『ケンブリッジ大学の途切れた原稿の謎』

(1995/猪俣美江子訳、

 創元推理文庫、2023.10.20)

 

ケンブリッジ大学

セント・アガサ・カレッジの

カレッジ・ナース(学寮付き保健師)

イモージェン・クワイを探偵役とする

シリーズの第2作です。

 

去年の10月に出た本ですが

年内中に読みはぐってしまい

気になっていたんですけど

最近になって

ようやく読み終えました。

 

作者のジル・ペイトン・ウォルシュは

日本では児童文学ないし

ヤングアダルト小説の書き手として

知られています。

 

岩波書店の叢書

〈あたらしい文学〉に収録されている

『夏の終りに』(1972)と

『海鳴りの丘』(1976)の2部作が

よく知られている作品でしょうか。

 

 

イモージェン・クワイ・シリーズ第1作

『ウィンダム図書館の奇妙な事件』(1993)も

翻訳が出たとき読んでいますが

図書館で死体が発見されたということ以外

ほとんど内容は覚えていません。(^^ゞ

 

死体の発見で始まるあたりが

ある意味、オーソドックスなミステリ

という感じでしたけど

今回の作品はひと味違いました。

 

 

以下、あらすじを紹介します。

 

犯人をバラしたりはしませんけど

少々プロットに踏み込んでいるので

まっさらな状態で読みたい方は

以下の紹介文は読まない方が

いいかもしれません。

 

 

イモージェンは

自宅に学生を下宿させてるんですが

その学生が指導教授から

かつてケンブリッジに在籍していた

数学者の伝記の執筆の

ゴーストライトを依頼されます。

 

学資を得られるだけでなく

キャリア形成にも役立つ

と考えた学生は

その依頼を引き受けるんですが

出版社から送られてきた

伝記執筆のための資料に目を通すと

どうやら自分の前にも

何人か執筆者がいたらしい。

 

ところが

最初に指名された執筆者と

二番目に取り掛かった執筆者は

現在行方知れずになっており

三人目の執筆者も

病死を遂げていることが分かります。

 

しかも二番目と三番目の執筆者は

数学者がある特定の時期

何をしていたかを調べ始めた頃

申し合わせたように

失踪したり病死したりしているのでした。

 

邦題の「途切れた原稿」というのは

そういう事情を踏まえたものですが

イモージェンは、下宿人の学生も

同じような目に遭うのではないか

という不安に駆られてならない……

というお話です。

 

 

最初に資料を調べる過程で

これまでの伝記作者が

いずれも不穏なことになっている

ということが分かる展開は

たいへん面白かったですね。

 

問題の時期について調べようとすると

亡くなった数学者の妻が

強引な方法で資料を取り戻そうとする

というようなゴタゴタも起こり

それがますます

学生のやる気をかき立てるんですけど

イモージェンは不安でならない。

 

こういうふうに書くと

どういう展開を見せるか

だいたい見当がつくかと思いますけど

そうやって見当がつくあたり

サスペンスを削ぐ結果になっている

と考える人がいても

おかしくはありません。

 

ですから

ドキドキハラハラ意外な展開

というものを期待する人には

ちょっと向かないでしょう。

 

作者の語り口に乗って

余裕を持って楽しむというのが

いちばん良い読み方ではないか

と思います。

 

もっとも、実をいえば

こちらが考えているような展開には

なかなかならなかったりしますけどね。

 

 

自分が面白いと思ったのは

イギリスの大学が女子学生に対し

学位の授与を認めるに至る経緯が

プロットに有効に

関わってくるところでした。

 

1920年に

オックスフォード大学が

女性への学位の授与を認めており

ケンブリッジ大学は

それに対抗意識を持って

女性への学位の授与を

頑なに認めなかったのだとか。

 

それで思い出したのが

ドロシー・L・セイヤーズのことで

セイヤーズも優秀な成績を収めながら

卒業時には学位を授与されず

数年経ってから遡って授与された

という経緯があります。

 

セイヤーズは

女性で学位をもらった

最初の女学生たちの

一人だったわけですね。

 

ところで

ジル・ペイトン・ウォルシュは

セイヤーズのシリーズ探偵

ピーター・ウィムジー卿が登場する

未完の長編ミステリを

完結させただけでなく

その後も何冊かの

ピーター卿シリーズを書いています。

 

そういうことを知っていると

たいへん興味深く思えると同時に

最後の、大学敷地内の橋での場面が

非常に印象深いというか

感銘を受けずには

いられないのでした。

 

それはこのミステリの

小説としての最良の部分だと思います。

 

ご存知のように現代の日本でも

かつて医学部入試における

女子学生に対する差別的な扱いが

問題になったりしましたし

いまだに問題になったりしてます。

 

 

イギリスでも事情は似たり寄ったり

ということが分かりますが

それが本作品の今日性を

よく示しているのではないか

と思ったりしたわけでした。

 

 

冒頭から死体が転がって

という展開ではなく

「途切れた原稿の謎」が

徐々にあぶり出されていき

それまで本筋の事件とは

関係がないと思われていた

エピソードなどが相互に関係し

意外な背景や真相が明かされる

というあたり

第一作目に比べると

書きっぷりが格段に

レベルアップしている感じ。

 

読んでいる途中

これはのちの展開のためのフラグだと

すぐ気づかせるところもあり

ミステリ作家としてはまだまだかな

と思わせなくもありませんが

(自分、偉そうなやつw)

ユーモアたっぷりの語り口も含め

楽しめる一冊でした。

 

 

原題は

カバーにもデカデカと

刷られている通り

A Piece of Justice

これは本書の冒頭に

エピグラフとして引かれている

サー・トーマス・ブラウンの言葉から

採られているようです。

 

そのエピグラフでは

「一片[ひとひら]の正義」

と訳されていて

誰にでも平等に訪れる正義のひとつが

死であるということを

意味しているようです。

 

これをふまえると

「誰にでも訪れる死」

「平等に下される裁き」

というようなニュアンスの

タイトルになりそうですが

作品内容をふまえるなら

「キルトの端切れ」ということも

含意されていると思われます。

 

こういう

いろいろな含みのあるタイトルは

いささか衒学の嫌いがあるとはいえ

いかにもイギリス・ミステリらしい

文学的な薫りが漂っていて

好みなんですよね。

 

対して邦題の方は

冗長な感じもしますが

これはおそらくセイヤーズの長編

『ベローナ・クラブの不愉快な事件』や

短編集『ピーター卿の遺体検分記』に

収録されている各作品の

あえて気取った印象を与える

長めのタイトルを意識して

つけられたものかもしれませんね。

 

そう考えると

これはこれでいいのかも

と思ったりもするのでした。