『メイド・イン・USA』

(ギャガ・コミュニケーションズ発売

 ビクター・エンタテインメント販売

 GVBS-1018、2005.6.8)

 

リリース年月日は

Amazon のデータに拠ります。

 

現在は紀伊國屋書店から

リーフレット付きで出ていますが

ビクター版には

チャプター・シートが付いているだけ。

 

だから安かったわけでも

ないのでしょうけど

Amazon を見たら

ビクター版に

結構な値段がついてますね。

 

横浜のディスクユニオンでは

レンタル落ち程度の値段で買えました。

 

 

ジャン=リュック・ゴダールという

フランス映画の監督がいることや

そのゴダールがヌーヴェルヴァーグ

(新しい波)に属するということは

なんとなく知っていましたけど

なんか七面倒くさい映画を撮っている

というくらいの認識しかありませんで。(⌒-⌒; )

 

昔、『気狂いピエロ』(1965)を

レンタルで観たことがあるくらい。

 

だから、それなりに心して

観てみましたが

観る前に原作小説

読んでおいて良かった……と

つくづく思った次第です。

 

観た後で検索して

いろんな人の感想を読んだりすることで

ようやくどんな映画なのかが

分かったような気がしたくらい。f^_^;

 

 

原作は男性犯罪者が主人公でしたが

映画では女性ジャーナリストが主人公で

昔の恋人を訪ねて

フランスなのに

アトランティック・シティ

という英語名の町にやってきたら

恋人は死んで埋葬されたあとでした。

 

その死を不審に思った女性主人公が

真相を探ろうとする

というお話です。

 

 

死んだ恋人の仕事仲間だった

という男が訪ねてきて

手を組まないかと言ったり

地元の顔役の警官に

つきまとわれたりするあたりは

原作の面影を残しています。

 

プロデューサーは

原作から掛け離れていると判断して

映画化権料を払わなかったそうですけど

原作者リチャード・スタークこと

ドナルド・E・ウェストレイクが

訴訟を起こして勝訴し

北米での配給権を勝ち取ったのだとか。

 

 

DVDのジャケット裏には

「実際の事件を扱った原作を素に、

 架空の街で起きる探偵事件を

 ゴダール流の映画作法で描いた、

 云わばハードボイルド・タッチの映像詩」

と書いてありますけど

これだとリチャード・スタークの原作が

「実際の事件を扱った」作品のように読めてしまい

最初は何のことやら戸惑ったり。

 

検索してみたところ

実際の事件をモチーフにしているのは

ゴダールの映画の方で

モロッコ人の左翼政治家が

フランスの警官に連れ去られた後

行方不明となったままの

ベン・バルカ事件を

素にしているようです。

 

原作の老金庫破りの遺産を

左翼の記者が探っていた政治事件の真相に

置き換えているわけですね。

 

 

主人公を訪ねてきた

死者の仕事仲間だったという男が

連れてきているのは

原作だと、愛人の女ですが

映画では甥になってます。

 

その甥というのが

なかなか作品を完成させられない

小説家志望(?)の男で

デヴィッド・グーディスと名乗ります。

 

登場人物名には

ウィドマークとかアルドリッチ、ミゾグチなど

映画関係者の名前が使われているんですが

いきなりグーディスの名前を出されて

思わず笑っちゃいました。

 

というのも

デヴィッド・グーディスというのは

映画の原作によく使われた

アメリカのペイパーバック・ライターの

名前だからです。

 

 

他にも

ミステリ・ファンなら

おやっと思うシーンがあります。

 

冒頭で主人公が読んでいるのが

ホレス・マッコイの

『明日に別れの接吻を』(1948)。

 

手にしている本は、おそらく

書影から判断するに

セリ・ノワール叢書ではないでしょうか。

 

 

自分は気づきませんでしたが

アトランティック・シティというのは

レイモンド・チャンドラーの小説に出てくる

架空の町の名前だそうです。

 

恋人の検屍を担当した医師が

主人公に対して

「お話は嫌いですか、いけませんな。

 ディケンズ、メルヴィル、ハメットを

 もっと学ぶべきです」

と話すシーンもありまして

ハメットはもちろん

ダシール・ハメットでしょう。

 

かほどさように

ミステリ系のオマージュには

事欠かないという感じで

海外ミステリ・ファンなら

ニヤニヤすること受け合いかと。(^_^)

 

 

デヴィッド・グーディスの恋人

ドリス・ミゾグチ役で

小阪恭子という人が出演しています。

 

「想い出まくら」(1975)を歌った

小坂恭子とは別人だそうですけど

(生年からして明らかに別人でしょう)

DVDのジャケ裏では

「小坂」になっているから紛らわしい。

 

ネットで検索してみたら

「想い出まくら」の小坂恭子も

「小阪」としている記事が

あったりするので

こうなってくると

映画に出た「コサカ」さんの

正確な漢字表記はどちらなのか

判断がつけられませんね。

 

紀伊國屋書店版の解説書には

正確なことが書かれてあるのか知らん。

 

 

なぜかホテルのユニットバスで

アコギを弾きながら

日本語の歌を唄っている小阪恭子が

歌手かどうかは分かりませんけど

ホテルのバーで歌うシーンがある

マリアンヌ・フェイスフルは

実際にイギリスで活躍していた

ポップ・アイドルだそうです。

 

本作が映画デビューで

歌っている「涙あふれて」は

ローリング・ストーンズのカバーですが

本人のデビュー曲のようですね。

 

 

グーディスが

女主人公に「未完の作品」を見せて

韻が見つからないと言うと

ルイス・キャロルと一緒に

アリスの国へ行けば見つかるわよ

と言い返される場面もあります。

 

そのセリフが象徴するように

この映画は

引用と言葉遊びが横溢していて

これは活字で読みたい

活字で読まなければ分からない、と

つくづく思った次第でした。

 

もっとも

活字で(翻訳で)読んでも

理解できるかどうか。(^^ゞ

 

『地下鉄のザジ』

(1959。翌年映画化)のように

言葉遊びと諷刺が絡み合って

外国人にとって

わけが分からなくなっている作品

というのは

フランスのお家芸のようなものですし。

 

偏見かしらん。( ̄▽ ̄)

 

 

本作品のプロデューサーは

この映画の前に担当した

『修道女』(1966)の

興行成績が悪かったので

制作費を安く抑え

最初から商業映画を狙って

製作するように依頼したのだとか。

 

それに対する

くすぐりのようなセリフ(たぶん)も

本編の中に出てきました。

 

それは措くとしても

どこが商業映画なんや!

といいたくなるくらい

一回観ただけでは

意味不明なシーンも多く

ちょっと辟易させられました。

 

「ラッコの映画生活」というブログに

書かれていますけど

「解ろうとか、解釈しようとか、

批評しようとかしな」ければ

意外と楽しめるのかもしれませんね。

 

もっともこうやって

いろいろと検索して調べて回り

意味を探る楽しみが

なくもないわけですけど。

 

 

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