1月8日(金)20:00から
NHK BSプレミアム
「BS時代劇」枠で放送の
『明治開化 新十郎探偵帖』
第四回「リンカーンの影」
オンタイムで視聴しました。
念のため
本10日(日)18:45からの
再放送も観ております。
今回ベースとなったのは
『明治開化 安吾捕物帖』
第3話「魔教の怪」です。
といっても
世良田摩喜太郎や山賀侯爵など
原作中の登場人物名から
そうだろうと判断したまででして。
原作の設定を
かなり変えており
まったく別もの
といっていいくらいでした。
以下、あらすじを述べた上で
ドラマの内容に踏み込みますので
未見の方はご注意ください。
錦絵新聞の執筆者
花迺屋因果の行方が知れないと
因果が経営する洋風酒場店の
女給お滝を連れて
梨江が海舟邸を訪れる。
ちょうど出掛ける用事があったため
新十郎は相手にせず
泉山虎之助が調査に乗り出し
因果が林肯會[リンカンカイ]に
関心を抱いていたことを知り
梨江とともに林肯會を訪れたところ
今は修練中で翌日なら会える
ということになったが
帰るさ、怪しいと思った虎之介は
単身乗り込んでいったまま戻らず仕舞い。
翌日、新十郎が梨江とともに
林肯會を訪れたところ
そこでアメリカ留学時代の学友
橋本慶太郎こと
主宰・世良田摩喜太郎に再開する。
林肯會というのは
「人民の人民による人民がための政治」
というリンカーンの言葉を広め
救民済世の活動をしながら
平等社会を実現しようとする結社で
没落士族、華族、貧民、金持ち関係なく
受け入れている様子。
(子ども食堂を連想させる場面があり
ちょっと印象的でした。
人民救済を怠る現日本政府への
皮肉でしょうか)
ところが
何か違和感を覚えた新十郎は
林肯會を訪なう前日、
鮫島警部が依頼してきた事件との
関連性を疑い始める……
というお話です。
新十郎が最初
所用があると言って
調査を断ったのは
大久保利通の主催する集まりに
呼ばれていたからでした。
今回のエピソードの
観どころのひとつは
新十郎と大久保との会話でしょう。
もちろん坂口安吾の原作には
大久保利通が出てくる話
というのはありませんで
ドラマのオリジナルな設定です。
大久保から
特命探偵をしていて
気づいたことは何かと聞かれ
人々が堕落している
徳川の世と比べて明治の世は
浅ましく、醜いと答える。
すると大久保が答えて曰く
急に自由になったせいであり
人民は自分がすべきことを
誰かに決めてもらいたいのだ
アメリカでは自由が第一かもしれないが
この国では違う。今、必要なのは
したい放題の自由ではなく秩序だと。
現在でも政治家などが言いそうな台詞ですね。
大久保邸に行く際
新十郎は勝海舟から
「大久保には気をつけろ」
と声をかけられます。
また林肯會で新十郎は
ボストン時代の学友・慶太郎から
大久保は冷血な人間だ
自分に逆らうものは切って捨てる
だから金の亡者しか周囲にいない
という批判の言葉を聞かされます。
さらに、大久保は最後に
西郷から事件の結末を聞き
新十郎は使える人材だと良い
それに対して西郷は
「人は使うもんじゃなか」
と応える場面があったりします。
ドラマ中での大久保が
悪役として設定されているのは
明らか(露骨すぎるくらい)。
対する西郷は
人々のための政治はどこにもない
と憤る新十郎に対し
「すまんかった」と頭を下げる
懐の大きい人物として
描かれています。
この西郷と大久保の違いが
最終回に影響してくるのかどうか
ちょっと気になるところです。
あと、林肯會での立ち回りの際
これは予告編でも
フィーチャーされてましたけど
「リンカーンは言った。
『暴力はすべてを打ち負かすが
その勝利は長続きしない』」
と新十郎が言う場面は印象的でした。
ちょうどアメリカ議会が
トランピストに襲撃された
という状況なだけに一層。
そのリンカーンは
奴隷を解放し
南北を統一させた偉い奴らしいが
そのために多くの将兵と人民を
死なせたんだろう
と海舟が言う場面もありました。
これまた
新十郎に対する言葉としては
なかなか含蓄が深い。
そんなこんなで今回は
ミステリとしての面白さより
時代もの、ないし
キャラクターものとしての面白さで
魅了させる話でした。
謎解きの面白さを期待していただけに
物足りなさを感じさせなくもないものの
新十郎の過去が明らかになったり
キャラが立っていたりするあたりは
そこそこ楽しめた次第です。
いつも推理の際に覗き出す
万華鏡の由来も
明かされてましたし
新十郎がボストン時代を回想して
友との交歓が描かれるシーンは
物語の展開が展開だけに
しみじみとさせられました。
あと、新十郎が
虎之助を救出する際
「待たせたな、相棒」
と声をかけるシーンには
びっくりさせられました。
これが今風というものでしょうか。
その虎之助を助けた際に
ステッキを使っての立ち回りを
披露していましたけど
そこらへんは
「明治のホームズ」の面目躍如
といったところかもしれません。
ホームズが
例のライヘンバッハの滝で
格闘技バリツ Baritsu によって
命が救われたということは
ホームズ・ファンには有名な話。
そのバリツとは何かについて
シャーロキアンの間では
ボクシングと日本の格闘技と
ステッキ術とを組み合わせた護身術
バーティス Bartiz だというのが
有力な説のひとつになっています。
今回、新十郎は
当て身を使っていたこともあり
ちょっとバーティツを
連想させられたものでした。
製作者が
どこまで意識していたかどうか
分かりませんけど。
ひとつ気になったのは
今回の事件が解決することで
林肯會が救済していた人々が
どうなってしまうのか
ということでした。
林肯會に喜捨していた
資産家たちが
救済するとも思えず。
もちろん明治政府が
面倒を見るとも思えない。
新十郎と慶太郎の友情の顛末を描く
キャラクター・ドラマとしては
今回の終わり方でいいとしても
社会派ドラマとしてどうなのか。
もちろん
どこからも誰からも保護されず
路頭に迷うという終わり方でも
いいんですけど
そこはきっちりと触れてほしかった
という気がしないでもない。
それを難詰するのは
野暮というもんでしょうか。
長くなってしまいました。
長文乱文深謝。