(幻戯書房、20187月13日)
副題は「小沼丹未刊行少年少女小説集・推理篇」
ちなみに
出版社名の「幻戯」は
「げんぎ」ではなく
「げんき」と読みます。
小沼丹[おぬま たん]という
いわゆる純文学の作家がいます。
文学史上の位置づけは
あいにくと、よく知らないのですが
井伏鱒二に師事したようですので
そっち系でしょうか。
(説明になっていないけどw)
江戸川乱歩が、
探偵小説専門誌だったころの
『宝石』の編集に乗り出した際
探偵小説を書かせた
純文学系の作家の一人で
それに先立って
『黒いハンカチ』(1958)という
連作ミステリを上梓してもいます。
今では『黒いハンカチ』が
創元推理文庫に入って
簡単に読めますので
ある程度、知られているかもしれませんけど
それまでは、ミステリ・ファンの間でも
知る人ぞ知る、という存在でした。
その小沼丹の
今まで刊行されたことのない作品で
ミステリ・ジャンルに属するものが
少年少女向けに書かれたものとはいえ
刊行されたと知っては
買わずにはいられないわけでして。
そして珍しく
買ってから間を置かずに
読み終えました。(^^ゞ
雑誌『高校時代』連載の
「モヤシ君殊勲ノオト」(1958〜59)と
『中学時代 三年生』連載の
「春風コンビお手柄帳」(1961)に
同じころ『それいゆ』や『女学生の友』
などの雑誌に掲載された
単発作品を集めた一冊です。
解説(巻末エッセイ)は北村薫。
昭和30年代に発表された
少年少女向け作品ということもあり
中には凄みのある話もありますが
だいたいにおいて
他愛がないといえば他愛がない。
ミステリ的に出来がいいと思うのは
「青いシャツの死体」くらいですけど
(「赤土の崖」「指輪」も捨てがたい)
小沼丹らしい文体とセンスによって
楽しめるものになっています。
興味深いのは
お手伝いさんがいたり
別荘を持っていたりする子弟が
当り前に登場しているところ。
東京の山の手あたりに住む
ちょっといい所の子どもたちを
登場させているという印象を受け
それが特別でも何でもないふうに
書かれてあるあたり
隔世の観を覚えさせられますね。
あと、殺人事件などを扱っても
動機などは露骨に書かない
というのも特徴のひとつ。
たとえば
「モヤシ君殊勲ノオト」では
次のように書かれています。
*
理由は——しかし、これは長くなるから止めよう。それにまたヨシダ氏から、君たちは若いからおとなの世界は……なんていわれるかもしれない。(p.36)
動機は女のことらしいが、これはよく判らない。(p.50)
*
動機をあまり突っ込んで書かないのは
『黒いハンカチ』などとも共通してますけど
そもそも小沼丹の文学自体が
動機を明確に示すタイプのものではない
ということとも関係がありそうです。
というのは
本書のあとに読んだ
『懐中時計』(1969)からの
印象ですけれど。
北村薫は解説で
「春風コンビお手柄帳」第2話
「消えた猫」の真相について
「これはつらかった」
「わたしには、二度は読めない」と書き
「《春風》ミステリ」にふさわしい
結末を考えています。
そう書きながらも
その「つらい」ところから
小沼文学の分析へとつなげていくあたり、
特に、妻の死以降、書かれるようになっていく
大寺さんを視点人物とする私小説のシリーズの
その視点の意味を考えていくあたりは
脱帽させられました。
ちなみに「消えた猫」を読んで
個人的に持ったのは
これって密室にする必要はないだろう
という極めて散文的な感想でした。
密室の必然性がない、というだけでは
単なる腐し評にしかなりませんので
もう少し考えると
密室にすることで猫好きの被害者に
無駄な期待をさせまいと
考えたのではないか。
それはそれで、ある意味
残酷だと感じる読者も
いるかもしれませんが。
いずれにせよ
そう考えたのが作中の犯人か
作者である小沼丹なのかは
与り知らぬところですけれど。