転換期には海外のものを取り入れて、うまくやってきた様ですね。
この明治(文明開化の頃)も7世紀頃の事も、戦後の高度成長期といわれた頃も ・ ・
発明はできないが、改良して質の高いものに作り変える事が得意な国民性なのでしょうか?
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聖徳太子の時代 仏教を崇拝する蘇我馬子と日本古来の神道の物部氏との間に
激しい対立 があった事はよく知られています。
後に仏教を中心とする律令国家になってからはどうでしょう?
神仏混交 ・ ・ 明治期に廃仏毀釈という時期もありましたが
お寺の中にお宮があったり、うまく融合している姿を今でも見かけると
思わず聖徳太子の憲法十七条の精神を思い出します。
このようなスタイルは日本独自のものだと思います。(共存)
第十条 ・ ・ 心の怒りを絶ち、人が自分と考えが違っても怒ってはならない。
人それぞれに考えがあるのだ。
自分は必ず聖人で、相手が愚かということはない。
皆ともに凡人なのだ。 (原文は漢文)