『甦える旋律』

(1956/長島良三訳、文春文庫、1980.1.25)

 

『並木通りの男』(1962)の

感想中でも書いた通り

『甦える旋律』が

文春文庫から訳出されたことで

ちょっとしたフランス・ミステリ・ブーム

というようなことが起きた

記憶があります。

 

当時、文春文庫は

〈海外サスペンス・シリーズ〉と謳って

本書が出る前年の1979年から

海外ミステリを出し始めたばかりの頃。

 

そのラインナップにダールが加わって

そこそこ話題をまいたからなのか

同じ年の暮れの12月に

『生きていたおまえ…』(1958)が

やはり文春文庫から訳されたのでした。

 

 

当時も今も

どちらかといえば

謎ときやトリックの興味を中心とする

本格ミステリが好きな自分は

ふ〜んという感じでスルー。

 

カバー裏を見てみると

「長篇ラブ・サスペンス」

と紹介されていて

どうにも気がそそられない。

 

それでも

気にはなっていたのか

当時、古本で買ったおいたんですけど

読み終えたのはつい最近(先月末)

だったりします。(^^;ゞ

 

 

新進のフランス人画家が

スペイン滞在中

ヴァイオリンを抱えた女を

車で撥ねてしまいます。

 

あわてて宿まで連れて帰り

介抱したところ

打ち所が悪かったのか

記憶を喪失していて

自分が何者か思い出せません。

 

介抱するうちに

彼女を愛するようになった画家は

彼女の正体を調べるため

一人、フランスに帰国する……

というお話です。

 

 

記憶喪失の恋人の過去が

忌まわしいものだった

というのは

お約束の展開でしょう。

 

本書の少し前に読み終えていた

アン・ウリーヴスの作品も

恋人の過去ではありませんが

似たようなところがありましたし

過去の出来事を探るタイプの

一連のミステリなどを通して

何度も読まされた気がします。

 

ですから

忌まわしい過去を知る

という展開自体に驚きはなく

判明に至る過程や

判明する過去の内容が

作品のキモということに

なると思うわけです。

 

 

本書の場合

英米の作品に比べると

あるいは

近年のイヤミス系作品に比べれば

判明する過去の出来事について

物足りなさを感じさせる嫌いが

ないこともなかったり。

 

やや古風な感じがするからですけど

出来事の本質としては

最近、書かれたものとしても

通用しそうな内容で

その意味ではかえって

先駆的だったりするかもしれません。

 

もっとも

本書が訳された当時から

かなりの作品が訳されて

刺激に鈍感になってますので

どうでしょうか。

 

 

ただ、過去が明らかとなり

それを記憶喪失の恋人に告げず

警察に追われることになる

画家を見舞う結末は

そうきたか、というくらい

斜め45度的なものでした。

 

訳者のあとがきには

「これほどみごとな

 ドンデン返しのあるミステリも

 最近ではめずらしい」

と書かれてますけど

読み終えたとき

これのどこが「ドンデン返し」なんだろう

と思ったくらいです。

 

訳者がいう通り「みごと」かどうか

それは判断の分かれるところですが

こういうタイプのどんでん返しは

いかにもフランス・ミステリっぽい

という感じがしますし

よくよく考えると

実に切ない。

 

 

こういう話が

フランス推理小説大賞を

受賞したというのも

お国柄を偲ばせる感じですね。

 

訳者のあとがきによれば

当時、選考委員の中に

ジャン・コクトーがいて

ダールの作品に惚れ込み

その後も愛読者であったのだとか。

 

フランスでは翌年に発表された

『蝮のような女』(1957)の中に

 

『蝮のような女』

(野口雄司訳、読売新聞社、1986.8.10)

 

主人公が南仏で新しい店を開く準備のため

地元の芸術家を訪ねるという件りがあり

そこにコクトーの名前が出てくるのは

リスペクトへの返礼という意味も

あったのかもしれませんね。

 

 

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