連休中に

潮谷験[しおたに けん]の小説

『伯爵と三つの棺』を読みました。

 

『伯爵と三つの棺』

(講談社、2024年7月16日発行)

 

フランス革命が起こり

王政が揺らぎ出した頃

中欧からスカンジナビア半島に向けて

突き出している継水半島の

上部に位置するある小王国を舞台に

ある伯爵領で起きた奇怪な事件の顚末を

伯爵の政務書記を務めていた青年が

老境に入って書き残した手記で語る

という設定の本格ミステリです。

 

政務書記が生前に書き残し

篋底に秘められていたものが

死後、遺品整理の際に発見され

正体不明の編者によって公開された

という体裁をとっており

領主国の風俗を紹介するため

国民の衣装が写真版で掲げらているほか

新聞広告の短銃のイラストを載せ

領主国の警察制度の概念図を示す

といった具合に

なかなか凝った創りようの作品。

 

それでいて

重厚すぎて読みにくい

といったこともなく

さくさくと程よい感じで

読み進められました。

 

 

大貴族が支配する領主国では

公偵と呼ばれる組織が

事件の捜査にあたっていて

その主席公偵が病気療養のため

不在にしている中

その代わりに領主である

若き伯爵自身が解決に乗り出します。

 

しかしながら

経験不足ということもあって

行き詰まってしまい

主席公偵に出馬を要請することになり

療養地から戻った主席公偵が

快刀乱麻を断つが如く

完全に論理的な推理のみで

謎を解いてしまう展開は

見事なものでした。

 

 

伯爵が

事件の捜査から手を引くかどうか

サイコロを振って決めようとして

その結果、自分が引き続き

事件の調査に携わる

という目が出た後で

次のように語ります。

「人間は、過ちを犯す。しかしその過ちを、他人や状況のせいにしてしまうのはあまりに情けないのではないか? 今、このサイコロに従って決断した場合、私はその後に発生する厄介ごとを、すべて運命に押しつけてしまいかねない。どうせ恥をかくのなら、他でもない自分のせいなのだと確信して後悔したい。(略)失敗を認める。最初から主席公偵に指示を仰ぐべきだった。ただちに文を送る」(p.143)

個人的はこの伯爵の言葉が

本作品の小説としての白眉である

というふうに感じた次第です。

 

 

というわけで

面白く読み

楽しませてもらいましたけど

ひとつ気になる誤記誤植が

ありました。

 

「能天気」を

「脳天気」と表記するのは

最近では許容されているようで

デジタル大辞泉でも

「『脳天気』とも書く」と

補足されていますから

誤記誤植とまではいえません。

 

自分が気になったというか

気づいたのは

物語中に出てくる廃修道院の跡に

古書が残されているんですけど

その書物の背表紙が

次のように列記されている件りです。

神学講義。エックハルト説教集。ヴィンゲンのヒルデガルト。パラケルススの偉業。尼僧の過ち。東洋政談集。(p.221)

この署名の羅列を見たとき

「ヴィンゲンのヒルデガルト」

という表記はおかしいと思い

念のため調べてみると

原綴は Hildegard von Bingen なので

明らかな誤記誤植だったわけです。

 

 

自分が違和感を覚えたのは

ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの

宗教歌曲集を聴いていたからで

それがこちら。

 

《ヒルデガルト・フォン・ビンゲン:

 シンフォニア――宗教歌曲集》

《ヒルデガルト・フォン・ビンゲン:シンフォニア――宗教歌曲集》

(BMGビクター BVCD-1802、1992.5.21)

 

こちらでも何度かご紹介した

〈オーセンティック・ベスト50〉の

第2巻にあたります。

 

演奏はセクエンツィアで

録音は1982年および1983年。

 

 

セクエンツィアは

1977年にケルンで創設された

中世の音楽を専門とする

アンサンブルです。

 

声楽アンサンブルと

器楽アンサンブルとで構成され

本盤では女性の声楽アンサンブルに

フィーデル(中世フィドル)

15弦ハープ、プサルテリウム

オルガニストルム、ハーディ・ガーディ

フルートなどを演奏する

器楽アンサンブルが加わっています。

 

最後のフルート Flöten は

ブロックフレーテ(縦笛)

ではないかと思われますが

ライナーを見ても

はっきりしないので

ここではライナーの表記のまま

フルートとしておきます。

 

 

器楽曲も収録されていますが

全体的な印象としては

女声によるグレゴリオ聖歌集

といった雰囲気のもので

ヒーリング効果は抜群です。

 

もっとも

本盤を買った当時は

バロックの器楽曲

特にチェンバロ曲に

ハマっていましたので

あまりピンとこなくて

一回聴いたくらいでしたけど。

 

まあ、それでも

おかげで誤記誤植に

気づけたわけですから

何が幸いするかは

分かりませんね。

 

 

小説自体が

政務書記の記録を復刻した

という体裁なので

政務書記が Vingen と

誤記してしまったのか

復刻者の転写ミス、あるいは

復刻したものを

日本語へ翻訳した際のミス

ということになりましょう。

 

まあ、リアルなレベルでいえば

作品の書き手か校閲のミス

ということになりますけど。( ̄▽ ̄)

 

知っている読者からすれば

たったひとつの誤記で

瞬時に現実に引き戻されるわけでして

作り込まれている作品なだけに

ちょっと惜しまれるのでした。