(角川文庫、1973.2.20/1973.11.30. 第7刷)
『八つ墓村』に鬼首村の名前が出てきて
そちらの事件に関わっていた金田一耕助が
八つ墓村まで出張してきたという
『八つ墓村』内の説明を忘れていたため
新派の公演で聴いた時は驚いた、と
以前、当ブログで書きました。
角川文庫版の『八つ墓村』では
作者註として「『悪魔の手毬唄』
『夜歩く』を参照されたし」とあり
『夜歩く』にも鬼首村が出てきてたのか
と驚いたということも
以前、書きました。
というわけで
久しぶりに『夜歩く』を
読み直してみた次第です。
この作品を再読するのは
初めて読んだ
中学生のとき以来ではないかしらん。
以下、犯人やトリックに
直接的にはふれませんが
勘のいい人であれば
あるいは気づくかも知れないので
『夜歩く』を未読の方は、以下
読まない方がいいかもしれないことを
お断りしておきます。
で、冒頭に書いた話題からふれておくと
たしかに鬼首村の名前は出てきました。
第一の惨劇が
武蔵野の面影を色濃く残す
東京都北多摩郡小金井に建つ邸宅で起きる
というのも興味深いのですけど
それはそれとして
その後、舞台は岡山県の鬼首村に移り
第二の惨劇が起きるという展開になります。
ただし、ここに出てくる鬼首村は
「おにこうべむら」と読ませる
と作中で説明されており
そうれあるなら
『悪魔の手毬唄』の舞台となった
「おにこべむら」とは異なると
考えるべきでしょう。
少なくとも『八つ墓村』を書いた当時は
『夜歩く』で描かれる事件のために
「おにこうべむら」を訪れていた金田一が
続いて八つ墓村を訪れた
というふうに作者の頭の中で
考えられていたとみるべきでしょう。
手許にある
角川文庫版『八つ墓村』の作者註は
後年になって書き加えられたもの
と思われます。
それがいつなのか
角川文庫版からなのかは
手許に全ての版があるわけではないので
判断がつきません。
ちなみに
TVドラマの横溝正史シリーズで
『夜歩く』が放映されたときは
「鬼頭村」となっていたようです。
横溝自身も、そういうふうに
『夜歩く』の方で
村の名称を書き替えてくれていたら
後年の読者がシャーロキアン的な悩み事を
抱えずに済んだんですけどね。
巻末の大坪直行の解説にもありますが
本作品は坂口安吾の
『不連続殺人事件』の露悪的な書き方、
あのスタイルに対する挑戦
という意味合いもあるようです。
解説の指摘は忘れていましたが
中学生の頃はいざ知らず
今回、読んでしばらくすると
『不連続』じゃん、という印象を
やはり強く受けました。
もちろん、わざとやっているわけで
連載時の掲載誌が通俗雑誌だから
その読者層に合わせて程度を落とした
というわけでもありません。
だから、いわゆるB級作品とは
性格を異にするのですが
それでも文章から芬々と匂う通俗臭に
いささか辟易とさせられたことを
否むわけにはいきません。
文体は露悪的ですが
トリックやプロットは一級品なだけに
ちぐはぐな印象が拭えないのですけど
そう思うのは自分だけか知らん。
今回、読んでみて思いあたったのは
松竹版の映画『八つ墓村』で
犯人が、むかし村人に殺された
尼子の末裔だとされている設定が
本書から借りてきたものではないか
ということです。
原作版の『八つ墓村』の動機が
そういった要素がまったくないだけに
当時のオカルト・ブームを反映させた結果
くらいに思っていた
(思われている?)んですけど
実際は横溝の別の作品にも
そういう要素はあったというわけです。
そういう因縁だけではなく
江戸川乱歩のいわゆる通俗長編によく見られる
親が子どもに復讐心を根づかせるという
深讐綿々たる背景も盛り込まれており
そういう、いわば乱歩の影響も
今回読んで気づいたことのひとつでした。
あと、戦争で大陸に行き
向こうで多くの人の首を切ったから
首を切るのに慣れている
という犯人の設定には
いろいろと考えさせられます。
戦争の影というのが
そういう形で見られるのは
言い方は変ですけど
ちょっと切ないですね。
哀しいというか。
これは
戦争を知らない世代である
しかも田舎の中学生には
初めて読んだとき
意識できなかったことです。
ちなみに本作品は
アガサ・クリスティーの
超有名な作品の設定を
借用しています。
その超有名な作品に欠けていた
設定(形式)の必然性が
横溝の本作品では
一応クリアされている点も
見逃せないところかも知れません。
あと、犯人の発想が
探偵小説的というのは
『本陣殺人事件』を連想させました。
クリスティーの超有名作品の設定も
横溝が本作品以前に書いている
戦後の某長編で使われています。
この当時の横溝の発想のレンジは
意外と狭いものだったのかなあ
というふうにも考えられそうですが
むしろ、同じ発想で
いかにバリエーションを持たせられるか
という挑戦に執着していた
と、みるべきなのかも。
子どもの頃に読んだだけの作品を
馬齢を重ねてから読み直すと
いろいろと気づきがあって
面白いものですね。
些事多忙で
なかなかそういう機会を持てないのが
残念でなりません。