『刺青された男』角川文庫版

(角川文庫、1977年6月10日発行)

 

ちょっと

横溝正史の短編

「探偵小説」(1946年発表)の

内容を確認する必要があって

手に取りました。

 

「探偵小説」だけ読んで済ます

というのもどうかと思って

他の併録短編も読んだ次第ですけど

「探偵小説」以外では

「蠟の首」「花粉」

「かめれおん」などが

面白かったというか

興味深かったです。

 

 

「探偵小説」は昔

アンソロジーか何かで読んで

そのままだったんですけど

今回読み直して驚かされたのが

以下のフレーズ。

 

僕の犯人は偶然だの僥倖だの天佑だのは絶対に勘定にいれない。つまり神風なんて当てにせんのだね。(p.194)

 

実際に起きた事件をもとに

探偵小説を仕上げようとしている

作中の小説家の台詞です。

 

ここで「神風」という言葉が

出てくるのが面白いのでして

神風が吹くことを

意識したかのような

軍部の戦略や計画を

暗に批判しているのは

明らかでしょう。

 

謎と論理の本格探偵小説が

戦後の新しいものの考え方と

一脈通ずるものがあると同時に

新しい時代精神を象徴するものとして

捉えられていたのではないか

ということを

うかがわせるようにも思えます。

 

 

「花粉」(1946年発表)だと

自分がやろうとしているのは

「ロジックとディダクション、

論理と推理」で事件を解決する

「高級な近代的探偵」なのだ

と発言する大学教授夫人が出てきます。

 

こちらはラジオ放送用の台本を

小説化したものだそうですが

アジア・太平洋戦争後の

新時代における探偵小説の役割

というものについて

横溝が意識的だったことを

よく示しているように感じられ

興味深く思えました。

 

 

とはいえ

ことはそう単純ではなく。

 

というのも

「蠟の首」(1946年発表)に

復顔術という科学の力によって

「因果因縁を現実に暴露し」

真犯人であることを証明したのだから

「やはりこれは科学の力、

 精密な数学の勝利である」

と話す登場人物が出てくるのが

ちょっと引っかかったからです。

 

「蠟の首」では

現場から発見された

男女の焼死体の身元を確認するため

復顔術が施されます。

 

「蠟の首」の犯人はしたたかな人間で

新聞で復顔術のことを知っていたから

復元された顔のひとつを見せても

恐れ入るということはない。

 

ところがもうひとつの

復元された顔を見せると

非常な恐怖を覚えて失神してしまい

「恐ろしい因縁」を感じたのか

自白するという流れになっています。

 

ということはつまり

真犯人が自白したのは

科学の力によって証拠が見出され

犯人がのっぴきならぬ立場に

追い詰められたからではなく

おのれの犯行によってもたらされた

恐るべき因縁に気づかされたから

ということにならないでしょうか。

 

科学的な捜査に基づいて得られた

証拠によってではなく

我が身に降りかかる因縁によって

恐れ入りましたというふうな

幕引きになるのでは

「科学の力、精密な数学の勝利」

とは、とうてい

いえないような気がします。

 

科学や数学が媒介となって

因果因縁を現出せしめたのは

確かにその通りですけど

犯人を恐れいらせたのが

「恐ろしい因縁」の方だとしたら

それは因縁の方が主で科学や数学は従

ということになってしまい

偶然や僥倖や天佑を当てにするのと

同じではないかと思ったのでした。

 

ここんところは

もう少し詰めて考えないと

と思ってはいますけど

読後の第一印象を

備忘も兼ねて

書いておく次第です。

 

 

あと

これは上で述べてきたことと

性格が異なりますけど

「かめれおん」(1946年発表)が

ちょっと興味深かったですね。

 

「かめれおん」を

最初に収めた単行本の

横溝自身の跋(あとがき)に

「小説全体の形式としては、

 小酒井不木氏の『恋愛曲線』を学んだ」

と書かれています。

 

(「『恋愛曲線』に」の

 誤記のような気がしますが

 これは手に取った本の表記のままです)

 

おやおや

「恋愛曲線」って

どんな話だったっけ

と思って確認したところ

全編を書簡体にする

という点を指しているようで

プロットやストーリーを

「恋愛曲線」に拠ったわけでは

ありませんでした。

 

一読した印象は

乱歩の「D坂の殺人事件」を

踏まえているな

というものだっただけに

ちょっとホッとした次第です。

 

 

角川文庫版『刺青された男』は

日下三蔵編の

『横溝正史ミステリ短篇コレクション3

 刺青された男』に

まるごと収められています。

 

『刺青された男』柏書房版

(柏書房、2018年3月5日発行)

 

「花粉」が初収録された単行本の

横溝自身が書いたあとがきに当たる

「跋」も収録されており

不木の「恋愛曲線」への言及は

こちらで知りました。

 

今回のブログの内容を確認したいけど

角川文庫版は持ってないという方は

柏書房版を図書館で探してみてください。

 

柏書房版は

上記のような付録もついていますし

初刊本に拠って校閲していますから

テキストが信頼できると思い

自分は購入しましたけど

ちょっとお値段が張りますしね。

 

在庫はまだあるようですが

諸物価高騰の折から

そうそう気軽に

買えともいいかねるのでした。