(1932/深町眞理子訳、創元推理文庫、2019.1.11)
創元推理文庫が
創刊60周年記念の企画として進めている
名作ミステリ新訳プロジェクトの
第1弾です。
懐かしのミス・マープル初登場作で
自分は高見沢潤子の旧訳を
中学生の時に読みました。
(1960.5.6/1974.5.24. 第27刷)
装幀は松田正久という人。
このときは
カバーの表記のみ「13の謎」で
カバー背や本体表紙、扉、奥付が
「十三の謎」だったんですけど
今回の新訳で初めて
「13の謎」に統一されました。
当時は作者名表記が
「クリスチィ」だった点にも
ご注目あれ。
ちなみに
高見沢潤子は小林秀雄の妹で
まんが『のらくろ』で有名な
田河水泡の夫人です。
読み比べていないので
高見沢訳と深町訳との違いや
良し悪しなどは
何ともいえませんが
深町の新訳では、いくつかの作品に
脚註を付けているのが印象に残ります。
そのために例えば「四人の容疑者」で
ロイド博士やバントリー夫人が苦笑する場面や
ヘンリー・クリザング卿が
妙な咳払いをする場面の意味などが分かり
まあ、謎解きとは直接関係ないんですけど
書き手としてのクリスティのエスプリというか
ユーモアが垣間見られるのが良かったです。
「死のハーブ」における
アスコット競馬の註を通して
階級制度を垣間見させるのも
興味深かったですね。
こういう、訳者の解釈が入るのは
訳者あとがきでふれるのならともかく
脚註で入るのは珍しいですね。
本書収録の短篇は
前半の6編が
雑誌 The Royal Magazine に
1927年12月号から翌年5月号まで
連続掲載されたものです。
後半の7編中、最初の6編は
基本的に雑誌 The Story-teller に
1929年12月号から翌年5月号まで掲載され
最後の「水死した娘」のみ
雑誌 Nash’s Pall Mall Magazine の
1931年11月号に掲載されました。
上で「基本的に」と書いたのは
手許の資料だと「四人の容疑者」のみ
初出は雑誌 Pictorial Review 1930年1月号らしく
その後、The Story-teller 1930年4月号に
再録されたらしいからです。
初出誌について詳しく書いたのは
前半の6編と後編の7編とで
作品の色合いが変わっているからなのと
「四人の容疑者」と「クリスマスの悲劇」の出だしに
ちょっと違和感を覚えたことを
いいたいからでして。
前半の6編は
ミス・マープルの甥の招待で
マープルの家を訪れた人々が
自分は真相を知っているけれど
世間には伏せられたままの事件を
ゲストの面々に語り推理を競わせる
という内容になっています。
後半に入ると、また別の日に
セント・メアリ・ミード村の
バントリー大佐宅に招かれた人々の間で
前半の6編と同じようなゲームが始まる
というふうになっており
最後の1編のみ
現在進行中の事件を解決するという
別立てになっています。
最後の1編を除き
欧米の小説によくある
語り物のスタイルを踏襲していて
ボッカチョの『デカメロン』(14世紀、伊)や
チョーサーの『カンタベリー物語』(14世紀、英)
あたりを発祥とする由緒正しきスタイルなのです。
以前、当ブログで紹介したことのある
『雪の夜は小さなホテルで謎解きを』(2014)
にも取り入れられていましたし
ミステリ・ジャンルでは
アイザック・アシモフの
『黒後家蜘蛛の会』シリーズ(1974〜90)が
よく知られているのではないでしょうか。
前半の6編は後半の6編に比べるとやや短く
推理クイズのようにしか感じられませんし
現代の読み慣れた読者であれば
真相の見当がつくようなものばかり。
それに比べると後半の6編は
やや尺が長くなった分
いろいろと工夫されているのですが
特に興味深いのは後半の3編で
話し手が女性になった途端に
それまでの整然とした語りをズラすような
語りのお遊びのようなものが入ってきます。
特に、バントリー夫人が語る「死のハーブ」や
女優のジェーン・ヘリアが語る「バンガローの事件」は
語り口の異色ぶりが印象的でした。
ところで「四人の容疑者」の出だしには
次のように書かれています。
それ以降も、この席での話題は、発覚せぬままになっている犯罪や、犯人が罰せられずにいる犯罪など、その種の体験談の周辺をへめぐっていた。一話ごとに、各人が順ぐりにそれへの見解を表明する。この屋敷のあるじバントリー大佐、ふくよかで、愛嬌のあるその夫人、女優のジェーン・ヘリア、医師のロイド博士、そして老婦人ミス・マープルにいたるまで。だが、ひとりだけ、まだ話題を提供していない客がいて、それがほかならぬヘンリー・クリザング卿——ロンドン警視庁[スコットランド・ヤード]の副総監であり、その種の体験を語るのなら、それにもっともふさわしいと万人が認めるだろう人物である。(p.236。[ ]内は本文ではルビ)
この出だしを読んだ時に
あれれ? と思ってしまいました。
そこまでで話をしたのは
バントリー大佐とロイド博士だけで
女性陣の話はまだ
出てきていなかったからです。
そこで初出を調べてみると上記の通り
本作だけ掲載誌が違っていたわけですが
悩ましいことに
マープルが話し手となる「クリスマスの悲劇」と
同月号だったんですね。
しかもしかも
その「クリスマスの悲劇」の出だしでは
ロイド博士が
「今夜、ここでは三つの物語が語られた
——どれも、語ったのは男性ばかり!」(p.271)
と苦言を呈して
女性が話すことをうながす
という場面があるのでした。
この「クリスマスの悲劇」が
The Story-teller に掲載されたのは
1929年12月号の「青いゼラニウム」に続く
1930年1月号のことで、初出の順序だと
ロイド博士の発言には明らかに矛盾があります。
しかも
「クリスマスの悲劇」と
「四人の容疑者」は
別の雑誌の同年同月号掲載ですから
ちょっと頭が混乱してしまった次第です。
おそらく初出時の
「クリスマスの悲劇」の書き出しは
違ったものだったのではないでしょうか。
そして当初の構想では
「四人の容疑者」を
シリーズの末尾に据えるつもりで
考えていたのではないでしょうか。
ところが
1930年5月号に掲載された
「バンガローの事件」のプロットを思いついた際
シリーズの末尾を締めくくるのに
ちょうど良いものだったため
単行本化の際、現在のように並び替えられ
「クリスマスの悲劇」の冒頭を
書き替えたのではないか
と推察されるわけです。
「四人の容疑者」の出だしは
必ずしも各人が話を披露したと読まなくても
通るような書きっぷりになっているので
そのまま残されたものと思われます。
この推理があたっているかどうかは
初出誌か、そのコピーを入手して
確認してみればいいわけですけど
どなたか熱心なファンが
やってみてはくれないものでしょうか。
(自分でやれと言われそうw)
なお、収中のベストは、前半の6編だと
霜月蒼が『アガサ・クリスティー完全攻略』
(2014)でも書いている通り
「舗道の血痕」でしょう。
後半の7編になると
ちょっとむずかしいのですけど
本来の謎とは別のツイストを聴かせた
「バンガローの事件」
(霜月のベストはこれ)か
「コンパニオンの女」や
「クリスマスの悲劇」あたり。
犯人像の特異さでは
「青いゼラニウム」も捨てがたい。
「青いゼラニウム」って
ホラー・テイストを現実に落とすトリックは
しょーもないんですけど
語られた事件以降も犯人が同じ犯行を繰り返す
というあたりに、現代のいわゆる
サイコキラー的なものが感じられ
そこが印象に残るんですよね。
そういえば「舗道の血痕」も
ホラー・テイストがあり
かつ、犯人もサイコキラー的で
そういったところが
印象に残ったのかもしれません。
「クリスマスの悲劇」は
無茶なトリックだなあと思いつつ
その無茶さが印象的でしたし
マープル自身が関与することが
ミスディレクションになるあたり
面白く感じました。
また「クリスマスの悲劇」では
マープルの推理法が
マープル自身の口から説明されていて
それがチャールズ・パースのいわゆる
アブダクションに近いように思われたことも
印象に残ったのでした。
同じことは「水死した娘」でも語られますが
「クリスマスの悲劇」はもっと詳しいというか
意を尽くしている感じです。
マープルの推理法というとすぐに
村での見聞を引き合いに出して
人間性は変わらないから
という認識に基づいて真相に到達する
というふうに説明されることが多いのですけど
「クリスマスの悲劇」や「水死した娘」では
それよりも突っ込んだところまで
説明されているという感じ。
等々、いろいろと発見の多い再読でした。
今回、手にとったのは
ドラマ化された『予告殺人』を
たまたま観ることができて
あまりに2時間ドラマっぽかったのが気になり
原作を読み直してみた流れからです。
原作の『予告殺人』で
マープルの知恵を借りるよう
地元警察に提言するのが
ヘンリー・クリザング卿だったことでもあり
何となく手にとってみたんですけど
『13の謎』の方が『予告殺人』よりも
発見が多かったのは
望外の喜びというやつでして。
ちなみに『予告殺人』の方は
昔、読んだ時も今イチだと思いましたけど
今回も今イチではありながら
ドラマから示唆を受けて
意外な面白さを見出したりしました。
今回の記事が長くなりましたので
それはまた、機会を改めて。
(忘れなければw)