レポートが遅れましたが

ちょうど1週間前にあたる11月9日(金)

三鷹市の武蔵野文化会館で開催の

ハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京

創立50周年記念演奏会の第4弾

「〈レクイエムの集い〉2018 〜魂の慰めのために〜」

というコンサートに行ってきました。

 

〈レクイエムの集い〉パンフ

 

当日はそれだけでなく

昼間、長澤奈央ファンのヲ仲間との

オフ会もありまして

なんだかんだで

(何をしてたか、すでに忘れましたがw)

2時間ほどしか寝られないまま

まずは浅草に向かったのでした。

 

夕方になってから

三鷹に向かったわけですけど

コンサートの間

何とか寝落ちしないで済み、幸い。

 

 

武蔵野文化会館に行くのは初めて。

 

三鷹駅に着いた時は

すでに日が落ちて真っ暗でしたが

駅から一直線に道が延びていたので

途中、恐るおそる気味とはいえ

迷わずに済みました。

 

その道から行くと

側面の入口に着くのですが

少し進んで交差点を右折すれば

下掲の正面入口に着きます。

 

武蔵野文化会館 正面入口(2018.11.9))

 

コンサートのあった小ホールは

正面の階段を上って左折したところ。

 

武蔵野文化会館 エントランス階段

 

小ホールの入口では

さすがに教会とは違い

物販もされてました。

 

〈レクイエムの集い〉物販

 

着いた時は

まだ商品が並んでませんでしたが

物欲しげに見ていると並べてくれまして (^^ゞ

通常価格から割引になっていましたので

これまでに出ている

シュッツのCD4種6枚を購入。

(2枚組がふたつあるのです)

 

以前 Amazon で検索したら

在庫僅少のものもあるためか

むしろ定価より高い出品も

あったりしましたので

全部購入できてラッキーでした。

 

 

今回のコンサートは

「レクイエムの集い」というタイトルの通り

シュッツの「音楽による葬送」作品7

(ムジカーリッシェ・エクセークヴィエン

 Musikalische Exequien. SWV 279-281)と

ガブリエル・フォーレの

「レクイエム ニ短調」作品48が

演奏されました。

 

 

シュッツの「音楽による葬送」は

「ドイツ・レクイエム」という副題をもち

1636年に、シュッツ出身地の方伯のために

(方伯は封建領主に与えられた称号)

作曲されたものです。

 

当の貴族は亡くなる前から

自分の葬式の式次第を決め

棺も用意していたそうで

その棺に彫られたテキストに

曲が付けられました。

 

全体が3部に分かれていて

だからシュッツ作品番号 SWV も

連番で三つなのですが

(ちなみに「作品7」というのは

 シュッツ自身が出版譜につけた番号)

全体で40分ほどの長さです。

 

自分は昔

皆川達夫の本で薦められている

フィリップ・ヘレヴェッへの指揮によるCDを

購入して聴いております。

 

ヘレヴェッへ指揮『ムジカーリッシェ・エクセークヴィエン』

(キングインターナショナル KKCC-14、1991.5.21)

 

初めて聴いたときは

ボワーンとした音だなあ

と思ったものですが

最近、聴き直してみると

そんなに悪くもなかったですね。

 

再生したプレーヤーの質というか

相性によるのかもしれません。

 

いずれにせよ、だから

特に予習していきませんでした。

 

 

フォーレのレクイエムも

何がきっかけだったか忘れましたが

少し前に聴いております。

 

こちらについては

適当な指南書がありませんでしたから

名盤とされているもの、ないし

古楽演奏に近いものをと思って

購入してたかと思いますが

実は今回のコンサートの直前に

立川のディスクユニオンで

やはりヘレヴェッへの指揮した盤を見つけました。

 

ヘレヴェッへ指揮『フォーレ:レクイエム』

(キングインターナショナル KKCC-411、1998.10.23)

 

ヘレヴェッへの盤は

一般的に演奏されるオーケストラ版ではなく

室内楽版(1893年稿)だったので

ちょうどいいと思っていたんですが

残念ながら公演前には聴けず仕舞い。

 

パンフレットによれば

今回の公演も1893年稿に基づき

(現在の形である7曲が揃った初稿だから

 採用したとのことで)

器楽編成は最少に押さえたそうですが

最少編成にしたためでもあるんでしょうけど

ヘレヴェッへ盤とは

使用楽器が微妙に違っています。

 

やはり聴いておくべきだったか

それとも聴いとかなくて

かえって幸いだったのか……。

 

 

小ホールは正面に

パイプオルガンが据えられていましたが

 

武蔵野文化会館 小ホール(ステージ)

 

シュッツの演奏で使われたのは

手前のポジティーフ・オルガンのみ。

 

フォーレの演奏では

パイプオルガンの他に

弦楽器(ヴィオラ2、チェロ2、コントラバス)と

ハープ、ティンパニ、トロンボーン3が

加わってました。

 

開演前に

ステージ下手に置いてあったのは

ティンパニは分かりましたが

もう一つは何だろうと思っていたら

ハープでした。

 

向きが違うと印象が変わりますね。

 

 

歌の演奏は

シュッツ合唱団・東京に

メンデルスゾーン・コーアが

加わっていたようです。

 

ステージ上手には

モニターが据えられており

歌詞の日本語訳が表示されました。

 

最近のステージ公演では

そんなふうにして歌詞を流すのが

普通みたいですけど

(自分が行ったバッハの公演もそうだったし)

歌詞を追うと意識がそっちに向かって

集中が途切れることがなくもなく

痛し痒しといったところですね。

 

ちなみに

キリエ・エレイソン

(主よ、憐れみ給え)の歌唱を

「求憐誦」と訳すのは

初めて見ましたけど

語呂が合っていて

ちょっと印象的でした。

 

 

シュッツの第1部は

独唱と合唱群という組み合わせで

合唱群も通常のスタイル(配置)でしたけど

第2部は左右に合唱群が分かれての演奏。

 

第2部のみ無伴奏でしたが

合唱群を左右に分けるのは

シュッツが学んだ

ジョヴァンニ・ガブリエリの手法を

髣髴させたりもしたり。

 

第3部では独唱者3人が

パイプオルガンの前に立ち

合唱群より高い位置でソロを歌ってました。

 

 

シュッツの演奏が終わって

15分の休憩をはさみ

フォーレの演奏になりました。

 

フォーレの演奏は

ソリストと合唱群というスタイルは

シュッツの第一部と一緒ですけど

指揮者(淡野太郎)が

ソリスト(バス・パート)になったり

リコーダーを演奏したりと

八面六臂の活躍でした。

 

これまで生の演奏を観たことはありませんが

これはちょっと珍しいスタイルなのかも。

 

フォーレのレクイエムは

近代フランスの楽曲だけあって

旋律も美しく、瞑想的なんですけど

通常のレクイエムにはある(らしい)

「怒りの日」を欠いているので

(それが特徴でもあるわけですが)

終始、瞑想的で盛り上がりに欠ける

という印象を拭えなかったりします。

 

シュッツのあとだと余計そうかも

とか思ったりしながら聴いてました。

 

 

ちなみに「怒りの日」というのは

たとえば『新世紀エヴァンゲリオン劇場版

シト新生』に使われた

ヴェルディの曲だといえば

ああ、あれかと思う人がいるかも。

 

あのイメージが強烈で

他のメロディーが思い浮かばないくらい

というのが、自分的には

困りものなんですけど。

 

 

アンコールはありませんでした。

 

終演後、今回は

会場で知り合いにも会わなかったので

そそくさと帰途につくことに。

 

会館の出口には

知り合いの演奏者の方がいましたが

どなたかと話していたので

ちょっと頭を下げて

挨拶するに留めた次第です。

 

来る時にはパラついていた

というか、しとしと降りだった雨は

やんでましたね。

 

 

以上、乱文長文深謝。

 

演奏者のみなさん

スタッフのみなさん

お疲れさまでした。

 

 

ちなみに

ようやくパンフレットを

じっくりと読んだのですけど

巻末には、尾崎喜八の詩

「ハインリッヒ・シュッツ」の草稿が

写真版で掲げられています。

 

尾崎喜八がこんな詩を書いていたとは

まったく知りませんでした。

 

また、今回のレクイエム演奏に併せて

追悼して偲びたい人々の名前が

掲げられているのですけど

意外な名前があったりするので

いろいろと想いを馳せてしまったり。

 

そういえば

パンフによれば、フォーレは

ナディア・ブーランジェの先生だったようで

とするとフリップ・グラスは孫弟子か

とか思ったりもしたことでした。

 

 

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