『バトラー入門』

(ちくま新書、2024.7.10)

 

出たばかりの本です。

 

先週の木曜日(18日)に

河合塾の会議で

麹町校に行った時

駅前の文教堂書店で見て

書いました。

 

今週の月曜日(22日)

神保町に行く際

電車の中で読もうと思い

買っておいたのを

手に取ったんですが

それから昨日までのうちに

読み終えたわけなので

よほど肌に合ったんでしょう。

 

 

ジュディス・バトラーについては

邦訳された著書こそ

読んだことはありませんけど

名前は知っていて

気にはなってました。

 

それに加えて

フェミニズム関連の

一般向け解説書を読むのが

割と好きなので

買ったんですけど

こんなに早く読み終わるとは

思いもよりませんでした。

 

 

あと、ブログで取り上げよう

と思うとは思いもよらず。

 

今回

取り上げたくなったのは

139ページのフレーズに

撃ち抜かれたから。

 

「偏見はなくならない」ことを認めることは、偏見に対して批判的であることを諦める理由にはならない。(略)むしろ、「偏見はなくならない」からこそ、私たちは自分の思考が偏見に陥っていないかを注視し、気をつけねばならないのではないだろうか(略)「偏見はなくならない」という事実はむしろ、自己や他者に対して可能な限り倫理的に生きるよう私たちを駆り立てるものなんじゃないだろうか。(p.139)

 

 

203〜204ページで

ガヤトリ・スピヴァクが

「"representation" の政治」の

不可能性について論じたことを

解説している箇所でも

「倫理的」という言葉が出てきます。

 

その箇所にも撃ち抜かれました。

 

「"representation" の政治」の

不可能性を突きつけることが

「倫理的」であるのは

なぜかといえば

 

「私たち」がその「私たち」から零れ落ちた他者の存在を念頭に置き、注視し、そして「私たち」のなかで自己を表象できる自分自身の存在の「特権」に気づくためのものだからである(p.203)

 

 

他者に対する想像力を欠き

敵/味方の二項対立でしか

ものごとを捉えられないという

近年、よく見られるようになった

ありように対して

それおかしいんじゃない?

といっているのがいいなあ

と思った次第です。

 

たいへん刺激的で

知的好奇心を

かき立てられるのに加え

なんといっても

分かりやすいのが

いいですね。

 

超おすすめ。