『ママとあそぼう! ピンポンパン』の
歴代のお姉さんごとにフィーチャーした
ソング・コレクションのCDが
石毛恭子イヤーズ(1971〜1974)
酒井ゆきえイヤーズ(1975〜1978)
大野かおり/井上佳子イヤーズ(1979〜1981)
と3枚も一挙に出て
その内の石毛恭子イヤーズを買ったことは
先に当ブログでご案内の通りです。
こうなると初代お姉さんの
渡辺直子イヤーズの曲は聴けないものか
と思ってしまうのですが
自分の知る限りCD化された音源はなく
中古レコードを地道に探すしかないようですね。
今回の3枚が出る前に
『ママとあそぼう! ピンポンパン
ベストコレクション』という1枚ものが
ポニーキャニオンから出ていたようですけど
これもまた石毛恭子時代以降の曲を
フィーチャーしたものでした。
初代と2代目以降で
ここまで支持の違いというか
フィーチャーのされ方に違いが出るのは
不思議なことだと思います。
その違いの
よってきたるところは何なのか
について考えるには
とりあえず番組内で歌われる楽曲を
聴いてみるのが手っ取り早いかもしれず。
とはいっても
渡辺直子イヤーズのレコードが
そうそう簡単に手に入るとは
思えないのですけど
たまたま以下の2枚を見つけております。
『ママとあそぼう ピンポンパン』
(ビクターレコード BX-60)
『みんなであそぼう! ピンポンパン {1} テーマ集』
(ソノラマレコード ARM-4515)
なお、いずれも
どこにもリリース年月日が
記載されておりません。
それでも
ジャケ写のアップを
上掲の順序にしたのには
いちおう根拠があります。
『ママとあそぼう! ピンポンパン』は
1966(昭和41)年10月3日に放送が始まり
(今からちょうど43年前!)
1971(昭和46)年4月1日から
10月1日までの間だけ
『みんなであそぼう! ピンポンパン』
というタイトルで放送されました。
この1966年10月3日から
1971年10月1日までが
渡辺直子イヤーズにあたり
1971年10月4日以降
石毛恭子が引き継ぐわけです。
したがって上にあげたレコードの内
ビクター盤の方が
1966年から1971年までの間の
いずれかの時点でリリースされたものであり
ソノラマ盤の方は
1971年のいずれかの時点で
リリースされたものであろうということ
これは、まず確かでしょう。
でも正確にいつなのか
これ以上、詰めていくのは
なかなか難しいというのが現状です。
ビクター盤に入っている
「ママとあそぼう ピンポンパン」は
直子お姉さんと若草児童合唱団で
歌われています。
作詞の阪田寛夫(1925〜2005)は
児童文学者ですが、童謡の作詩だと
「サッちゃん」や「おなかのへるうた」が
よく知られているかと思います。
作・編曲は山本直純(1932〜2002)で
マーチというか行進曲のようなノリに
仕上げられているのは
山本直純らしいのかな。
ソノラマ盤に入っている
「ピンポンパンのテーマ」は
直子お姉さんとカータンとのかけあいで
歌が進行していきます。
作詩はやはり阪田寛夫。
作曲の越部信義(1933〜2014)は
「おもちゃのチャチャチャ」で
日本レコード大賞・童謡賞を受賞しており
NHKの『おかあさんといっしょ』に
多くの曲を提供したことでも
知られているようです。
これら作詞・作曲者らの名前から
見当がつくように
全体的に『おかあさんといっしょ』的な
雰囲気やノリと近いものを感じさせます。
山本直純にしても
童謡「一年生になったら」のような
メロディーを作っているわけで
『おかあさんといっしょ』的な世界と
さほど遠いというわけではありません。
そこから石毛恭子時代になって
阿久悠作詞・小林亜星作曲の
「ピンポンパン体操」と
山元護久作詞・渡辺岳夫作曲の
「ピンポンパンのうた」が
登場したわけですから
さぞ新鮮な印象を与えたことでしょう。
山元護久(1934〜1978)は
児童文学者にして放送作家ですが
井上ひさしとの共作による
『ひょっこりひょうたん島』が
よく知られている代表作かと思います。
渡辺岳夫(1933〜1989)は
これはもう60〜70年代の
キラ星のように輝く
多くの名作アニメを手がけており
Wikipedia の作品リストを見ているだけで
感動でクラクラしてきます。
小林亜星は1932年の生まれで
阪田寛夫を除く他の人たちとは
1〜2歳の違いしかありませんが
阿久悠は1937年の生まれであるため
4〜5歳の違いがあります。
その違いが「ピンポンパン体操」の
感覚の新しさとなって現われている
といってしまうのは牽強付会でしょうか。
石毛恭子イヤーズ以降の作曲家・編曲家だと
服部克久が1936年生まれ、
筒井広志が1935年生まれで
森田公一は少し下って1940年生まれですから
明らかに石毛恭子イヤーズを支えた人々は
渡辺直子イヤーズを支えた人々より
一回りとまではいえませんが
世代が若い気がします。
そういう年回りの違いから来る
センスの新しさが
渡辺直子イヤーズと
石毛恭子イヤーズ以降との
受け取られ方の違いとなって
現われたのではないでしょうか。
上掲、ソノラマ盤のジャケットに写りこんでいる
鬼の子どものパペット(マリオネット)は
「ボンボちゃん」と呼ばれているキャラクターで
レギュラー・コーナーを持っていたようです。
声を担当したのは増山江威子。
(ビクター盤の表記は「増山えい子」)
脇を、熊倉一雄(オランウータンのウータン)
向井真理子(けむしのモンロー)
富山敬(ペリカンのギョロ)が固めており
4人で歌う「ボンボちゃんのテーマ」の作曲者は
越部信義です。
ソノラマ盤のジャケ裏には
いちおう全員が写りこんだスチールが
載っているんですけど
けむしのモンローだけ
ちょっと分かりにくいのが難点かな。
ちなみに
ビクター盤に入っているのは
「あかおにボンボ」という曲で
ソノラマ盤とは違うものです。
「あかおにボンボ」の作・編曲は
『ルパン三世』第1シリーズで知られる
山下毅雄(1930〜2005)で
メイン・ヴォーカルが
「山のロザリア」や
「魔法使いサリー」(初代)で有名な
スリー・グレイセスだというのも
注目に値するかもしれません。
渡辺直子イヤーズには
検索していて見つけたディスコグラフィー
(後出)を見ると
えかきうたが多いのも特徴で
そこらへんも時代思潮とは異なる
古風な味わいを感じさせます。
実際に古風かどうかは
曲を聴いてみないと
何ともいえませんけど。
あと、ビクター盤に入っている
ボタンやホックの止め方指南というべき
「ひとりでとめよう」のような歌も
ある種の古風さを感じさせますね。
(なんと作詞は渡辺直子です)
また、洋楽のカバーが
見受けられないようなのも
(当時の)『おかあさんといっしょ』の
フォロワーという印象を
強く感じさせる原因のひとつです。
もっともこれも
実際に聴いてみないと
タイトルだけでは
判断がつきませんけど。
というわけで
渡辺直子イヤーズという括りの
ベスト盤CDが出たとしても
現代のリスナーに
買わせるほどの吸引力はないかも。
それでも仮にCDが出たなら
当時をしのばせる貴重な資料として
買うかもしれませんけどね。(^^ゞ
ところでちなみに
世の中には凄い人がいるもので
ピンポンパン関連のレコードの
ほとんどをアップしているサイトを
検索していて見つけました。
『金ちゃんのガシャポン&プライズ+』
というサイトの
ピンポンパンのコーナーです。
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/hyper-kinchan/home2/pinponpan1.htm
アルバムのジャケットが
最初にアップされていて
下の方にスクロールしていくと
シングル盤のジャケットを
見ることができます。
収集できたものに限っているらしく
渡辺直子イヤーズに何枚出たのか
全貌はまだまだ分かっていないようですが
ここまで並んでいるだけでもすごい。
このサイトのディスコグラフィーに拠ると
渡辺直子イヤーズのシングル盤は
ケイブンシャ、朝日ソノラマ、サン企画、
ビクター、コロムビア、キングという具合に
実に6社にわたって
リリースされたようです。
これらが各社競作で同時に出たものか
時期によって会社が異なるのかまでは
まったく不詳としかいいようがありません。
ケイブンシャや朝日ソノラマなど
出版社系のレコードなら
奥付があっても良さそうですが
手許のソノラマ盤にはないので
期待できそうにありませんし。
ここらへんのデータを
きちんと整理した本が出ることを
渇望する次第です。