(1969/岡村孝一訳、
ハヤカワ・ミステリ、1976.7.15)
日本ではさほど知られていないのに
本国ではたいへん評価されている
という作家は
翻訳ミステリの場合
星の数ほどいますけど
今回ご紹介の
フランシス・リックもまた
そうした作家の一人です。
フランシス・リックは
本書『奇妙なピストル』で
フランス推理小説大賞を受賞し
それによって自動的に
(と、いうには少々遅い気もしますが)
日本語に訳されました。
解説は、小説家で
フランス・ミステリの翻訳もある
日影丈吉[ひかげ じょうきち]が書いていて
「フランシス・リックはスパイ作家か」
なんていう、ひねった(?)タイトルを
つけています。
でも、本国では
ロマン・デスピオナージュ
(roman d'espionnage)
と分類されていますから
エスピオナージュ小説家
すなわちスパイ小説家として
扱われるのは仕方がない。
実際、お話の内容も
ロンドンでソ連のスパイが捕まって
情報を提供した後、解放されることで
KGBから追われることになる
というものですから
スパイ小説以外の何ものでもない。
1960年代は
007シリーズの映画が大当たりして
猫も杓子もスパイ小説を書き
硬軟問わず訳されていた頃なので
なんだいまたスパイ小説かい
それもフランス産かいな
と思われてスルーされた率が
高いように思われてなりません。
翻訳が遅れたのも
そのためかもしれませんし
寡聞にして
フランシス・リックはいい
という書評なり評論なりを
見たり読んだりした記憶は
ないんですよね。
でも、フランスのミステリについて
本国で出た参考書(の翻訳)を読むと
やたら誉められているんですね、
評価が高い。
というわけで
すっごく気になってしまい
最近になって古本で入手して
読んでみたのでした。
そうして
最初の20ページほどを読んだら
たちまち小説世界に引き込まれてしまい
途中、所用があって途切れましたが
それこそ一気呵成の勢いで
読み終えた次第です。
これは傑作でした。
なんで日本では
評価されていないのか
わけ分かんないです。
設定も単純なら
ストーリーも単純なので
ものすごいドンデン返しに
びっくりしたとか
そういうことはありません。
とにかく
逃走するKGB情報員が
実に魅力的に描かれてるんです。
スパイ小説というのは
通俗アクションものを除けば
よくいわれる言い方をするなら
グレート・ゲームであり
ルールがしっかりしています。
ものの考え方や捉え方が
様式化しているといってもいい。
そのように様式化した振る舞い
すなわちルールに従って
プロフェッショナルな人間が
考えに考えぬき
相手の裏をかこうとするんですから
ロジカルな行動原理で動く、
動かざるを得ないようにできている。
そのためには当然
どうしてそうなったのか、
同じ失敗をくり返さないための
推理活動も描かれることになるわけで
そこにミステリとしての魅力もある。
そして
プロなので
自分を見舞った結果を
後悔せずに受け入れて
じたばたしない。
実にストイックでカッコいい。
そんなこんなが
自分の趣味嗜好に
ぴったりと合ったものと思います。
それだけでなく
本書の場合
逃走の途中で
主人公と連れ立つようになる
犬との関係が
実に魅力的に描かれています。
この犬の存在が
この作品を
滋味あふれるものにしているので
犬好きの方には
ぜひ一読をお勧めしたい。
邦題は原題 Drôle de pistolet の
直訳ですけど
例によって手許の辞書を繰ってみたら
un drôle de pistolet という成句は
口語で「変なやつ」と
いうんだそうで。
(なんでなんでしょうね)
詳述は避けますけど
内容からして
これは明らかに
掛詞になっているので
その「変なやつ」という
訳語の方を活かして付けた方が
どれほど良い邦題だったろうか
と思わずにはいられません。
こういうところが
フランス・ミステリの魅力であり
難しいところなんだろうなあと
つくづく思った次第です。