勝浦の松部と習志野、職場は浜松町で移動し続ける生活は続く。
我が家の場合は、現状としては。
元々暮らしていた習志野の家から週末は外房を中心にビーチへ通っていた。30年以上も通っていた。
しかも土曜日も日曜日も行くのだから走りっぱなしだ。
ある日、往復にもう少し楽なクルマに替えようかと相談しながら守屋海岸から帰る途中の道端の看板に書いてあった土地の値段、それまでよく見ていなかったが激安だ。
別荘管理事務所に行き、物件リストをもらってビラと言う共同住宅2LDKで260万という物件の場所を確認。
翌週に見に行ったらすでに売れていた。
それから物件を探して最初の物件を決めたのは10年前、平屋の古い家で直す必要があったが、修理を繰り返しながら使っていた。
それから家内が最初に1人で移住すると決めて、私は1人で往復するようになった。
元の家の近くに売りに出た土地、山林で坪2万。
440坪で880万だ。
そこで、家族会議の末、習志野の家に住んでいる息子は私に家賃を払う、新しく松部に建てる家は娘婿の物として私も一緒に払う。施設に入ってしまった私の両親が使用していたスペースを女夫婦が平日の通勤用に使用する、というローテーションで決定。
64歳の私にはキツイが、月曜日に松部から浜松町へ行き、平日は習志野で独身生活だ。
食料の調達が面倒で、もう少し改善しなければならない。これは夜の飲みのアテの残りの朝ごはん。唐揚げ、タコ焼き、味噌汁、さすがに出勤途中で喉が渇いて水を買った。
言い出したのは私だが、土地が安いのだから、その分いろいろ遊ぼうと家族をそそのかしている。
第一弾のドームテントはやっと床張りが完成した。
床が完成したら、ちょっとの日差しで中は暑いのでエアコン工事が必要。本当の完成までもう少し。
森に続いているのでスラックラインや、空中も使いたいと思っている。
外房の土地が安いので普通に移住したらお釣りが出る。いとこが連れてきた友人が我々の生活の仲間に加わった。札幌と東京と鵜原を飛び回るT氏と共に我々の家族になっている。
この夫婦、去年の8月末に遊びに来て、その後移住を決断、住んでいたマンションを売却して新居が完成した。
実に最初に遊びに来た日から、まだ7ヶ月しか経っていない。ほぼ毎週続けて来たドームテント工事も手伝ってもらっているので今週は引越しを手伝う。
彼らも通勤に工夫してローカルライフを楽しんでいる。
私もそうだが、ほぼ毎日暗いうちから活動しているので毎日クタクタだ。
そして近所のエアスト設置現場で配線周りを見せてもらう。
このチューブ埋めなきゃ。
使わなくなった車椅子用トイレに棚設置。
週末は南風オンショア爆風だった。
守屋は無人。
鵜原では奥の方でスクールやってた。
スープはたくさんあるからテイクオフの練習はできるね。
日曜日の夕方、家内がどうしても持ち帰って植えるとブルーベリーとラズベリーの苗木。
ここでは防護柵をしないと一晩で動物に食べられてしまう。
柵を作り終わったら暗くて何も見えなかった。
月曜日の朝。
あまりにも泥だらけのクルマを早朝から洗車機に入れて。
そのまま寝落ち。
気を取り直して東京に向かう。