藤原書店版『十三人組物語』図書館本

(1833~1835/西川祐子訳、藤原書店、

 2002.3.30/2007.10.30. 第2刷)

 

バルザック「人間喜劇」セレクション

第3巻として刊行された一冊です。

 

バルザックの

「金色の眼の娘」の内容を

確認しとく必要があるかと思い

同中編が収録されている本を

近所の大学図書館で借りてきて

読み終わりました。

 

「金色の眼の娘」は

「フェラギュス」「ランジェ侯爵夫人」

という中編小説とともに

『十三人組物語』というタイトルの下

一冊にまとめられたそうです。

 

いずれも、十三人組という

秘密結社的なグループが

関わっている事件なんですけど

この十三人組について

バルザックは

以下のように書いています。

 

ナポレオン帝政期のパリに、志を同じくする十三人の男たちがいた。いずれも一つの思想に忠実でありつづける意欲をそなえ、利害が対立するときでさえも決して同志を裏切ることのない誠実な男たちであった。お互いを結びつけている堅い絆は人目から巧みに隠しとおし、あらゆる法を断固として無視し、何事によらず大胆不敵に企て、しかも企てたことはいつも見事にやり遂げたという強運の持ち主たちである。数々の危険をおかし、敗北については黙して語らなかった。恐怖を知らず、君主と対面するときも、死刑執行人を前にしても、はたまた逆に清純無垢とむかいあっても震えおののくことがなかった。社会通念に遠慮することなく、あらゆる人をあるがままに受け入れた。罪人であることは疑いもないが、選ばれた人たちのなかにのみ見いだされ、偉人をかたちづくるある種の資質に秀でていたことも確かである。(略)この十三人の男たちは、あやまってバイロンの主人公であるマンフレッドや、ゲーテのファウストや、マチューリンのメルモスたちだけのものとされている魔力がおもいつくかぎりの奇想天外な計画を実現したにもかかわらず、世に知られることがなかった。(pp.7-8)

 

マンフレッドや

ファウストはともかく

メルモスに言及しているのが

興味深いですね。

 

ミステリ好きとしては

エドガー・ウォーレスの

『正義の四人』(1905)を

思い出しますけど

こういう設定は意外と

よくあったものなのかも。

 

バルザックは名声を確立する前

さまざまな小説を書きまくり

そのなかには暗黒小説も

あったといいますから

この手の設定は

暗黒小説のパターンとして

あったのかもしれない

とか想像してしまうわけです。

 

 

『十三人組物語』には

同グループが関わった挿話の中から

作者お気に入りのものを選んで収録した

という体裁になっています。

 

ナポレオンの死後、作者がまだそのわけをお話しすることのできない、ある偶然のおかげで、ラドクリフ夫人の恐怖小説の最高傑作にも匹敵する、隠された、奇怪な秘密の封が破られた。(p.8)

 

と序文で書かれているのは

この手の物語ではお約束ですけど

アン・ラドクリフの名前を

引き合いに出しているのが

先のマチューリンと同様

興味深いところです。

 

最高傑作って何でしょうね、

ディクスン・カーもお気に入りだった

『ユドルフォの謎』(1794)かしら。

 

 

十三人組物語といいながら

たった三編しかないのか

とか思っちゃいますが

この三編、いずれも長いため

単行本自体は

500ページ近くあります。

 

また、各編の冒頭では

バルザックによる

社会観察に基づいた考察が

長々と書かれており

さすが19世紀の小説

といった感じがしますね。

 

所期の目的である

「金色の眼の娘」に到達するまで

かなり時間がかかりましたけど

そこそこ面白く読めました。

 

 

いちばん退屈だったのは

男女の恋の駆け引きが

延々と描かれる

「ランジェ侯爵夫人」かな。

 

その「ランジェ侯爵夫人」にしても

地中海のとある島の

女子修道院に出家した侯爵夫人を

難攻不落の修道院から

奪還するという計画と実行が

最後に描かれるわけですけど。

 

ただしそれは

数ページで終わっちゃうので

冒険小説のさわりを

簡略版で読まされて

それで終わってしまう

という印象になってしまい

欲求不満にかられるのですね。

 

 

冒頭の「フェラギュス」は

ある上流階級の婦人が

悪徳と犯罪と貧困にまみれた

ある地域に出入りするのを

その婦人に恋する男性に見られ

脅迫的な態度に見舞われる

という話です。

 

その冒頭は、ちょっと

シャーロック・ホームズものの

「黄色い顔」を連想させ

脅迫者である男性が

何者かに命を狙われ始める

というあたりは

サスペンスフルでもありました。

 

もっとも真相は

当時のセンセーション・ノベル

あるいは家庭小説なみの

ありふれたものですけど。

(真相は上記「黄色い顔」と

 異なります。ねんのため)

 

藤原書店版だと

編集方針の関係上

内容を象徴する副題がついていて

それで真相の見当が

すぐについてしまうので

上掲の写真では消しておきました。

 

 

肝腎の「金色の眼の娘」ですが

これがいちばん面白かったです。

 

ある貴族の美青年が

表題の娘を見初めて

恋愛遊戯を仕掛けたことで

悲劇が起こってしまう

というお話です。

 

娘との逢瀬の場所に行く際

目隠しをされて

馬車で移動するのですが

パリのあらゆる場所に

通じていたので

場所の見当がつくというあたり

これまたホームズものの

「技師の親指」を連想させました。

 

まあ、よくあるパターン

ということなんでしょうけど

馬車を降りてから

庭に咲いている花の

匂いに注目するあたり

芸が細かいと思った次第で。

 

その悲劇の真相は

驚くべきもので

いちおう伏線は張ってあるものの

これはさすがに気づかないよ

という感じの伏線です。

 

おそるべき偶然でも

あるわけですけど

それより

金色の眼の娘の主人というか

愛人との関係のありようが

当時の常識からは

おそらく逸脱している

(それともありうることなのかしらん)

そこが興味深いのでした。

 

 

ちなみに

先にご案内の

『モーパン嬢』の解説では

「金色の眼の娘」に言及されており

最後にどういう結末をむかえるか

ということが

簡単に書かれています。

 

そこを読んだだけでは

正確な真相は分からないので

実際に読んで驚きましたけど

ちょっと要注意なところ。

 

 

もひとつ、ちなみに

これまた先にご案内の

『リリアン卿』に出てくる

主人公が飼う馬の名前は

「フェラギュス」といい

これは『十三人組物語』から

採られたものなのでした。

(邦訳書の註にも書かれています)

 

フェラギュスというのは

十三人組の頭領の通り名で

新しい人間が頭領になるたびに

その名を襲名することが

組の慣習になっています。

 

ですから

フェラギュスと呼ばれる人物が

それが表題になった作品以外に

「金色の眼の娘」にも

出てきますけど

その二人が同一人物とは

限らないわけです。

 

 

バルザックは自分の小説で

ある作品に登場する人物を

別の作品に登場させる

人物再登場法を行なったことでも

知られていますけど

「金色の眼の娘」の主人公

アンリ・ド・マルセーは

「ランジェ侯爵夫人」にも登場します。

 

「金色の眼の娘」の中で

ド・マルセーは数日間

パリから姿を消していたと

書かれていますけど

それはランジェ侯爵夫人の

奪還計画に参加していたから

と考えられなくもなく。

 

もっとも

十三人組の関係する

別の事件がらみだと

考えられもするわけですけどね。

 

 

なお、上に掲げた

出版年月日のデータにも書いた通り

今回読んだのは第2刷ですが

それにしては

文字の脱落、誤字などの

単純誤植が多い。

 

2刷が出るまでに

5年の開きがあるにも関わらず

まったく直っていないのは

いかがなものかと思います。

 

 

また、本書の翻訳は

「全体の編集方針に従い、

 修辞過剰な原文をできるだけ簡明な、

 しかし語りのリズムを残した訳文に

 するようこころがけ」(p.490)

「小見出しには、

 内容をわかりやすく提示するため、

 多少の変更を加え」(p.503)

「原文よりは段落を増やして

 読みやすくする工夫をした」(同)

とのことです。

 

個人的にはどうかと思いますが

現代の読者に

フランス19世紀の小説を

読んでもらうためには

仕方のないことして

受け入れられなくもありません。

 

なのに誤植が多いので

がっかりしちゃうわけでして

いろいろな発見もあり

個人的には読んだ甲斐が

あったんですけど

手元に置いてくために

カバー付きの本を買うかどうか

上記したような点に加え

懐具合の事情もあるため

悩ましいところなのでした。